第6話 綱渡り
T氏担当のツールの設定がようやく出来たので、回路図の入力を始める。
ブロックごとに分けられた一繋がりの回路を入れ、シミュレーションを行う。簡単に言えば、各ブロックに入れる回路の量が多ければ多いほど出来上がったチップは高い性能で動作する。一方で一つのブロックに入れることのできる回路の量には限界があり、それは各回路の実行速度により決まる。
イメージとしてはこうだ。箱の中に積み木を入れる。収まらなければもう一つ箱を持ってきて積み木を入れなおす。箱が少なくて済めば儲けが出る。だから何度も積み木の入れ方を工夫する。
これの繰り返しだ。単純なようでいて、実は恐ろしく複雑であり、全体が巨大なパズルを形作っている。
シミュレーション開始。
驚くことに入れた回路のすべてがそのまま問題無く動作した。エラーが一つも出ない。
すごいな。このベースとなるチップ。もの凄い速度で動くわ。感嘆した。
「凄い。ASICって物凄い速度で動くんですね」
素直に感想を述べると、それを聞いたT氏が固まっていた。
ある日出社してみるとT氏が騒いでいた。
彼の担当であるツールの設定、シミュレーションパラメータが間違っていたらしい。
回路の実行遅延時間設定がゼロになっていたらしい。
なるほど、回路遅延がゼロならば、チップは光よりも速く動くことになる。もちろん現実ではあり得ない設定である。
改めてシミュレーションを実行してみると、出るわ出るわ、警告メッセージ。
『速度が間に合ってないよ!』
『速度が間に合ってないよ!』
『速度が間に合ってない言うとるじゃろが、こら!』
ひええええぇぇぇぇぇ。
大慌てで回路の修正に入る。もしこのまま気付かずにメーカーにデータを渡していたら、大変なことになってしまっていた。
回路情報からチップを作成するためのマスクと呼ばれるフィルムを作るのに、最低でも五百万円かかる。マスクが出来てからこれを修正すると進行段階によるが二百万円が最低でも吹き飛ぶことになる。チップ自体を作ってしまった場合には、さらに百万円単位でどんどん損害が追加される。
最初から絶対にバグを出せない。それがチップ設計の世界である。
胃に穴が空きそうだ。
回路の修正で一週間が飛んだ。何度も目で検査し、試験もすべてやり直す。T氏がミスをしなければ必要が無かった工数だ。もちろんT氏は傍でウロウロしているだけで手伝いはしない。尻ぬぐいをするのはすべて私だ。
ふううう。全部修正を終わらせて椅子にべったりと貼りつく。体が液体になった感覚。心底疲れた。
毎日ただひたすらに暇に過ごしていたTさん。せめてご自分の仕事ぐらいマトモにやってくださいよ。
きっとこの人、この騒動の原因が自分であることは上には言わないんだろうな。うまく言葉を濁して私がドジったように見せようとするだろう。今まで私が一緒に仕事した人たちはそうだったし、それはこれからも同じなんだろう。
先が思いやられた。
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