第3話 にゃんこの場合

 毎日猫を撫でることができるのは極上の人生と言ってもよい。

 ホワイトペルシャ猫との7年ぶりの再会である。

 姉の元旦那は子供の養育費を出し渋った。ある日の話合いでこの旦那は、これで払ったらあ、とクレジットカードを叩きつけた。

 それならばと姉はデパートに出かけると、そのカードで買える一番高いものを買って来た。

 それがこの子。お値段16万円のホワイトペルシャである。

 衝動で買ったはいいものの、姉に世話などできるはずもなく、かくして我が家に放り込まれることに相成ったという経緯である。

 そうやって毎日猫を撫でていると、六か月の期間はたちまちに過ぎた。

 再び関東に出る頃合いだ。


 本当に私も連れて行ってくれるんだねと涙声で訊く母親に安心しろと返事をして、広島の実家を片づける。実家と言っても借家だから、これで故郷と言えるところは無くなったわけだ。

 十年近く住んでいた古い家だ。吝嗇で有名な大家がその間に一度も補修をしなかったために、壁の一部は崩れ、風呂場の前の床は抜けている。何よりも床下に蓄積されたゴミの量が凄い。すべて捨てるのに四トントラックで二台を必要とした。

 毎年夏になると白アリが飛び立っていたが、流石にもう廃屋だろう。


 随分と長い間、親を一人で放り出して来た。こちらには兄と姉が残っていたがどちらもまめに顔を出す方ではない。母親はさぞや寂しかったのではないかと思う。


 引っ越し代も込みで、支度金は二百万円もらった。自分にそれだけの価値を認めて貰ったことがうれしかった。武士は己を知る者のために死すと言う。そんな気分だった。

 なんと自己評価の低いこと。平均よりも遥かに低い額なのに喜んでいる。それぐらい私という人間は報いられることがない。私の運命の書には『決して報いられない』と赤書きされているに違いない。

 同じ時期に移ったおぶさりてぇのT氏は実は四百万円もらっていたことが後で判った。彼がそれだけの価値があったのかどうかはこれから判る。


 引っ越しの日、空っぽになった家の中で猫が一匹、何が起きたのか判らずに座りこんでいる。ホワイトペルシャは体がでかい。それもあってうちの猫は、この辺り一帯を睥睨していたボス猫だ。いや、有体に言ってしまえば、他の日本猫にその異様な風体を恐れられて敬遠されていた。どうやら他の猫たちからは、あれは体がやや小さいだけの犬だと見られていた節がある。

 逃げられる前にと、頭を撫でて油断させ、すばやく移動ケースに放り込む。


 これで準備は万端。母親と連れだって新幹線に乗り込む。奮発して四人掛けの個室を予約しようとしたのだが、二週間前の時点ですでに満席だったため、普通の座席となった。結果として移動の間の六時間、猫は移動ケースから出せなくなった。

 やっと向こうの家についた。引っ越し屋が到着するのは明日だ。

 先に送っておいた毛布を被って一夜を過ごす。母親はどこかホテルにと思ったが本人に素気無く断られこの状況になってしまった。毛布を被った背中にこの不便さに対する怒りがどことなく見てとれる。

 いや、それなら素直にホテルに泊ってくれれば良かったのにと思っても後の祭り。昭和一桁台生まれの人間がそんな無駄使いなど認めるはずが無い。

 私は昔からひどい目にばかり遭って来たので相当ひどい環境でもひどいと感じないのだ。

 エサを食べ終わった猫が自分から移動ケースに入り、早くおうちに帰ろうと鳴く。


 ごめんね。ここ以外、もうどこにも帰るところは無いんだよ。

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