第2話 罠へ飛び込む

 そのときの日本はまさに土地バブルの真っ最中。線路脇の狭い三角斜面地などという何の役にも立たない端切れのような土地に二億円の値をつけて売ることが横行していた。買った方はそれに手数料を加えて次に売りつける。最後にババを引いた者が悲鳴を上げて夜逃げする。そんなゲームを繰り返していた。

 ロマネコンティのドンペリ割りなどという馬鹿げた値段の代物を詐欺師どもががぶ飲みしていた間、真面目に働く者は過労死寸前でこき使われていた。

 バブルの恩恵を受けた世代がと言われることがあるが、ほとんどの人間はバブルを謳歌してはいない。ただ無茶なプロジェクトが乱立し、それに忙殺されるだけに終わった。

 東京一都の不動産地価を総合してみると世界中の土地が買えてしまうなどという試算まで出ていた。それが実現不可能である以上、計算のどこかが間違っているのは明白であった。

 バブル経済は永遠に続くと叫ぶ馬鹿者の言葉を信じる者は少なく、やがてバブルが弾けて経済が滅茶苦茶になることは誰もが知っていた。

 今回の転職もバブルが弾ける前にと考えての行動である。

 選んだ会社は日本中の建設機械のキャタピラに使われているリンクという部品を作っていた。市場のほぼ40%を占有している会社で、大会社ではないが中堅所という位置づけである。

 多角経営の一環として、新しくコンピュータ関係の部門を起こそうと技術者を集めている最中で、それに一口乗った形である。


 今後とも永久に使われる基本的な部品でこの市場占有率ならば、問題は無い。そう判断した。


 たしかに前の会社は失敗だった。七年間という時間の成果はたった半年の休暇に消え、マイクロプログラムという限られたCPUメーカーでしか使えない潰しの効かない技術を得た。

 年齢ももう三十近い。今度こそこの会社に根を張り、パートナーをみつけて家庭を作るのだ。

 前の会社は信用ができなかった。自分がいつまでここに居るのかと疑問に思う状態で、結婚相手を探す気にはならない。また連日の残業で外に目を向ける余裕もなかった。


 今度こそ。そう決意した。



 話を決めるために一度上京してこの会社を訪れる。二次面接に行ってみると何故かT氏まで来ている。

 当時は分からなかったが、おぶさりてぇのT氏に取っては私が移籍するかどうかは非常に重大だったのだ。

 おぶさってくれる相手がいなければ自分で働くしかなくなってしまう。

 分からないのはこちらと会社の話合いの場になぜこの人がいるのかだ。

 これも後になると分かる。自分の肝いりでこの人物はここに移籍してきたのだとアピールするためだ。せっかく寄生する相手を連れて来たのに別の部門に配属されたりすればおぶさりてぇ計画がすべて水の泡になってしまう。



 話が決まるとこちらで暮らす家を探さなくてはいけない。

 T氏に声をかけて家探しに付き合って貰う。


 大失敗だった。

 この人は行く先々で後ろで黙って見ているだけをやってくれたのだ。

 知恵を貸してくれるわけでもなし。家の感想を述べてくれるわけでもなし。何で俺がこんな面倒なことをとの不満を顔に浮かべて退屈そうに立っているだけ。

 そういえばこの人は宴会のときも酒のグラスを持ったまま黙って座っているだけの人だったなと今更ながらに思い出した。それでついたあだ名がパーティキラーのT。宴会中でも彼の周囲だけは笑い声も会話もない。おまけにやたらと私の近くに座りたがる。

 今回も同じだった。面倒臭いな早く決めろよとのオーラが後ろから吹き付けて来る。不動産屋の物件すら見ようとはしない。

 どのみち何日もかけて探すのは無理なので猫OKの場所があったらそこに決めようと考えていた。

 実際にはペット禁止の借家でペットを飼っても度を越した多頭飼いでもなければ追い出されることはない。猫などを理由に家を追い出すのは人権侵害に当たるとの判決がすでに出ているのである。


 結局、本厚木で猫飼いでもOKとの家を見つけてそこに決める。周囲は田んぼばかりだ。

 実はもう一つ横の厚木は大きなビルがいくつも建っている賑やかな地なのだがそこは土地勘の無い悲しさである。かなり悪い物件を選んでしまった。

 地元の人に言わせると、この本厚木という場所はあまりの寂れように「偽厚木」とあだ名されている。

 すべては後の祭りである。あ~よいよいっと。

 後で山ほど母親に嫌味を言われた。


 新しい人生は初っ端から風雲が渦巻いていた。

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