第6話 取り調べ
いちばん最初は尼子だった。
なるほど。この会議室に俺たちを待機させて一人ずつ呼び出すつもりらしい。
ここには口裏を合わされないようするための監視の教師がひとりいる。
そして一人ずつ取り調べる作戦のようだ。
もっとも……、横にいる室山ははっきり言って他人だし、尼子にしてもあれ以来ずっと沈黙を続けているのだから口裏なんか合わせようもない。
名前を呼ばれた尼子がすっと立ち上がる。
そして廊下に出るとき一度だけ振り返った。
真横に一文字で結ばれたその唇に堅い意志を浮かべて大きくうなずくのが見えた。
時計を見ると三十分くらいが経過していた。
ずいぶん長くかかるなあ、と感じていたら呼び出しが来た。
次は室山の番だった。
その顔は真っ青で足下はふらついている。
入れ替わりに姿を表した尼子は会議室をそのまま通り過ぎた。
どうやらそのまま抑留された訳じゃないようだ。
俺は腕組みをして時間とやらと戦った。
どうせ逃げられないのなら嫌なことはさっさと終わらせたいからだ。
今度は早かった。
時計を見るとまだ二十分くらいしか経過していない。
この会議室のドアが開く音がしたかと思うと廊下では情けないほどの大声で嗚咽する室山の声が聞こえてきたのである。
室山の番が終わったのだ。俺は呼び出しを受ける前に自主的に立ち上がり校長室に向かった。
□
初めて見る校長室の中は意外と広かった。
奥の壁を背にして大きな黒檀の机があり校長が難しい顔で座っている。
そして手前には向かい合って座る大きめのソファセットが置かれていた。
手招きされたので俺はそのソファに腰かける。
向かいの中央には制服姿のまだ若そうな警察官がいた。
そしてその右横が教頭、左横にはホルモンの姿があった。
俺の正面の警察官が口を開き俺の名前を確認した。
そして昨夜の資材置き場の火事も放火だと説明があった。
「まず最初に言っておくけど、これは取り調べなんかじゃなくて、あくまで任意の調査に協力をして欲しいだけなのです。
君は昨夜の火事だけでなく、一昨日の火事の現場にも居合わせていたね?」
俺は頷いた。
どうせそこまで調べた上で呼びつけたのだから否定しても不利になるだけである。
「どうしてかな?」
若い警官が急に猫なで声になる。
(……そう言えば、どうしてなんだろう?)
……最初の火事は細井さんがあわてて飛び出して行ったから、なんとなくである。
そして次の火事は尼子に疑惑を抱いたからだ。
黒ずくめのあの変装が急に頭に浮かんだ……。
(後は、なんだっけ……? ……?)
いつまでも口を開かない俺を見てホルモンが激怒した。
すでに頭頂部まで真っ赤だった。
「秋月! ……なんとか言ったらどうなんだ! 案外お前が火をつけたってんじゃないだうな?
……それともなんだ? お前も一年の室山のように尼子の尻を追っかけてたんじゃねえのか?
そうか、お前も室山のように尼子の鞄の中から着替えの下着を盗んだり、尼子の上履きを無断で持ち帰って臭いをかいでいた変態なんだな!」
教頭が椋田教諭をなだめるのが見えた。
本来はホルモンの暴言に俺はカチンと来るべきなのだろうが、逆に冷静になっていた。
ははあ、だから尼子はスリッパを履いていたのか……。
なるほど。だとすると室山は単なるストーカー(尼子からしたら大層迷惑だろうが……)で放火とは無関係。
そして学校と警察、つまりこいつらはまだなにもわかっていない。
そもそも任意の協力と言うのなら俺はこの場で席を立ってもいいんじゃないか?
そう思うと気が楽になってきた。だから俺は当たり障りのないことだけの返答を始めた。
今俺は優位に立っていた。
頭は冴えていたと思う。だから目の前の違和感に気がついた。
警察官は俺の発言を逐一ノートパソコンに打ち込んでいる。
画面はここからは当然見えないので内容はわからない。
だが明らかに変な点があった。
それはキーの打刻速度だ。
警官はパソコンに慣れていないようで両手の指の一本ずつでキーを打っている。
なのに次の質問が早すぎるのである。
冷静だから見えるものもある。
俺はノートパソコンから伸びる明らかに電源ケーブルと異なる配線が床下に伸びているのを見逃さなかった。
それはカーペットの下に巧みに隠されているがどうも俺の足下を通って更に背後に伸びているらしい。
なるほど……。
考えたらパトカーが2台も来ているのに警察官がひとりしか姿を見せない訳がない。
俺はなるべくさりげなく背後を一度だけ振り返った。
なるほどね……。
思った通り奥の部屋に通じるドアが見えた。
そしてドアの下に巧妙にカムフラージュされたケーブル。
そう言えば校長室の奥に畳敷きの小部屋があると聞いたことがある。
あのドアの奥に、この校長室を監視する盗撮カメラと盗聴マイクをモニターしている人物がいるのは間違いなさそうだった。
話が終わって俺は解放された。校長室を出るときに小さな空咳が聞こえた。
それはこの場、つまり校長室にいる誰のものでもないのは全員の顔を見れば明らかだった。
□
夜、アパートに戻ると郵便受けにいつもの手紙が入っていた。
――尼子冴絵から目を離すな。
中身は相変わらずだった。
ふと見ると尼子の部屋に明かりがついていた。
ホッとした。さすがに今日の今日だけにいつもの夜の外出は差し控えたらしい。
俺はさんざん迷ったが意を決して尼子の部屋のドアのノックする。
すると扉の向こうからドアに近づいてくる足音が聞こえてきた。
「秋月だけど。話がしたいんだ……」
途端に息を飲む気配がした。
だがいつまで待っても返事はない。
「……わかった。筆談でもいいからさ」
駄目だろうと思っていた。
尼子は俺がスクラップノートを見てしまった日以来まともに目も合わせてくれない。
だがドアは開いた。
そこに尼子が立っていた。俯いているのでその長い髪に隠れて表情は一切うかがえない。
なにかを言わなきゃいけないのはわかっているんだけど、うまく言葉が見つからない。
「あのさ、今日は大変だったな。俺あんな経験は初めてで……」
口から出たのはつまらない台詞だった。
でも尼子がうなずくのが見える。
落とした肩に力が入り震えている。
「あのさ……俺はなんにも言ってないから。
警察にもホルモンにもなにも言ってないから」
尼子が恐る恐ると言った感じで顔を上げる。
かけているメガネは火災現場で見る黒縁のものではなく、いつもの薄ピンク色フレームのものだった。
「火事の現場にいつも尼子がいたことも、放火の記事がいっぱい貼ってある尼子のスクラップノートのことも全然言ってないから」
するといきなり右腕を掴まれた。
そして尼子はドアをバタンと閉めると俺を部屋の奥へと引っ張った。
そのままずんずん進んで行く。
「ちょ、ちょっと靴が!」
俺が空いている左手で靴に手をかけたときバランスが崩れて天地がひっくり返った。
音がして痛みがあって気がついたら床に仰向けに倒れている俺の上に尼子が両手をついて覆い被さっていた。
メガネはどこかに吹き飛んでしまったようで素顔の尼子冴絵がそこにいた。
そして大きなクリクリっとした目は潤んでいる。
俺はメガネ姿より素顔の方がいいな、と、この場の空気も読まずにそう思ってしまった。
長い髪が垂れて、俺の頬に触れていた。
そして間近に尼子の顔があった。小さな口から息づかいが感じられる。
「……俺はなんにも言ってないから」
つばを飲み込んだ俺はうわごとのようにもう一度同じ言葉を繰り返した。
尼子の口が一度開きかけた。
だがすぐに真一文字に口元を引き締める。
渾身の力を込めて口を閉じていることで血の気が失せて白くなってしまっている尼子の唇が見えた。
そしていきなり俺の頬に温かいなにかが落ちてきた。
ポタポタとどんどん落ちてきた。
涙だった。
尼子は泣いていた。声を殺して肩を振るわせて泣いていた。
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