第5話 警察来校



 夜、その日もポストには謎の手紙が入っていた。




 そしてベランダから見ると三つ向こうの部屋の明かりは消えていた。

尼子はやはり今夜も外出している。




 そのときケフンと聞こえた空咳に注意を払うべきだった。

だが俺はそのとき教室で拾った屈託無く笑う見知らぬ制服を着た尼子の写真を眺めていたので気づくのが遅れたのである。




「陽が落ちるとやっぱり涼しいな」




 気づいたときは遅かった。

 手すり一つ挟んで隣室の細井さんがベランダに立っていたのだ。

今更写真を隠すのもはばかられたので俺は思いきって写真を細井さんに差し出した。




「誰?」




 俺は写真の真ん中に写る尼子を指さした。




「ああ、あの部屋の子か。史郎くんと同級生の。……でも雰囲気が今とだいぶ違うな」




 そう言って細井さんは俺に写真を返してくる。




 細井さんは俺がなぜ尼子の写真を持っているのかとか、尼子のことをどう思っているのかとか、などは一切尋ねない。野暮じゃないのだ。

 俺は細井さんのそういう配慮が好きだった。




 これが我が家じゃこうは行かない。

あることないことすべて憶測しその上でっち上げの事実までねつ造して大騒ぎになるのである。

俺はそんな生活にもううんざりしていた。




 ……ああ、そうか。




 俺はひとつのことに気がついた。自分でも知らなかった俺の一面である。

 俺が好きなのは互いの心配りと思いやり。

だから言葉は最小限でいい。言葉は少ない方が大事なメッセージが伝わる。




 ……だから俺は声だけじゃなくて、口を開かない少女に惹かれているのか、と気づいたのである。




 だけど……俺はその少女に容疑を抱いている。

信じたい気持ちと疑いの心が俺の中でせめぎ合っていた。



 そのときだった。

 細井さんが、ああ、と、なにか腑に落ちた合点がいったと言いたげな声を出した。




「思い出した。その制服は聖白銀せいしろがね女学館じょがっかん高等部のものだな」




「……もしかして細井さんはJKの制服マニアだったんですか?」




 もちろん冗談だったが細井さんは真顔で否定する。




「おいおい、やめてくれよ。

外回りの営業職だからな、仕事柄いろいろ知っているんだよ」




 俺はもう一度写真を見た。

 そして思い出す。

聖白銀女学館はこの町から電車で一時間くらいの距離にある古い歴史を持つミッション系の女子高校だ。




 確か戦前は女学校だったことから当時から名門家庭の少女ばかりが通学していた。

 そしてその伝統は今でも受け継がれていて、偏差値も授業料もステータスも高レベルなことからエリートの娘たちしか入学できないのである。

 つまり俺の二人の姉などはすべての点において入学資格を満たさないと言う訳だ。




 ……《沈黙のシスター》か。




 写真の少女たちが着ている制服は修道女たちが着る制服を模したデザインだった。

 俺が住む世界とは明らかに異なる上流社会。




 尼子はそこにいた人間だった。

 だがどうしてそんな人間が俺たちの世界レベルにまで落ちて来たのか。わからない謎がひとつ増えた。




「おっと、こうしちゃいられない」




 突然、細井さんが叫んであわただしく走り去る。

 何事と思い町を見下ろすと都道の方にもうもうと煙が立ち上るのが見えた。




 それは昨夜の場所と反対の方角にあった。

 俺は身を乗り出して正確な位置を確認し頭の中で最適ルートを導き出した。




 そのときアパートの敷地から1台のバイクがすさまじい勢いで走り出した。

 あのバイクは間違いなく細井さんだ。




 ――俺が自転車のペダルをこいでいると何台もの消防車やパトカーが追い越して行った。

 道案内をしてくれるのと同じである。俺はそれらの緊急車両の背をひたすら追いかけた。




 現場に到着するとすでに火災は収まっていた。

 大通りに面する資材置き場だった。俺は人混みに紛れて辺りをうかがうと川口たちの姿が見えた。




 俺は見つからないように移動する。今は川口たちにかまっていられない。

 やがて……目指すべき人物を発見してしまった。




 尼子冴絵である。

 昨夜と同じく黒ずくめで黒縁メガネで変装している。俺は正直見つからない方に期待していた。

 見なくてもいい真実だってあるはずだ。




「ホルモンだ!」




 遠くでそう叫ぶ声がした。

 椋田教諭が今朝の演説通りに現れたのである。大勢の逃げ足の音に紛れて俺も移動を開始する。




 そして振り向くと俺と同じように人波に身を消して立ち去る尼子の背中が見えた。

 そしてもうひとつの影を見た。




 俺と同じように尼子冴絵を見つめていたのは昨夜の火災現場と今日の放課後の教室で見かけたあの下級生の少年の姿だった。




 □




 翌朝、昇降口で俺は昨夜も見たあの下級生と出くわした。




 いや違う。正確に言えば待ち伏せしていたのである。

 そして今は他の人の姿が見えずチャンスだった。




 下級生は明らかに俺を視認していた。

 目が恐怖ですぼまるのがわかる。昨日の放課後に俺の顔をはっきり見ているのだからそれは当然だ。




 下級生はううっ、と声を漏らして俺の脇をすり抜けようとした。

 だが俺はそいつの首根っこを掴んで勢いを止めて自分の体重を利用して強引に床に座らせた。

 そして俺も目の前に座った。




「一昨日の夜と昨日の夜の火事現場。そして昨日の放課後の教室」




 俺の発言に下級生は動きを封じられたままの状態でビクッと反応した。




「尼子冴絵を知ってるな……?」




 また反応した。わかりやすいヤツだった。

 こいつは間違いなく尼子のなにかを知っている。




 さて、なにから尋ねようか、そう思ったときだった。

 朝礼開始を告げるチャイムが一小節流れたときに突然プツンと音声が途絶えて、あーあーというマイクテストを行う胴間声が聞こえてきたのである。




 《えー、今から告げる生徒たちは大至急校長室に集まりなさい。

 二年二組秋月あきづき史郎しろう。同じく尼子あまこ冴絵さえ

 一年三組室山むろやま俊郎としろう……。繰り返します……》




 最悪な気分だった。

 声の主はホルモン。ここまで悪寒を催す声も少なくない。

 俺は立ち上がり足元の下級生を見下ろした。そいつは全身で震えていた。




「もしかしてお前が室山敏郎か?」




 俺が尋ねると下級生は何度も頷いた。




「行くぞ」




 俺は軽く肩を叩く。




「聞こえないのか? 室山俊郎」




 その一言で一年三組の室山俊郎は弾かれたように立ち上がる。

 ハイッという直立不動の返事付きだった。




 校長室の前に来ると廊下には教師のひとりが手招きしていて校長室の隣の会議室に案内された。

 並べられた長い机のいちばん窓際にすでに尼子が座っていた。足下がスリッパだった。




 上履きを忘れたのだろうか? 




 口を開かない。そして俺と室山の姿も見ない。

 俺は大した理由もないが尼子の席の隣のイスに腰かけた。

 すると室山がその隣に座る。誰もなんにも話さない。なんとも奇妙な三人組である。




 震えているのは室山だけだった。

 室山は油断すると恐怖に負けて俺にすり寄るのでそのたび俺は手で押し返す。




 ふと窓の外を見た。

 駐車場にパトカーが2台停まっているのが見えた。どうやら事態はかなりヤバイらしい。




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