第4話 黒い疑問の塊
朝礼前の教室は気がつくとざわめいていた。
時計を見ると朝礼開始から十分が過ぎているのにまだ
なにかあったんじゃね? 誰かの声が聞こえてくる。
だがそのとき廊下から足早にやって来る複数の足音がした。
ドアが開くと猪口先生、そしてその後ろにはホルモンの姿があった。
ホルモンの顔は険しく威圧的であった。
「昨夜の火事現場で当校の生徒らしい姿が数多く見られた。
……馬鹿野郎! 他人様の不幸に興味本位で集まる貴様たちは最低だ! 人間のクズだ!」
この後も学年主任で生活指導担当のホルモンこと
要するに次に会ったときは覚えてろよ! と言いたいらしかった。
担任の猪口先生は立場上ホルモンに逆らえないのだろう。終始無言で立っているだけだった。
やがてホルモンが去った。
そしてようやく自分の番が回ってきた猪口先生が月に一度の恒例行事である席替えを提案したのであった。
――席替え。その言葉に俺の記憶が反応した。
《席替え》にも俺が尼子冴絵とのエピソードがあった。
尼子が同じアパートに引っ越して来て、そして俺が風邪を引いて学校を休んだ三日間の次の日のことである。俺はその日も尼子と会話をしたのだった。
その朝一番に通院したことで俺の登校はもう昼近くだった。
教室に入ると誰の姿もない。すると黒板に授業が視聴覚室で行われることが書かれてあった。
時計を見ると授業の残り時間ももう少ないので俺はそのまま教室に居座ることにする。
今から出向いてもどうせ帰ってくるクラスメートと廊下で鉢合うだけだ。
自分の席に座り教科書やらノートやらを机に入れようとした。
するとすでに机の中は中身がいっぱい詰まっていた。
「……あれ?」
そのときはたちの悪いいたずらだと思った。
だから俺は力任せに中身をずいと抜き出した。
なんだこれ……?
俺の両手からあふれて床に落ちたものは本の束だった。
小難しいタイトルの聞いたこともない題名ばかりで読みかけなのか栞がいくつも挟んである。
俺はあわてて落ちた本束を拾い集めた。
するとその中の一冊が目についた。
ノートだった。
見た目は学校の売店でも売っているありふれた物だったのだが厚さが全然違った。
元の厚さの数倍も極厚で中身がぱんぱんになっている。
ちょっとした辞書くらいもあったのである。
俺はノートを開いてしまった。
するとそこには新聞や雑誌の切り抜きや、ネットニュースの記事や掲示板の書き込みをプリントアウトしたものがびっしりと貼られてあった。
そしてそこかしこに赤ペンで線を引いたり小さな字でいろいろと書き込みが加えられている。
つまりはスクラップノートだった。
ぱんっ――。
小気味の良い音がした。
俺の頬に熱さと痛みが同時にやって来た。
本で叩かれたのだと気がついたのは、振り向いた先に少女が立っていて片手に本を握りしめ無言で俺を睨みつけていからだ。
それは間違いなく四日前に俺の住むアパートに引っ越してきたあの少女だった。
(あ、あのときの……?)
初めて会ったときと同じく薄ピンク色フレームのメガネをかけていたので見間違えるはずがない。
ここで俺は《沈黙のシスター》と呼ばれる転校生が尼子冴絵のことだったのだとようやくわかった。
だがしかしである。
クラスメートの女子生徒から本で殴られる。
そんな突然の展開に俺はあわてていた。
そしてなにかを言おうと口を開いたとき驚いたことに尼子が俺に抱きついて来た。
いや、違う。
正確には俺に掴みかかって来たのだ。
呆然と立っている俺の肩に左手を置いて尼子は俺の頭上に右手を精一杯に伸ばす。
俺はこの事態がわからないままに尼子の細くて白い二の腕をぼんやりと見つめていたのだが、次の瞬間その理由に気がついた。
動転していた俺は分厚いノートを頭上に掲げていたのである。
「……ごめん」
とにかく謝ろうと思った。
そして右手を降ろしノートを差し出すと尼子はそれをひったくり胸の前で大事そうに抱えた。
見回すと教室には俺と尼子以外誰もいない。二人だけの空間であった。
「……このこと……誰かに言ったら、もう知らないから」
そんな風に聞こえた。
この純粋なまでに透き通った声。
……消えてしまいそうなか細いその声が小さく開かれた唇から漏れた尼子の声なのだとわかるのに少し時間がかかった。
なぜならば尼子はまたその大きな目から涙をはらはら流していたからである。
やがてガヤガヤと大勢の喧噪が聞こえた。
クラスの連中が戻って来たのである。そして教室に入ろうとした刹那、全員の呼吸が止まるのがわかった。
「……あ、秋月!
お前、沈黙のシスターをボコったのか?」
立ち尽くす俺、そして涙を流す尼子。
この状況は川口の目にはそう見えたようである。
尼子はその言葉を否定するために首を大きく振った。
そして無言のまま床に落ちた机の中身を片付ける。
あわてた俺も手伝おうと手を伸ばしたが手首を掴まれた。
そして俺をキッとにらむ尼子。クラス全員のどよめきが起こったのであった。
そしてこのシーンのその後だが、俺はスクラップノートのことをクラスの連中に触れ回る訳がないし、もちろん尼子も口を開いて説明することも決してない。
そのためなんかがあったがもう解決したようだという雰囲気が広がってうやむやになってくれたのだった。
そしてだ。俺の席になぜ尼子の私物が入っていたか。
そのことは後から聞けばどうしようもないほど簡単な理由だ。
俺が欠席している間に席替えが行われていただけのことだった。
こういう事件があって《沈黙のシスター》と呼ばれる転校生が尼子冴絵のことであることを俺は間違いなく確実に知ったのだった。
□
我に返るとクラスの席替えはすっかり終わっていた。
欠席である尼子の新しい席は教壇の真ん前で俺の今度の席とはずいぶん離れてしまっていた。
そしてその日の放課後のことである。
西日が差し込む教室に忘れ物をした俺はひとりで戻って来た。
すると誰もいないはずの教室に人影が見えた。その人物はクラスメートではなかったが、その姿は見覚えがあった。
昨夜の火事現場で俺にぶつかって転んでメガネを落とした小太りの少年だった。
(……この学校の生徒だったのか)
少年は誰もいない教室の中で次々と机の中をあらためていたのである。
「なにしてんだ?」
少年は俺の声に反応してびくっと跳ね上がった。
メガネの奥に恐怖で引きつった目が見えたその瞬間、少年はものすごい勢いで教室から飛び出して行った。
(……一年生か)
逃げ去る上履きの色でそれがわかった。
気がつくと床の上になにかが落ちていた。
あの下級生が落としたものだった。
俺はそれを拾い上げた。すると次の瞬間に息が止まった。
それは見知らぬ制服を着た尼子冴絵の写真だった。
友人たちと肩を組んで屈託なく笑う尼子のその姿は、今とはまったくの別人に思えた。
――そう言えば、あのときのスクラップノート!
俺は尼子の席を調べた。
これじゃさっきの下級生と変わらないな、と自責の念が起こる。
だがどうしても確認すべきことがあったのだ。
しかし……ノートはなかった。
俺が見てしまったあの日のうちに尼子が持ち帰ってしまったのかもしれない。
そう。俺は実は気づいていた。
あのとき見てしまった尼子の分厚いノートにスクラップされていた内容は……、すべて火事のニュース、しかも連続放火事件の記事だったのである。
――尼子冴絵から目を離すな。
このメッセージは尼子が放火犯人だと示唆しているのか?
謎の手紙はそのことを伝える警告文なのだろうか……?
否定したい気持ちは強い。
だけど俺の中には尼子冴絵に対する黒い疑問の塊が生まれ始めてしまったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます