2日目、戦風

 拓真は外したインカムを机の上に置き、ため息を吐いた。成安はパソコン画面を自分に向けると、拓真に言った。


「結果的に、これで私の謝罪は免れた。ひとまず一件落着だな。意外な結末だったが、正直なところ、私は安堵している」

「まぁな……後味は悪いけどな」

「君の気持ちは分かる。だがここにきて、わざわざ犯人は他にいると言う必要はないだろ? それこそ、余計な混乱を招き入れる」

「わかってる。頭では理解してるし、そうしたほうが穏やかに事が済むってのも理解している……でもな、俺はモヤモヤを抱えてんだ」

「だろうな」


 成安はキーボードを叩き、カタカタと音が鳴る。今高はスマホを机に置き、画面を眺めたまま、拓真に言った。


「俺も成安と同じ意見だ。遠藤には申し訳ないと思うけどさ、俺達も学連の看板を背負っている以上、下手なことはしないほうがいいと思う、藤本は残念だろうけどさ」

「僕も、今高や成安と同じ意見だよ」


 拓真は眉毛が移動する國丸のほうに視線を向け、ため息を吐いた。拓真にとっては、情けない結末になったのだ。

 黒咲の涙に感情を揺さぶられ、遠藤の想いを汲み取り、その背中を押すために推測し始めたこの事件。小野田や相葉も拓真のためにと、協力もしてくれた。板野も揺さぶり、事件解決のために猿芝居もうった。だが、それは遠藤自身の行動により、事件を推測する必要が無くなってしまった。これでいいのかと悔むも、拓真にはどうする事も出来ない。仮に、いま証拠が出てきたとしても、どうするべきが正解なのかは、多数決をすれば、伏せたままにしておくべきだろうと、そう結論が出るだろうと予測していた。

 だが、拓真にとって、1つだけ確かめたい事があった。それは―――。

〝なぜ遠藤の矢摺籐に色を塗ったのか〟である。

 それは弓道家として、あるまじき行為である事に変わりはない。遠藤を意図的に失格とするため、拓真はそう考えているが、推理を重ねていくうちに、他にも理由があるのではないかと考えていたからだ。

 立ち稽古で板野の射を見たとき、確かに鈴木は心を動かした。それは、自分が犯人じゃないと認識した。だが……鈴木の一連の行動は、板野に対し何らかの意図をもっているからそこ、行動しているのだとも感じていた。それゆえ、拓真は鈴木から事の真相を、矢摺籐に色を塗った理由を聞きたかった。

 インカムのノイズが鳴る―――だが、拓真はイヤホンを持とうとしなかった。成安は耳に着けたイヤホンに手を添え、拓真に視線を向ける。今高は飽きれたように、拓真に言った。


「……おい藤本、なんでイヤホン着けねぇんだ?」

「ああ……スマン」

「前も言ったろ、俺達は練習試合の運営に来てんだからさ。お前の身勝手な行動は良しとしても、本来の目的を忘れんな。俺達がグダグダな事やるわけにはいかねぇんだからさ」

「………わかってる」


 その時、控室のドアが開いた。そこには、4人の女子役員の姿。昼食だろう。拓真はそう思い、机の上に置いたインカムを腰につけ、イヤホンジャックを引き抜いた。線を懐にしまうと、控室を出るべく席をたった。拓真の表情は、嘆くかのように輝きを失っていた。

 女子役員と入れ替わり、廊下へと出た。拓真の様子に学連役員の7人らが視線を向け、ドアがパタンと閉まるまで、見つめ続けた。


「わかってる、わかってるけど……これが正解だと思わねぇんだよ。もっといい方法があると思うんだよ……どうしてか、いつもいつもこうなるのか……あの時もそうだ」


 拓真は静まり返った廊下を歩き、射場へと入っていく。神棚にゆうをして、盛られた土を見つめた。そこにはもう、的はない。広がる緑色の芝生と、無機質な土の山のみ。

 過去を回想した―――。

 拓真が大学2年生の時で、上の代には3年生、4年生の代が、それぞれ8人づついた。4年生にとっては、それが学連としての、最後の試合運営だった。

 拓真は去年、夏季にある地方大会で、ある選手の犯則を見抜いた。それはその選手が退場する時、悔むような選手の表情とは別に、矢摺籐をコネる動作をしていたからだ。そこには、隙間はなかった。だが、矢摺籐と同じ色で塗られた、ヘアゴムのようなものが巻いてあったのだ。ゴムをひっくり返せば、黒い面が見えるように細工してあった。それを見た拓真は、その選手に失格を告げたのだ。それも、上の学年がいるにもかかわらず、拓真の独断で。

 その時、上の代の学連らは、こう言った。

〝どちらにしても、的中は「✕」だ。わざわざ報告する必要はない。学連の運営能力が問われる、闇に葬れ〟

 拓真は激怒した。上の代に声を荒げ、吠えた。当然、猛反発された。

〝組織として、藤本がとっている行動はおかしい。判断するのは、お前じゃない〟

 結果的に、その選手は失格とならなかった。隠ぺいされたからだ。その時、拓真は心に誓った。俺達の代は、そんな事は絶対しない。

 それから時は過ぎ、今では後半の代は8人。上の代も引退した中、拓真達は学連のトップとして、ここに来ていた。

 それなのにと……拓真は的が設置されていない土の山を見つめ、唇を噛みしめた。情けないと、ぼやいた。


「あ、拓真さん!! いたいた!」


 その声に、ハッとなり振り向くと、そこには無邪気にも笑う板野がいた。茶色いサイドポニーをゆらし、スマホを片方に拓真に歩み寄ってきた。拓真は悲愴感を振り払い、板野のスマホ画面を見た。


「え……これは!?」

「証拠じゃない!? これこれ!! 誰かが私にメールしてくれたんだって!!」


 その画面には―――和弓が写っていた。おかしい。拓真は画面を疑い、そんなハズはないと、ありえないと、動揺した。

 そこには―――。

〝黒い握り皮の右側面に、隙間があいた矢摺籐に赤い色を塗る画像があった。手元のみ映っているが、それが誰だかは分からない〟


「なんで……そんな写真が………」

「そんな事よりもよ! これどうしたらいい? 拓真さんに送ればいいかしら?」

「………そうですね、名刺を渡すので、そこのメールアドレスに送ってもらえませんか?」


 拓真は懐から小さなサイフを取り出し、自分の名刺を板野に渡した。その名刺を見て、板野は驚いたように口元を塞いだ。


「藤本拓真さんって、運営委員長なんですか?」

「そうです。大会運営を統括する、現場サイドでの最高責任者です。といっても、学連の委員長とは別ですけど」

「そうなんだ? まぁ、とりあえず送っときま〜す。でもこれで、犯人を特定する証拠になるんですよね?」

「…………はい。その通りです」

「やった! これで誤爆は無くなったわ!」


 板野は心を弾ませるように、拓真に背を向けた。そして射場から退場する間際、笑顔で拓真へと向き直った。


「じゃあ、よろしくお願いします! 名推理、待ってますから!」

「はい。あ、板野さん」

「はーい?」

「お願いがあります――――」


 *


 板野の背中が視えなくなり、拓真はもう一度土の山を見つめた。腕時計で時間を確認する。そして、腰に引っかけたインカムを右手に持つと、側面のスイッチを親指で押した―――。

 サザっとノイズが鳴る―――。


「藤本です、証拠が手に入りました。これより、例の演出にて、練習試合に参加した選手達の前で推理パフォーマンスを行います」


 電子音が鳴り止み、慌ただしくノイズが鳴る―――。


《はぁ!? お前正気かよ!!》

《クソが! 神ヒーローガチャ5回だ!》

《マジか……うん》

《はーい、了解でーす》

《え? え? 犯人わかったん!?》

《あちゃぁ〜まぁ仕方ないかぁ……》

《ついに推理だね! かしこまりました!》


 拓真のスマホが数回ほど振動した。

 風が吹く―――拓真の袴は、なびいた。

 インカムにジャックを差し込み、クリップを懐につけ、イヤホンを右耳に装着する。紺色の弓道衣の襟を正し、肩まで伸びた襟足をかき撫でる。

 拓真は射場に入ってきた女性に目を向けた。神棚に浅い礼をし、拓真と向かい合うように立ち止まる。

 静かに黒いポニーテールを揺らす鈴木舞香。その瞳は鋭く、拓真を睨みとらえる。拓真は穏やかな目で鈴木を捉えた。


「閉会式ですね、襟足の長い学連さん」

「そうですね」


 鈴木は余裕の笑みで、拓真を捉える。それは獲物を射るかのように鋭く、不動たる自信を感じているのが分かる。それはまるで、キリキリと和弓が軋む音を鳴らし、番えた矢が拓真に向くかのように。

 拓真はゆっくりと右腕を伸ばし、水平にする。親指に添えた人差し指と中指を弾いた。矢は放たれ、拓真の側面を駆け、矢風を鳴らす。

 拓真の襟足は―――なびいた。


「放たれました」

「……………?」


 鈴木の目は困惑したようになり、頭上に「?」とマークが浮かび上がるかのように首を傾げた。だが拓真は動じない。拓真が目を閉じ、もう一度目を開けたその瞳には―――獣が宿っていた。狩人を威嚇するかのように、拓真の襟足は逆立つ。

 そして拓真は、決め台詞を放った―――。


「この事件、推理出来ました。オレ、人の想いとか好きなんで」

「…………?」


 戦風―――拓真は、勝利を確信していた。やがて、学連役員はそれぞれ、拓真が考えた推理パフォーマンスの準備をし始めた。


 眼鏡を曇らせ、機材を手に持ち射場に入ってきた成安。

 後ろ看的では、しかめっ面で的を手に持つ今高。

 前看的では、猫になりながら的を手に持つ。國丸。

 遠藤の和弓を持ち、面倒くさそうに射場を目指す小町。

 手にプレートを持ち、意味もわからず後ろ射場側の矢取り道を歩く寺尾。

 プレートを抱え込み、前射場側にある応援席を、しぶしぶ歩く伊田。

 ニコニコとしながら、マイクを手に持ち放送席へと向かう安井。


 拓真の腕時計の秒針は―――。


〝タイムリミットまで、あと20分〟





 

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