1日目、緑の鬼!
相葉は手に持っていた的を真横に放り投げ、凄みを利かせオーラを解き放つ。熊でさえ逃げ出すほどの威圧感。
拓真は相葉の動きに注意しつつ、相葉を睨む。
「どいてくれよ~。じゃないと君もボコボコにするよ?」
「まて!! ここで問題を起こせば、お前は警察沙汰になるぞ!?」
「いいよ別に、慣れてるし」
相葉は静止しようとする拓真をあざ笑うかのように言い放った。相葉は本気だ、拓真は危険を感じた。切り抜けれないのか……そんな心理も働いた。
相葉は威嚇するように拳をボキボキと鳴らす。
咄嗟に拓真はインカムのジャックを強引に抜き払う―――インカムの横にあるスイッチを押し、叫んだ。
「
突如飛んできたアフロの右ストレート、拓真は体を反らせ、紙一重で左に避ける。ブンッと音が鳴ったかのような錯覚──拓真は歯を食いしばった。やるしかない。
拓真は相葉の右腕を掴み、背後にまわる。羽交い締めで相葉の動きを封じた。
「へぇー僕と拳で語る気なんだ?」
「小野田なにやってんだ! 早く逃げろ!!」
「は、はい―――」
小野田は情けない格好になりながらも、這い出るように看的小屋から飛び出た。
抵抗しない相葉、それでも拓真は力を込め、相葉を静止しようと声を掛ける。
「お前と拳で語る気はない、冷静になれ! 頭を冷やせ!」
「冷静? 頭を冷やせ? 僕は冷静だよ―――うわぁぁ!」
相葉は瞬間的に力を込め、拓真の羽交い締めを振り払う──まずい、看的小屋の中にある道具が壊れる。拓真は仰け反りながらも、看的小屋から矢道へと飛び出た、後ろを向くと、相葉も勢いよく飛び出てきた。
「やめろ! ここは矢道だ!」
「関係ないんだよぉぉぉぉ! ああああ!!」
相葉は芝生を蹴り込み、拓真に殴りかかる。拓真は舌打ちをしながら体を反転させ、相葉の打撃を受け流すようにその手を弾く──右、左と弾いた。
「よけるなぁぁぁぁ!!」
「くそッ本気でやる気かよ!?」
打撃を弾いた直後、拓真は相葉の体を転倒させるべく、両足で芝生を踏み込み相葉の弓道衣を掴む。腰を落とすと同時に相葉の体重を乗せたそのベクトルは、時計回りに大回転。──グルんと勢いよくぶん投げた。
相葉の袴は風に吹かれたカーテンのように広がる。だが横転する寸前、相葉は腰を落とし踏ん張った、足元の芝生が散る。
「ふざけんなあああ!」
「なんつう身体能力だっ―――」
憤るように相葉が叫ぶ。その間拓真はサンダルを脱ぎ捨て、後ろ看的側の矢取り道を横切った先にある場所、遠的用の矢道へと駆ける。
拓真が矢道を抜けた直後、黒髪短髪の男、紺色の弓道衣を着た今高とすれ違う。砂利が擦れる音を鳴らしながら、拓真は腰にあるインカムを抜き、今高に投げた。
「今高! サンダルも頼んだわ!」
「おう」
今高は飛んで来るインカムを受け取ると、ため息を吐いた。何やってんだと言いたげな表情である。
拓真は矢取り道を抜け、先ほどの倍の広さがある矢道の芝生を踏みしめた。
「待てえぇぇぇぇ!」
「くそ、なんだよこのアフロ―――」
相葉の力声に振り向いた拓真、同時に相葉は拓真に掴みかかる。2人は芝生上を数回転ほど転がり、相葉は拓真の上に馬乗りになった。
「僕のが強いんだあああぁぁぁ!」
「このマリモ野郎ぉぉぉ!」
相葉が左手を振り上げたと同時に、拓真は右手足で芝生を跳ね押し、反時計回りに体を捻じる。バランスを崩した相葉―――そのまま一気に跳ね飛ばす。
「いい加減にしろ!」
「マリモ………マリモって言った……」
起き上がった相葉はクシャクシャと頭を掻きむしる。拓真はバックステップで相葉と距離をとる、大きく袴がなびいた。
「君、もう許さない」
「お前弓道家だろ! 弓道場で暴れてなんとも思わねぇのか!?」
「ふうううぅ―――――」
マリモと罵られた相葉は憤慨した。相葉は大きく深呼吸したあと、両手と上半身をだらんと垂らす。その背後には射場と似たような作りをした選手控室。弓道着を着た選手達が2人の様子を興味深く観察していた。
「ギャラリーかよ……誰かとめて―――」
「コオオオオオ!!」
「なんだよその構え……ボクサーじゃねぇか!!」
第二形態へと
相葉は両拳を構え、軽快なステップを踏みながら袴を揺らす。その瞳は鬼のように鋭く、拓真を睨んでいた。相葉はフーフーと荒く呼吸しながら、左右の拳をリズミカルにワン・ツー・スリーとぶん回す。拓真は怖じ気つく───相葉は芝生を踏み込み前進!!
「シュ―――シュ――」
「くそ、はええ!?」
相葉は拓真にスピリットを叩き込む──拓真は両足を踏み込み、なんとか避けていく。相葉の二の腕を弾き、打撃を左右に受け流す。しかし、相葉のその連打は、とどまるどころかその勢いを徐々に増していく──まずい。拓真の額に汗が滲む。
ギャラリー達は興奮していた、救いの手はないのだろうか。
「シュコオオオオオ―――」
「うおぉ!?」
相葉は腰を落とし、拓真の顎を狙う──拓真は正気かと疑いながらも、咄嗟に体を後方に反らす。間一髪、相葉は宙に浮くように、右手は真っ直ぐと空に昇った。
だが拓真は相葉の袴の動きに注目する──蹴りがくる。拓真は左手足でその蹴りを防ぐも、姿勢を崩し勢いよく跳ね飛ばされた。
「なんてやつだよ! 目を覚ませ!」
「君もマリモって言った……許さない……」
拓真は横転したあと起き上がるも、ただならぬアフロの気迫に圧倒されそうになる。
その時だった──サイドポニーの板野が拓真に叫んだ。
「水よ! 相葉の頭に水をかけて!」
「みず!?」
「相葉の大学の部員達から聞いたの、興奮した相葉を静めるには、水を頭からぶっ掛けろって!」
そして、バケツに水を汲んだ小野田が矢取り道から走ってきた。相葉の視線が小野田のほうに向いた。
「拓真さん! 俺が相葉に水をぶっ掛ける! 俺が招いた種だ、俺にやらせてくれ!」
「フーフー」
「くそッ、分かった! おいマリモ、こっちだ!」
「またマリモって言ったあぁぁぁぁぁ」
相葉は再び拓真に突進していく。拓真は腰を低くし、捨て身の体当たりをかますため前進。
拓真は腰を落とし、相葉が放つ右ストレートを避ける。飛びかかるように、相葉を正面から押し倒す。拓真は馬乗りになり、相葉の両手を力いっぱい抑え込んだ。
「マリモって言ったあぁぁぁぁぁ!」
「くそ、はやくしろ!!」
「うおおおぉぉぉぉ──!」
小野田はバケツを両手でかかえ全力疾走。跳ねる水が小野田の顔と弓道衣を濡らす。暴れる相葉を必死に抑え込む拓真───。
その距離、5メートル───3メートル───1メートル。
バシャ──。バケツからは滝のように水が溢れ落ち、相葉の頭を濡らした。藻のように小さくなった緑色のアフロ。相葉は、言葉を失くした。
拓真は相葉を抑え込む力を、徐々に緩めていく。やがて相葉から離れると、安堵した様子でため息を吐いた。
拓真は怯んでいるかのような小野田を見ると、こう言った。
「小野田さん。なんで相葉がこうなったかはだいたい予想出来る。ただ、俺は真剣にこの事件を推理しようと思ってんだ。ぶっきらぼうに人に当たり散らす前に、話を聞かせてください。今日の昼休憩中、何をしていたかを」
小野田は落ち込んだ様子で、空になったバケツの底を見つめた。そして「はい」、と。まるで拓真の襟足を馬鹿にしていた事を反省するかのように、覇気のない声だった。
拓真は選手控室でスマホを持っていた板野にも言った。
「板野さん。あなたにも聞きたいんです、今日の昼休憩中の事を」
「ええ、分かってます。それにしても拓真さん、お強いんですね〜」
「昔、とある道場でしごかれてましたから……そんだけです」
拓真は乱れた袴の着付けを直したいと思いながらも、右手で襟足をかき撫でた。水滴が散る。濡れた右手の指に、必要以上の冷たさを感じながら……。
今高が持っていた拓真のインカムから、ノイズが鳴る―――。
《なぁ、あいつさっきから何やってんだ?》
《しらね、襟足の血が騒いでんだろ》
隣の射場では、赤旗は無くなり、再び弦音の音が響きはじめた。
稽古が再開された。
*
時刻は17時05分、腕時計から視線を3人に戻した。
拓真は巻藁練習場の隣にある座敷に座っていた。座敷には背の低い机があり、そこを囲うように頭を乾かした相葉と、小野田が座っていた。襖は開いており、目の前では板野が巻藁に向かって、弓を引いていた。
カシュン―――と弦音が鳴り、巻藁に矢が刺さる。板野はそれを抜くと、弓と羽のない矢を持ったまま、座敷へと身体を向けた。
拓真はシャーペンを持ちながら、3人に問う。
「それで、板野さんは射場に弓具を置いたあと、すぐ退出されたんですね?」
「そうよ。遠藤さんの矢摺籐には細工がしてある事は知ってたわ。噂でだけど、だからってわざわざ赤く色を塗ったりなんかしてない」
「じゃあ、2人は昼休憩になってすぐに射場に入った、その時射場には誰もいなかった。その後は昼休憩が終わる直前に入っただけと?」
「そうよ。私は相葉くんより先に射場を出たけど、その時は誰ともすれ違ってないわ」
相葉は小さな声でボソボソと喋る。
「はい、僕も別に矢摺籐を触ったりなんかは………」
「だから、私と相葉くんは無実。っていうか、そもそも赤いマジックなんて持ってないし」
板野がそう言うと相葉はうつむき、頷いた。
板野の両爪には赤いネイルが塗ってあるものの、本人はたまたまと言っている。こげ茶のサイドポニーも、オシャレに気を使っているとの事だ。
拓真は言葉を続けた。
「そうですか。じゃあ小野田さんは?」
小野田は腕を組み、相葉のほうを見た。
「俺が射場に入ったのは昼休憩で飯を食ったあとだ。時間は覚えてないが、相葉と廊下ですれ違った」
「僕は……道具の手入れをしてたから、結構射場にいました。その時、他の選手達は来てませんでした。その、中仕掛けを調整してたんです……終わったら、小野田さんとすれ違いました」
矢をつがえた際、擦り減っていく部分である。木工用ボンドを塗り、手のひらサイズほどの木(
「俺は弓具を置いたらすぐに射場を出た。玄関から自販機まで行くとき、あのポニーテールの女と、おさげ髪の女とすれ違ったけど」
「その時、2人と何か話ましたか?」
「ああ。射場に行ってたのって聞かれたから、そうだと言った」
「そうですか……」
拓真はメモを取っていく。並べた時系列と証言を簡単にまとめ、射場にいた時間帯に目を通す。
小野田に聞くところ、決勝戦の15分前ほどに射場に入ったときから、決勝戦に残った選手達が集まり始めていたとのことだ。板野も相葉もそのくらいの時間には射場に戻っていたと言っている。
昼休み、射場にいた人物と時間。
鈴木。12時00分前後。12時30分~。
黒咲。12時05分頃。12時30分頃。
板野。12時10分頃。
小野田。12時25分頃。
相葉。12時10分頃~12時25分。
現時点で、遠藤を除くこの5人の中に色を塗った者はいない、という事になった。
だが射場での出入りは、この5人のうち誰か1人は射場にいた事になる。そして、鈴木と黒咲の話では、昼休憩中の間に赤く塗ってあったと言っている。
つまり、第3者による犯行は難しいと考えた。
「ねぇ、拓真さん。私が思う犯人なんだけど、言ってもいい?」
板野はニヤリと笑い、口元に左手の指を添えた。拓真は巻藁練習場の入口に目を向けた。相葉は驚いたように後ろを振り向く。小野田は立ち上がると、巻藁練習場から廊下に顔を出し、キョロキョロと周囲を見渡した。
小野田と相葉が言った。
「あの……それは、誰ですか?」
「僕は……僕は……」
相葉の顔は強張り、小野田はゴクリと唾液を呑んだ。
拓真は腕を組み、静かに板野を注視した。
「私が思う犯人は、鈴木よ」
板野は口角を上げ、色っぽく笑う。左にあるサイドポニーをなでると、指にしていた赤いネイルが一瞬キラっと光る。
小野田と相葉は、板野の魅惑に酔いしれているようだ。
だが、拓真は動じない。
「なぜ、そう思うんだ?」
「なんとなくよ、女のカンってやつね。あの子、賢そうだし」
「なんとなく……ね、はぁ。なんとなくね」
鈴木や黒咲が昼休み中に何をしていたのか、拓真は板野達に伝えていない。黒咲の悲しむ姿に心打たれた拓真にとって、黒咲だけは犯人であってほしくない、といった個人的感情もあるため、ため息を吐きながらも内心安堵した。
板野は拓真の反応に、若干口元を尖らせているが、小野田と相葉は互いに顔を見合わせ、何かを共有しているようだった。
拓真は時計を見る。そろそろ1日目の練習試合が終わる頃である。
「貴重な練習時間を使って、話を聞かせてくださり、ありがとうございました。そろそろ戻りましょう」
「え、もうおしまい? 私達には鈴木さんが何やっていたとか、話してくれないの?」
「はい、不要な争いを引き起こしても駄目なので。それは言いません」
「そっか、まぁ仕方ないか~」
拓真は冊子にメモ用紙を挟み、落ちないように弓道衣の懐へと突っ込んだ。板野はスマホを操作しながら廊下へ。相葉も巻藁練習場を退出し、廊下を歩いていく。
拓真は座敷の襖をパタンと閉めた。控室に戻ろうと振り向いた拓真の前には、表情を硬くし、その場に突っ立っている小野田がいた。
「小野田さん、どうしたんですか。戻らないんですか?」
「あの……、さっき相葉との件を解決してもらった礼もある。もし俺に何か協力出来る事があったら、言ってください。さっきは情けない姿を見られちまったけど、気は強いんです、俺」
「そうですか、ありがとうございます。もし困ったことがあったら、何か頼むかもしれません。その時はよろしくお願いします。さぁ、戻りましょう」
「あの、さっきはありがとうございました!!」
拓真に深く頭を下げたあと、少し駆け足のような様子で廊下へと出ていった小野田。拓真は小さくなった背を見届け、巻藁練習場を後にし、役員控室へと戻っていく。
廊下では、弦音と破裂音の鳴る回数が減ったかのように思えた、それはまるで、選手達の疲労を示唆するかのように。
1日目の練習試合は、終わりを迎えようとしてた。
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