第2章 捜査
1日目、アクシデント
小休憩も終わり、射場では合同練習が再開された頃、拓真は役員の控室にいた。パイプ椅子に座り、冊子に記載された大会運営のスケジュールを確認しながら、青いマーカーで色を塗っていく。
練習試合、1日目の終了時間は17時30分。
2日目、開始時刻は9時00分。
2日目、12時00分から昼休憩。
2日目、13時30分から表彰式、閉会式を執り行い、練習試合の終了時刻は14時00分。
事件解決までのタイムリミットは、閉会式が始まる前までだと拓真は考えていた。
次に具体的な練習内容をマークしていく。
2日目の9時00分からは各校合同による射込み稽古、10時00分まで行う。
小休憩を挟み、各大学で試合を想定した立ち稽古をする。立ち稽古は今日の午前中も行ったが、編成されるチーム人数が変わるのだ。
拓真はマーカーからシャーペンへと持ち替えた。
表彰用の賞状が入ったトレーを持っていた小町が言った。
「ねぇ、ふじっピ。さっきインカムで流してた事だけど、本気で犯人探すつもりなの?」
拓真はシャーペンを持ったまま、小町に顔を向けた。女子系列を統括する委員長、つまり女子役員のリーダーだ。
肩ほどまである黒髪を白いシュシュで結んだ女性、小町は机の上にトレーを置くと、ポットの横にある急須を持ち、お茶を準備し始めた。
「本気だよ。つってもまだまだ情報不足だからな、情報募集中」
「ふ〜ん。応援はするけど、私の場合ほとんど賞状作成や、来賓の接待でこの事務所にいたからさ。ほとんど何も知らないよ~」
「まぁ、何か情報が分かったら頼むわ」
「別にいいけど。はい、緑茶」
「お、ありがとう」
小町は慣れた手付きで、湯呑みに入ったお茶を拓真の前に置くと、パイプ椅子へと腰掛けた。拓真は腕時計を見る、16時07分。シャーペンを冊子の上に頃がすと、緑茶をすする。
「ちなみに小町は、遠藤の弓に細工した選手、直感的に誰だと思う?」
「うーん……あんまり当てずっぽうで誰が、とか言いたくないんだけど。しいて言うなら小野田さんかな? ちょっと見た目が怖いし」
「小野田さんか、なるほどね」
鈴木と黒咲の話を信じるなら、証言では相葉、板野、小野田の3人、そのうちの誰かが色を塗った可能性がある。
だが昼休憩中に、射場に出入りした人物が他にもいる可能性があることから、仮定の話である。そもそも小野田と板野がどのタイミングで射場に入ったかのか分からないのだ。
鈴木は5人全員が射場に出入りしたと言っていた。「またのご利用を〜」とか言っていた鈴木の言葉からして、拓真の中ではジュースを稼ぐために、あえて言わなかったのだろうかと考えるが、それより気になるのは残る3人の証言である。
「そういえば、ふじっピ。射場の監視は成安だけ~?」
「そうだよ。射込み練習だし、成安なら何も問題ないだろ。俺と運営に対する感覚、そのやり方も違うし、今はかえって1人のほうがいい」
「あはは、確かに言えてる。ふじっピと違って、なりっピは真面目だからね〜」
「真面目っていうか、とにかくメモをとる成安が慎重なだけだと思う。書類作成とかは助かってるんだけどな。俺は感覚派なんだよね」
「そうだね、そういう事にしとくよ~」
基本的に射場の運営は、成安と拓真が二人で進行を管理する。立ち稽古となれば二人とも射場にいる必要があるが、射込み練習なら1人でも十分だ。そのため、拓真は成安に任せて今現在、自由に行動している。
拓真がお茶を半分ほど飲んだあと、控室の引き戸がガラガラと開いた。紺色の弓道衣に、耳にはイヤホンを着けた女性が二人入ってきた。寺尾と伊田だ。
伊田は小町に、大学の主将が呼んでいる事を伝えた。
「えぇ、私?」
「成安が射場に居るからさぁ、それでだと思うけど。なんか今度の大会の事で聞きたい事があるんだってぇ」
「はーい、じゃあ行ってくるよ~」
「よろしくぅー」
小町は机の上に置いてあった、イヤホンのついてないインカムを腰の帯に差すと、控室から出ていった。それと入れ替わり、伊田と寺尾が入ってくる。
伊田はポットに向かうとお茶を淹れはじめ、寺尾は手狭な室内を移動する際、パイプ椅子に引っ掛かりながらも椅子に座った。
伊田は紅色の眼鏡を掛けた、ブラウンのショートヘア。
黒髪ロングヘアの寺尾は椅子へと座った。結んでいない髪が、椅子の背もたれより長かった。
寺尾は落ち着きがない様子で、お茶をすする拓真に体を向けた。
「ねぇねぇねぇ藤本さ、犯人探しってなんぞや?」
「ん? 遠藤の矢摺籐を赤く塗った犯人を探すんだよ」
「違う違う! ウチが言いたいのはさ、そうじゃなくて〜。遠藤さんは最初から弓を細工してたんでしょ? じゃあどちらにしても失格じゃん! なんでわざわざ犯人とか探すん?」
「え?」
伊田はポットから出る湯気で眼鏡が曇った。
拓真はすこし考えた後、寺尾に言った。
「遠藤が矢摺籐を細工していたのは事実だけど、色を塗ったのは遠藤を確実に失格するためだ。それも、悪意を持ってな」
「悪意? でも最初から細工してるのも駄目じゃね?」
「いや、そういう簡単な話じゃない」
伊田もパイプ椅子へと座ると、湯呑みを持って拓真のほうに視線を向けた。
「考えてみろ、初心者が狙いをつけるのに細工していたなら理解は出来る。でもな、強豪校の選手の場合、弓に細工をしてまで狙いをつける意味が分からない。ミリ単位の世界で狙いを変えたところで、正直のところ的中率は変化しないと俺は思う。それに遠藤はもともと矢摺籐を細工している選手だという噂はあった。俺は遠藤の大学の主将に聞いたんだ、なんでそんな噂があるのに、遠藤に弓を引かせていたのか」
拓真はシャーペンを持ち、冊子の白紙部分に丸い絵を描いた。丸い絵を的とし、その右に矢摺籐に似せた長方形を描く。
寺尾と伊田は、覗き込むようにその絵を見た。
「俺が主将に聞いた話では、この位置で遠藤は狙いを視ていたんだよ」
寺尾は首を傾げ、同じく首を傾げる伊田と目を見合わせた。拓真はその後、丸を覆い隠すように矢摺籐に似せた長方形を描き、塗りつぶした。
「
伊田は納得したのか、「あぁ〜」と頷きながら椅子へと座った。
寺尾は不思議そうな表情でその絵を見ている。
「それがどうかしたん?」
「なぜ犯人は矢摺籐の右側面を赤く塗ったのか。可能性は2つ。ひとつ、遠藤の狙う位置が満月である事を知らなかった。ふたつ、俺達学連に、意図的に遠藤の細工を発見させ、失格とさせたかった」
弓道の狙い方において、一般的に狙いは闇とされており、満月で狙う者はそう多くない。目の利き目にもよるが、闇を基準に左右上下に狙いを調整するのが基本だ。
拓真は、今度は的の左側に長方形を描く。
「それも狙いなん? その狙いはさすがになくね?」
「そうだよな。俺が遠藤に失格を言い渡した時、遠藤はこの位置を狙っていた。強豪校の選手が、まして決勝戦に残る腕の選手が、こんな狙い方はしない。失格を言い渡した時は深く考えなかったが、遠藤の狙い方を主将から聞いたとき、俺は納得した」
「なにを納得したん?」
「遠藤は目が悪い。だから矢摺籐を細工する事で、的を射抜けるようになってたんだ。バレないと想定したうえで、練習試合に参加してたんだよ。通常あり得ないよな? でも主将の話じゃ、遠藤の弓に対する想いに負け、チーム皆が暗黙で承認してたんだよ」
「え、なにそれ。めっちゃヤバいやつじゃん…」
「だから遠藤は、強豪校の名を傷つけたと言う理由から、自ら退部する事を決意したんだ……おそらく、遠藤はまだ弓を引きたいと思っているはずだ……これは直感だけどな」
「ふ~ん。そうなんだ」
寺尾も納得したのか、椅子へと腰掛けた。
拓真は自分が失格を言い渡した事について、複雑な気持ちを抱えながらも、お茶を飲み干した。拓真はインカムを手に取り、右耳に着けた時、今まで黙っていた伊田は拓真に言った。
「そういえばー。午前中の立ち稽古中に、試合結果の掲示をやってるときなんだけど、小野田さんと遠藤さん揉めてたよ」
「揉めていた? 遠藤と小野田が?」
「うん。あたしが控室の横にある掲示ボードにいたとき、二人はその横に居たから。弓にインチキするくらいなら辞めてしまえ! とか言ってたかなー。他にも選手がいたから、騒ぎにはなってなかったけど」
拓真はその言葉から、小野田が遠藤のインチキを知っていた事に理解した。そもそも、遠藤の大学、その部員達が事情を知っているならば、他校の選手でも知ってる者はいるはず。実力はあるのに公式戦には出場しない遠藤を不審に思えば、弓道部員のうち誰かがその情報を漏らす可能性も十分にあり得る。
だが拓真にとって、今必要とするのは残る3人の情報である。それも昼休憩中に、何をしていたかだ。
「そっか、ありがとう。また何か分かったら教えてな」
「参考になって良かったです。わかりました〜」
「え? え? どういう事なん!?」
3人のインカムから───ノイズが鳴った。
《大変です。ちょっと困った事になりました、至急、藤本は前射場の看的小屋に来てください。いま──…ザザ》
パイプ椅子が勢いよく壁にぶつかる。拓真は急ぎ控室から外に出て曲がった。直後、こげ茶のサイドポニーを激しく揺らす板野の姿、焦り慌てた様子で拓真を見つけたあと、拓真の右腕を引っ張る───拓真のイヤホンが耳から外れ、宙に浮いた。
「いたいた! ちょっと、早くきて!」
「おい、そんな引っ張らなくても───」
「いいから!! 早く!!」
拓真は強引に引っ張られながら、廊下の曲がった先から歩いてくる複数の選手の様子、不安そうな表情が目についた。的場、その前看的へと通じる廊下を駆ける。
景色が茶褐色から───白に変わる。
向かって左側には矢道、芝生との境目はガラス張りで仕切られた応援席を通っていく。
パァン―――パァン―――と破裂音が忙しく響いてくる。
ビデオカメラのついた三脚を担ぐ複数の選手達、みんなが板野と拓真の通る道を確保していた。板野のサイドポニーは暴れるように振れ、拓真は胸騒ぎを抱えながらも気持ちを引き締めた。
応援席の突き当たり、拓真と板野は矢取り用に散らばったサンダルを無造作に足ですくう、板野は一瞬コケそうになりながらも戸口を通過した。すぐ目の前には看的小屋───その入口付近には國丸の姿があった、しかし。
「ふざけんなぁ―――!!」
男の怒号と共に、開いた看的小屋の入口から的が飛び出してきた──それは左から右へと。その的はガシャンと音をたて、敷かれた砂利道の上に乱雑に転がった。拓真の脳裏に最悪の事態がよぎる、板野は拓真に叫び伝えた。
「この中です! この中に相葉と小野田が!」
「───わかった!」
板野は立ち止まると、不安そうに拓真の背中を見送った。國丸は赤旗を手に持ち、冷静にインカムのマイクを持つ。だが拓真のインカムから音は鳴らない、イヤホンをつけ直す余裕などないのだ。
拓真は看的小屋の中へと飛び込んだ、その瞬間───。
拓真の目付きは鋭く、獣が宿る。襟足は逆立つかのように、座り込むボウズ頭をかばうように、緑のアフロ頭の前に立ちはだかった───。
ただならぬ威圧感を放つ緑の悪魔、拓真は相葉に吠えた。
「相葉おまえ、なにやってんだぁ!!」
「はい?」
小野田に勢いがない、体を支えるように両手を無機質なコンクリートの床につき、怯えたように顔を強張らせていた。だが拓真はそんな小野田の顔を見る事もなく、鬼のような形相の相葉を睨み捉えた。
相葉は左肩をグルグルと回し、右手に持つ的を左拳で貫く───破裂音。その音にビクつく小野田。拓真は動じない。むしろ的を拳で貫くその行動に対し、怒りを覚えてたかのように、眉間にシワをよせた。
「なんだよ君。邪魔すんなよ」
「邪魔? そんな事より、的を拳で割る必要があるのか?」
「あるよ。だってそのボウズ、下手に出る僕を馬鹿にしてきたんだ。もう我慢の限界だよ、そいつをこんな風にボコボコにしてやるんだ」
一方。射場での射込みは一時中止となった、成安の判断でそう伝えたのだ。國丸と今高は看的小屋の外から赤旗を掲示したままだ。射場から飛んでくる矢はない。
凍てつくような時が流れる。選手達は盛られた土に設置された的から、矢を回収するタイミングを見計らいながらも、2本の赤旗は静かになびいた。
いま前看的のその室内には、拓真の目の前には鬼がいた。
拓真は思考する───どう切り抜けるか、と。
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