第11話
光陰矢のごとしとはよく言ったもので、俺は気付けば十歳になっていた。
このアトキン王国では十二歳が成人……つまりは仕事に就くまでに残されている時間は、あと二年まで差し迫っている。
けれど逆を言えば、まだあと二年もあるのだ。
そんな風に楽観的に考えながら俺は今日も魔法の訓練とフェリスとの鍛錬を続けようと思っていたのだが……
「マルト様、旦那様がお呼びです」
「父さんが?」
「ええ、いわゆる進路相談というやつですね」
「嫌な響きだ……僕が一番嫌いな熟語かもしれない」
今のところヴァルハイマー父さんとの仲はすこぶる良好だ。
母さんに似ているという俺のことをかわいがってくれ、基本的には放任主義で自由に育ててもらっている。
けれど父さんは海千山千の豪商であり、決して甘いだけの人間ではない。
進路の話か、一応決めてはいるんだけど……と、俺は少し重い足取りで父さんの部屋へと向かうのだった。
「入っていいよ」
ノックをしてからドアを開くと、そこには椅子に座って書類とにらめっこしている父さんの姿があった。
よく豪商と言うと成金で横にぶくぶくと太っているブルスみたいなやつを想像するかもしれないが、父さんはその真逆だ。
商売には印象というものも大切らしく、決して悪印象を抱かれぬよう父さんやエドワード兄さんはしっかりと細身の身体を維持していた。
最低限の自衛くらいはできるようにあっておこうと今でも剣を振っているらしく、たしかに父さんの身体は、素人目に見ても引き締まっている。
ただその身体とは裏腹に、顔つきは優しい。
父さんはいつだって柔和な笑みを浮かべている。
彼が厳しい言葉を使っているのを、俺は一度も見たことがない。
「あと二年で成人だ。僕がどうしてマルトを呼んだのかわかるかな?」
「はい、魔法学院の入学が十歳から許可されるから……ですよね?」
「その通り。マルトは賢いね」
「父さんほどではありません」
「口の達者さも僕譲りだね」
今まで完全に放任主義だった父さんが、なぜ急に俺のことを呼び出して進路の話をしようとしているのか。
考えてみれば、答えはすぐに出た。
――王立魔法学院への入学が許されるのは、十歳から。
父さんは俺に入学の意思があるのかを、確かめたいのだろう。
「父さんとしては通ってほしいと思っていますか?」
「商人として、そして新興貴族としての立場から言うならYESかな」
王立魔法学院とは、貴族の子弟達が立派な魔法使いにするための教育機関である。
入学した生徒達は二年という在学期間で、魔法のイロハと王国への忠誠を叩き込まれる。
最初は地方貴族の子供達をある種の人質に取るためのシステムだったらしいが、今では地方貴族の子供達がこぞって入学を希望するようになっている。
何せ王族や上級貴族の有力子弟達と接点を作れるチャンスだ。
親御さん達の中にはなんとかして魔法学院に子供を入れようと、必死に家庭教師をつけて学力を上げようとする人も多いと聞く。
「そういえば父さんは僕に家庭教師はつけなかったですよね?」
「うん、魔法関連の教育ならフェリスにしてもらえると思っていたし……それにマルトは本を読むのが好きだろう? 本人のやる気に任せて好きなように勉強してもらった方がいいかと思ってね」
なるほど、そういう意図があったのか。
でもいくらなんでも本と試験に出てくる問題では差が大きすぎる気もするけど……。
「それにマルトは魔導師なんだろう? それなら実技試験の結果だけで特待生で入れるよ」
この三年間で、俺の秘密を知っている人はフェリス・父さん・エドワード兄さんの三人になった。
既に俺は女神様の祝福や転生の話もしており、しっかりと受け止めてもらうことができている。
蓋を開けてみれば、何も問題は起きなかった。
何せこの世界では女神様の啓示を受け取れる祈祷なるスキルがあるらしいし、女神教では輪廻転生はわりと普通に受け止められている。
案ずるより産むが易しというのは事実だったわけだ。
「先に答えを言いますと……僕は魔法学院に入るつもりはありません」
「ほう、それはどうしてかな?」
「今更入っても、自分が得られるものがあまりないと思うので。それなら二年後のことを考えて、みっちりと自分を鍛えておきたいです」
「二年後……ということはつまり、将来の進路も決まったということでいいのかな?」
「はい、僕は――冒険者になるつもりです」
俺は家に残るのではなく、冒険者を目指すことにした。
冒険者というのは、簡単に言えば荒事もできる何でも屋だ。
薬草などの採取依頼から魔物の討伐依頼まで実に多様な依頼を受けながら、その身体と命を担保にして金を稼ぐ仕事のことである。
――魔法の練習を始めてからの七年間で、既に俺のレベルは頭打ちになっていた。
フェリスによるとこれが鍛錬で行ける限界ということらしく、これ以上レベルを上げて強くなろうとするのなら、やはり実戦を行う必要があるようだ。
強力な魔物と戦うためには各地を巡る必要もあるであろうことを考えると、やはり選択肢は冒険者以外に考えられない。
「冒険者、か……」
通常、冒険者というのは根無し草のくせに力だけはある厄介者のような扱いを受けることも多い。
子供が冒険者になると口にして、それに賛成する親はほとんどいないだろう。
けれど父さんの声色からは、そういった反対というより、どこか諦念じみたようなものが感じ取れた。
「フェリスから話は聞いているよ。どうやらマルトは既に魔導師らしいね」
「はい、フェリスからもお墨付きをもらっています」
「魔導師本人の言葉なら疑うはずもない。たしかにそんな人間が魔法学校に行く必要もない、か……」
この世界には魔法使いに三つの区分けがある。
一つ目が魔法使い、これはその名の通り魔法を使うことができる者のこと。
二つ目が魔術師、これはいくつもの魔法を使いこなすことができる者のことを指す。
そして三つ目が、魔導師だ。
魔導師とは魔法を使う者達を導くことのできる師だけが名乗ることを許される称号で、ざっくり言うなら一流の魔法使いのことを指している。
俺は五歳になってからすぐ、フェリスから魔法使用の許可を得る段階で魔導師を名乗ることを許されている。
「やっぱりレヴィに似たのかなぁ……僕がどれだけ説得しても、決意は変わらなそうだね」
「すみません」
「どうして女神様はことごとく僕の思惑を外そうとしてくるんだろうねぇ。ここまでくると、この悪運が誇らしくなってくるよ」
俺の言葉を聞いた父さんが、背もたれに身体を預ける。
頭を掻きながら苦笑する様子は、俺が知っている父さんよりも老けて見えた。
年相応に見える父は立ち上がるとこちらに歩いてきて、そのまま俺の頭を乱暴に撫でてくる。
「いいよ、わかった。マルトはマルトの好きなようにやればいい。ただ一つだけ、約束を守ってくれればね」
「約束……ですか?」
「ああ」
父さんがしゃがみ、膝立ちになる。
目線が合い、その碧眼がじっと俺のことを見つめている。
見つめ返す俺の頭を、ぽんと叩く。
「絶対に父さんより……早く死なないでくれ。大切な人を失うのは……もうこりごりだ」
「……はい」
その瞳に映る寂寥感に、思わず息を飲む。
母さんを失った父さんの傷は、きっと今もまだ癒えていないのだ。
本当なら親の仕事の手伝いをしたり、教育を仕込まれたりするような幼少期を、魔法に捧げることを許してくれた。
魔法を教えてくれたフェリスにはもちろん感謝しているけど、俺の好きなようにやらせて文句の一つも言わない父さんにだって、俺は同じくらいに感謝している。
気付けば背筋が伸びていた。
ありがとう、父さん。
俺は父さんにわがままを言ってばかりだ。
俺は彼に、一体何を返せるだろう。
前世では大して親孝行をしないうちに、父さんは死んでしまった。
だから今世では、恩返しがしたいと、そう強く思った。
「いつか……」
「ああ」
「いつか誰にも負けないくらい強くなったらその時は……父さんのことを、助けてみせます」
「――おお、それでこそ僕と……レヴィの息子だ!」
こうして俺は魔法学院には通わず、あくまでも独学を続けさせてもらうことにした。
そして更に二年の月日が経ち、旅立ちの日がやってくる――。
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