第10話


【side フェリス】


 生まれて初めての魔力切れで倒れてしまったマルト様をベッドに横にしてから、私は日課の仕事を終え、私室に戻ってくる。


 ふぅと軽く息を吐くと、張っていた緊張の糸が切れ思わずへなへなと倒れ込んでしまいそうになってしまった。


「まさかたった一日で魔法を使えるようになるなんて……」


 今日私は、マルト様に翻弄されているうちに一日が終わってしまった。


 たった一日で魔法を使える……というのは、普通ではあり得ないことだ。


 通常、体内にある魔力が知覚できるようになるまでに時間がかかるのは当然のこと。

 一ヶ月以上必要になることもザラで、私も当然それくらいの期間を見込んで育成計画を立てていた。


 幼い頃から神童と周囲にもてはやされてきた私でさえ、知覚できるようになるまでに三日かかったのだ。

 それがまさか当日……というか、言われてからすぐにできるようになるなんて。


 まぁ、それはいいのだ。

 厳密に言えば良くはないのだけど……その後のことと比べれば、すぐに魔力が知覚できるようになったことくらいは些細なことだ。


「無詠唱と魔力の物質化……魔力を知覚した当日に使えるようになるなんてことがあり得るの? ……いや、実際に目にしたからあり得るのはわかってはいるんだけど」


 無詠唱魔法は、超がつくほどの高等技術だ。


 己の中に、よほど確固たるイメージがなければ使うことができず、難しすぎるわりに覚えた際のリターンが見合わないと誰も練習をしない技術の筆頭である。


 たとえば私は、詠唱をせずに魔法名だけを口にする、いわゆる詠唱破棄の技術を使うことができる。


 私はこの技術を使うようになるために三年かかった。

 ちなみに詠唱破棄に三年というのは、エルフのアカデミーで最短記録だった。


 王国の魔法使いの水準で話をすると、一般的な魔法使いでは詠唱を短縮する詠唱短縮ですら使える者はごく一部。


 この事前知識があれば、マルト様がたった一日で使って無詠唱魔法を使ってみせたことがどれくらいありえないことなのかよくわかると思う。


 詠唱というのは魔法を使うための説明書のようなものだ。


 自身の中に内在している魔力を外へ取り出し自然の摂理をねじ曲げるためには複雑な工程が必要となる。


 それをアシストし、自身を魔法発動までの一つの部品のようにすることで魔法を人に扱うことをできるようにした技術こそが魔法だ。


 無詠唱をするというのはたとえるなら設計図を作らずに家を建てるようなものだ。

 それで曲がりなりにも風魔法が発動したのだから、マルト様のヤバさがわかるだろう。


 優秀な魔法使いが一つの属性を数年という期間をかけて極め、属性の性質そのものの根源を理解できるようになって初めてできる技術が詠唱短縮。

 その上位互換が詠唱破棄であり、更に超えられない壁の先にあるのが無詠唱だ。


 三歳児で無詠唱魔法が使える。

 この事実を知られると……色々な意味でマズい。


 どのくらいマズいかと言われると、多分辺境の田舎で彼の才能が見つかっていれば忌み子として幽閉生活を送っていたであろうくらいにはマズい。


 とりあえず詠唱破棄と言い逃れができるように、しばらくの間は魔法名だけは叫んでもらう必要があるだろう。それでもおかしいのはおかしいんだけど、そこは私の弟子だからで通せばなんとかなるはずだ。


「それに魔力の物質化までやっていたし……末恐ろしいわね、ホントに」


 彼がどこまで行けるのか、見てみたい。

 立ち上がり鏡を見つめると、青銅鏡の向こう側にいる私は笑っていた。


「……鬼の子もまた、鬼ってことなのかしらね」


 レヴィ、あなたの息子はきっととんでもない逸材だ。

 マルト様が成長したら一体どうなってしまうのか……ちょっと怖いけど、それ以上に楽しみで仕方がないわ。




 私は事前に立てていた学習計画を全て、捨てることにした。

 王国と比べれば優れているエルフ式の魔法教育であっても、今のマルト様には窮屈すぎる。

 この子の自由な発想力を、凝り固まった固定観念で縛り付けるべきではない。


 そう思った私は教師としてはありえないことかもしれないが、彼に対して何かを教えることを止めることにした。


 私はマルト様が魔法を使う様をジッと見つめ、そして助言を求められればその時は遺憾なく自分が持っている知識を発揮させる。

 そして毎日模擬戦をして、彼に自身の魔法を改良させるというやり方をやり方を採ることにした。


 一見すると遠回りに見えるかもしれない。

 けれど私には、これが一番の近道であるというある種の確信があった。


 たしかにマルト様がやっていることの中には、エルフとして長い時を生きてきた私ですら理解のできないようなことも多かった。


 どこからどう見ても無駄にしか見えなかったり、一見すると遠回りにしか思えなかったり……見ていて思わず口を出しそうになったことは、一度や二度ではない。


 けれどマルト様は、紛れもない天才だ。


 私が持っている魔道具に、測定球というものがある。

 これは自分の得意属性を調べることのできるものなのだが、マルト様がこれを使うと得意属性が四属性全てだということが発覚した。


 通常、魔法使いの得意属性は一つや、多くとも二つくらいまでに限られる。

 それを四つ同時に……これもまた、あり得ないことだ。



 だがこの程度は序の口。

 彼は修行を始めてからさほど時間も経たないうちに、光魔法と時空魔法、付与魔法という三つの系統外魔法を使えるようになっていた。


 エルフが魔力との高い親和性を持っているとは言え、私が使える魔法は四属性魔法と時空魔法、精霊魔法の六つのみ。


 既に使える魔法の種類では、追い抜かされてしまったということになる。


 私がどれだけ練習をしても使えるようにならなかった光魔法の才能がマルト様に宿っているというのもあって、思わず苦笑せずにはいられなかった。


 この時点で使える属性が七つ……更にそこから間は空いたものの、次は召喚魔法や精霊魔法まで使えるようになってしまった。


 開いた口が塞がらないというのは、こういうことを言うのかもしれない。


(一体どれだけ多彩なのですか!)


 今ではマルト様の器用さは、今まで見たことがある魔導師よりも上。

 既に使える魔法の数でも、アカデミーで魔法を教えていた校長に匹敵しているだろう。


 まだ成人する前からこれだ。

 果たして将来どれほどの傑物になるのか……。


 魔力を使い続けていたからか、最近では魔力の量もかなり増えている。


 そういえばどこかに、幼年期の魔力仕様による魔力量増大法の論文を見たことがあった。

 眉唾物だと思っていたけれど……今のマルト様を見ていると、あれは本当だったのかもしれない。


 既に私に迫るほどの魔力量を手に入れつつあるマルト様は、魔法のスキルレベルをかなり高いレベルまで上げていた。


 魔法はスキルレベルが上がればそれだけ魔法発動に必要な魔力量が減り、また新しい魔法を使うことができるようになる。


 今はまだマルト様ご自身のレベルが低いために私が圧倒することができているが、マルト様が将来魔物と戦いレベルを上げていくようになれば、追い抜かれてしまうかもしれない。


 ……いや、何自然にマルト様が冒険者になって魔物と戦うと想像しているのですか、私は!


 そういえばマルト様は最近、近接戦でも戦うようになりたいからと武器庫から武器を取り出して使い始めている。


 しかも恐ろしいことに、誰に習ったわけでもないのに剣の腕が上達しているのだ。


(一体何と戦うおつもりなのですか!?)


 ドラゴンスレイヤーである私が、心の中でそう突っ込まずにはいられないほどに、マルト様はメキメキと実力を上げていく。


 そのあまりの上達の早さの理由はわからない。

 私個人としては、わからないままでいいのかもしれないと思っていた。


 七歳であそこまでストイックに戦う訓練をし続けるのには、理由があるに決まっている。


 けれどそこに突っ込んでしまえば、私とマルト様の関係性が変わってしまうかもしれない。

 私はそれが怖くて……マルト様の事情を聞けずにいた。


 もちろんこれがいけないことだとわかっている。

 いつまでも何も聞かずにはいれないということも。

 でもこの四年間は、私にとって何者にも代えがたいほどに楽しかった。


 それこそレヴィと一緒に冒険者をやっていた時に匹敵するほどに。

 だからこそ私はただマルト様を強くすることができればいいと、そう思っていた。


 けれど聡明なマルト様が、そんな私の気持ちに気付かないはずがなく……私はある日、彼に突然真実を告げられた。


「フェリス。俺には……前世の記憶があるんだ」


 マルト様は真剣に、自分の身にあったことを教えてくれた。

 自分がここではない世界から、女神様に見込まれてやってきたこと。


 邪神の使徒と戦わなければいけない。

 マルト様が抱えているものの重さを知り、私はあそこまでストイックに訓練を続けていた理由をようやっと知った。


 彼は今まで、たった一人で戦い続けていたのだ。

 魔法の師匠である私にすら、本当の事情を隠したまま。


 なんという体たらくだろう。

 これでは師匠失格だ。

 天国にいるレヴィにも顔向けができない。


「マルト様……ずみばぜんでじた!!」


「な……なんでフェリスが謝るのさ! フェリスは何も悪くなんか……悪いのは色々と隠してた俺で……ぐすっ……」


 私は気付けば涙を流し、マルト様は気付けばもらい泣きをしていた。

 私達は二人で泣き合って……そして頷き合った。


 きっとこの時、私達は本当の師匠と弟子になったのだと思う。


 レヴィ、あなたの息子はとんでもない子で……だからこそ、どうしようもなくあなたの子供よ。

 でも私はこの子を、しっかりと育ててみせるわ。


 だって大切なものを失うのは、もうこりごりなんだもの。

 私はこの子が将来、どんな敵と戦っても倒すことができるように……鍛え上げてみせる。


 そしてその日から、私は今までより更に真剣に、本気でマルト様と向き合うようになるのだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る