第9話
【side フェリス】
そこは見慣れた、けれど今とは様変わりしたリッカー家の屋敷の一室だった。
ベッドに横たわっている女性と、その手を握っている私。
どこか俯瞰的にその光景を見ている私は、自分が夢を見ているんだとすぐにわかった。
この光景を夢に見るのは、今回が初めてのことではない。
何度見たことかわからない。
「レヴィ! レヴィ!」
「……うるさいな。そんなに叫ばれなくたって、聞こえてるって」
ベッドの上には黒髪黒目の、エルフの私ですら嫉妬したくなるほどの美人が横になっている。
レヴィ――冒険者としての生活よりも一人の母としての生き方を選んだ、我が終生のライバルは、ゆっくりと目を開きこちらを見上げている。
レヴィとの思い出は私にとって、何よりも大切な物だった。
私は彼女と出会い、彼女と共に歩んできたことで、ただ漫然と生きてきたそれまでの生が色あせたものなのだと、理解することができた。
レヴィは誰よりも輝いていた。
しかしそんな彼女であっても、忍び寄る病に勝つことはできなかったのだ。
「レヴィ、気張りなさい! ドラゴンスレイヤーのあなたが、たかが病で倒れるわけがない!」
「げほっ……無理言わないの、フェリス。自分の身体のことは、私が一番よくわかってるわ……私の命がもう長くないことくらい、とっくのとうにわかってるって」
レヴィが咳き込むと、口から血の塊がこぼれだす。
彼女は子供を産み弱っていたところを、病魔に冒されてしまった。
臓器が徐々に活動を止めていき腐っていく『腐乱病』はどれだけ高位の光魔導師に見せたところで治せない、いわゆる不治の病だった。
私はどれだけ強力な魔物であろうと倒すことができるSランク冒険者だ。
金なら腐るほどあるし、魔法の腕ではレヴィにだって負けていない。
私は自分が、なんでもできると思っていた。
けれどそんなことはなかったのだ。
だって……私には、本当に大切な人をこの手で助けてあげることすらできないのだから。
自分の情けなさに、涙がこみ上げてくる。
膝立ちになっている私の頬を、レヴィが優しく撫でた。
「一つだけ……お願いが、あるの……」
「――なんでも言いなさい! 私に叶えられないことなんて、ないんだから!」
精一杯の空元気を振り絞りながら、胸を張る。
それが最後の願いだというのなら、たとえどんなものだって叶えてみせる。
そんな風に気張っている私を見たレヴィが笑った。
土気色になったその顔色を見ていると、更にぽろぽろと涙がこぼれてくる。
「マルトを……お願い……」
「任せなさい! あなたに負けないくらいに一流の魔導師に――」
「マルトには……普通の生活を、させてあげたいの。でももしあの子が自分から魔法を学びたいと言ったなら、その時は――」
了解の意を告げるために、強く手を握りながら頷く。
その様子を見たレヴィは優しく笑い……そしてその手は、力を失った。
この日私は、世界で一番の親友を失った。
そしてその子の忘れ形見であるマルト様を見守るため……エルフとしての誇りを捨て、一メイドとして彼の側仕えをする決意を固めたのだ――。
幸い、リッカー家の当主であるヴァルハイマー様は優しい人だった。
彼は私の願いを聞き入れ、メイドとして雇い入れてくれたのだ。
里にいるエルフ達が私のことを見れば『誇り高いエルフが下賤な人間に仕えるなど!』と激怒するに間違いない。
ただ私は里を出て姓を捨てた時点で、既にエルフとしてのプライドなどとうに捨てている。
なので敬語を使ったり、使用人としての所作を学ぶことにもまったく抵抗はなかった。
レヴィの息子のことをマルト様と呼ぶのには、最初は少しだけ戸惑ったけれど。
幸い私は記憶力と要領はいい方だ。
私は仕事を覚えてからは適度に手を抜きながら、メイドライフを満喫することになる。
私がマルト様のお付きのメイドになったのは、彼が二歳になった時のことだった。
マルト様は、不思議な人だった。
ぽやぽやしているようで、芯がしっかりとしていて。
どれだけぶたれても文句の一つも言わない心の強さは、レヴィ譲りなのだろう。
マルト様の兄であるブルス(当然あんな豚は呼び捨てだ)は、本当にひどい子供だ。
レヴィに似た美しい黒髪黒目を馬鹿にするだなんて!
本当ならブルドを八つ裂きにしてやりたいところだったけれど……マルト様の立場を考えるとそれもできなかった。
上二人の兄は本妻の息子達だが、三男であるマルト様は既にいない側室の子供だ。
家の中ではその立場も弱いため、正妻であるミハイ(こいつも性悪だから呼び捨てだ)に目をつけられるわけにはいかなかった。
下手に私が口出しをするわけにもいかず、できることといえば大きな怪我をこさえた時に回復の魔道具やポーションを使って傷を最低限治してあげることくらいだ。
回復の魔道具は結構値が張るけれどけれど、金には困っていないし問題はない。
完治させてしまい私が手を回していることを勘付かれるわけにはいかなかったため(そんなことになればお付きのメイドを変えられ、マルト様が本当に死んでしまうかもしれない。それだけは絶対にごめんだった)、私は応急処置しかすることができなかった。
ブルスが成人する十二歳になればこの暴力も減るだろう。
そう思って耐えてきたのだが……想定外のことが起こった。
いくらお付きのメイドとはいえ、四六時中一緒にいることができるわけではない。
私が目を離していた隙に、ブルスはマルト様が意識を失うほどにボコボコにしたのだ。
急ぎ回復魔法の魔道具とポーションを使い治療を試みる。
幸いにも傷はある程度治ったが……完治したとは言いがたい。
回復魔法が使えないことを、また後悔することになるとは思わなかった。
幸い呼吸は安定しているが、意識を失ってから丸一日が経っても目を覚まさなかった。
私がクビを覚悟で私費で光魔導師を呼び出そうとしたその時……マルト様は意識を取り戻した。
きっとそれはマルト様の、第二の目覚めだったのだと思う。
「フェリス、俺に……魔法を教えてほしい。やられっぱなしは、趣味じゃないんだ」
そう口にするマルト様の横顔は、私が憧れて共に歩んできたレヴィにそっくりで。
『でももしあの子が自分から魔法を学びたいと言ったなら、その時は――』
――レヴィ。
どうやらあなたの息子は……母譲りの負けず嫌いに育ったみたいですよ。
そして……安心して天国で見守っていてください、レヴィ。
この子は私がきっちりと――どこへ出しても恥ずかしくないような、一流の魔導師に育ててみせますから。
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