第6話「旅一行2 ④」

 目や口に砂が入らないよう腕で覆い、狭い視界の中でちぎれた蔦を探す。

 幸いにも怪物の顔周辺にいくつか落ちており、その中でも一番長いものを手に取った。

 尻尾と顎拘束作戦が失敗に終わったため、次なる作戦は―――

「顎を完全に外してやるよ」

 啖呵を切った彼女は怪物のあご先端―――の近くに生えている歯の隙間に蔦を掛ける。そのまま蔦の両端を両腕に巻き付け、下顎に足をのせ、力いっぱい怪物の腹部めがけて蹴りだした。

 ヒノビの脚力は歴代の炎狐族と比べれば大きく劣ってしまっているが、それでもなお音速に近い動きができる。その動きを可能にしているのが彼女の脚だ。スラリと細く、真珠のような白い肌でとても美しいが、その脚力は人間の限界をゆうに越せるほどの筋力を持ち合わせ、身軽に動くしなやかさを兼ね備えている。見た目とは裏腹に非常に力強い。その足での蹴りだしは、衝撃波を発生させるほど強烈だ。重力の力を拝借すればその速度は瞬間的にでも音速を超える。

 時間にしてコンマ一秒にも満たない時間で、怪物の顎はヒノビの体に引っ張られ、開ける限界を迎える。

 だが、彼女の速度がその時点でゼロになることはない。限界に至ってなおも跳躍の力は健在で、顎の耐久力との勝負へと持ち込まれた。

 掛けた蔦の場所はちょうどてこの作用点となる場所だった。そこにかかる力は純粋なヒノビの速度に依存するのではなく、その数倍になる。

 結果、下顎頭が関節円板をすりつぶし、側面に張り付いている様々な筋が音を立てて千切れ、下の歯が地面を向いてぶら下がっている。

 科学を応用した見事な行動。蔦の耐久力もさることながら、ヒノビが力いっぱい加速してもなお千切れなかった腕にも称賛の声を送ろう。

 怪物が自身の身体への異変に気づいた時には、下顎は完全にその役割を全うできない状態になっていた。

 怪物は大きく吠え、痛みに悶えながら尻尾を無差別に振り回す。

 縦横無尽に暴虐の限りを尽くして暴れまわる怪物は、すでに視力を失い、続いて顎はもう使い物にならない。頼れる攻撃手段でヒノビと対等以上に渡り合えるのは己の敏捷な尻尾のみ。しかし持ち合わせている超能力ですらヒノビの位置を特定できないというかなりの劣勢に怒り心頭の様子。

 その巨体より、幾年の時を謳歌し、あまたの戦いを嘲笑すら生まれないほど圧倒的な力の差を見せつけ、苦戦などしたこともなかった。なぜなら、自然界で相手への殺意を抑えられる種族など今まであってきたことがないからだ。

 どんな種であれ、戦いになれば勝ちにこだわるものだ。それが弱肉強食の世の摂理であり、自然界の理だ。どんな天敵であれ、強敵であれ、弱者は逃げることで勝ちとする、そのための戦いをするが、相対している敵からは逃げるための攻撃すら感知できない。

 狩られる側、食べられる側、殺される側、受け身になることがなかった怪物にとって初めてとなるを抱いた。その新しい感情に、成熟しきった脳が拒否反応を起こす。受け入れんとするための行動が、暴れまわるという行為へと繋がっている。

 ヒノビは顎を破壊した勢いそのままに、地面を滑るようにして怪物から距離をとった。どんな強烈な一撃であれ、尻尾の攻撃は狙いが定まっていないからこそ避けられる。

 少し離れた場所へと避難し怪物の動向を伺う。

 痛みと怒りに悶絶しているヤツを少し離れた場所から眺めながら、一旦呼吸を整える。特段の問題はないが、精神的に整える意味合いを持った深呼吸だ。まだ勝ちを確信出来ているわけではない。これは薄れつつあるかもしれないが、備わっている野生の勘だった。

 生命が脅かされるほど、その動物は奇想天外な行動と獅子奮迅な行動を行うようになる。それは起死回生の一撃を狙ったものや道ずれを狙ったものなど狩り手からすれば判断はできない。命を懸けた一撃なのか命を守るための攻撃なのか、それを見極めるためにもヒノビは一旦怪物から距離をとった。

 だが、顎を破壊したとはいえ、そう簡単にやられてくれるほどあの怪物は優しくないことは理解しているつもりだ。

「こっちも決定打を与えられたらいいんだけど……」

 神妙な顔つきでヤツを見やる。先の一撃も十分な決定打になったはずだが、倒しきれるほどの一撃にはなっていないはずだ。

 どうにかヤツが興奮している間にもう一撃入れたいところなのだが―――

「あんなに暴れられると近づくことすら無理だね」

 遠くから様子を見ていると、足をじたばたさせ、時折転がり、尻尾を左右に振りながら回転している。まるで子供が親に欲しいものをせがんで拒否された時のような暴れようだった。とてもじゃないが、近づけない。

 ヤツの地団駄で辺りの森には岩石弾が降り注ぎ、周囲に破壊の限りを尽くしている。暴れ狂う巨体の重量に地面も悲鳴を上げながら震えている。この辺りの動物はしばらくの間この辺りに戻ってくることはなさそうだ。

「近づけないなら、近づいてきてもらおうか」

 ある考えを思いついた。練り上げられた作戦ではないことからには欠けているが、いつもながらギャンブル要素マシマシの作戦に決着を賭けた妙案。元々対等な立場での戦闘ではないのだから、苦し紛れに思いつく突拍子もない案ぐらいしか現状を打開できそうなものはないのだが。

 再三無茶をした体に四度目の正直だと強鞭を打ち、音を上げる筋骨たちを黙らせる。緊張で滲む汗は無視して何度か深い呼吸をしてから、ヤツの正面に立つ。

「これで終わらせる」

 苦しんでいるのか怒り任せに辺りを攻撃しているのかわからないような、無差別行動を繰り返している怪物に、冷血な表情で言い放つ。

 精悍な目で腰を据え、そのまま腕を怪物に突き出し、体内を伝って湧き上がる『何か』を手のひらへと集中させる。明確に、ヤツを狙った攻撃だと知らせるために。

 その行動に怪物は敏感に反応した。敵意もとい攻撃の意思を感じた怪物は、仰向けだった状態をくるりと反転させ、ヒノビの方へと狙いを定めると怪物は大きく上へと飛んだ。20m近い巨体が地面を蹴り、飛び跳ねたのだ。

 ヒノビの行おうとした攻撃は何度もヤツに打ち込んでいるヒノビ特性の炎魔法。その威力を十二分に理解している怪物は、炎の着弾地点とその威力を読み、魔法の効果範囲外へと避難する。ヤツの体表は鱗で覆われているものの、やはり少なからずダメージは喰らうようだ。それが炎によるものなのか爆発によるものなのかはわからないが、ヤツが避けるのだからこの攻撃に意味はある。

 が、しかし、怪物はミスを犯した。

 怪物の特殊能力である『先読み』は相手の全てを見通しているわけではない。もちろんその能力にも弱点は存在する。依存しているのは相手との交えた時間と受けた傷。それらを瞬間的に分析し、未来起こりうる可能性の高いものを切り取っているだけに過ぎなかった。

 いかに相手の手数を見て、受け、分析する。その行動あってこその『先読み』の能力の真骨頂が発揮される。しかし、今度の戦いでは早々に眼をやられてしまった。

 そして、現在まで喰らう者として君臨し続け、あまたの弱者を亡き者にしてきた怪物にとっては、その致命的な傷こそが大きな弱点になるということを覚えていないほど圧倒的な勝利のみを掴んできていた。これは怠慢故に生まれた隙ではなく、あまりにも敗北の何たるかを経験していないことから生まれるものだった。

 この世に生きる生物である限りは幾度となくピンチや挑戦を余儀なくされる場面が訪れるが、そのたびに成功してしまっていては自分に欠けた部分に目を向ける機会など訪れない。失敗を経験し、負けを迫られ、自分が他人と何が劣っているのかを目の前に着きつけられる経験こそが生物として、個として進化していくかにつながる。

 目からの情報を遮断され、受けた感覚でのみ判断したヒノビの炎魔法の威力は、単に爆発するという認識だけだった。しかし、彼女の魔法の神髄は爆発の直後に起こる巨大な竜巻である。となれば、上空に逃げるという手段はもってのほかだ。むろん魔法の影響範囲内に存在していることになる

 しかし、ヒノビの手から魔法が放たれることはなかった。怪物が跳ねた直後にその攻撃をキャンセルし、逆流する『何か』に悶え苦しみながらもヤツの真下へと瞬間的に移動する。そこには―――

「ジャンプしてくれて、どうもありがとう!! まずは下りてきなさい!!」

 垂れていた蔦を引っ張る。ヤツの片側から垂らしていた蔦は、背中に突き刺された短剣を横方向に引っ張ることで、怪物の体を空中で表裏を反転させた。流石に空中で動きが制限された状態では、成す術がなかったようで、コイントスのコインのように回転した怪物はそのままバランスを崩して背中から地面へと激突させる。

 その過程で、背中側から落下する直前に、ヒノビがもう一度力を入れ、思いっきり引っ張ることで短剣を背中から抜き、愛刀が手元へと戻る。

 背中から落下した怪物は小さくうめき声をあげ、何が起こったのかわからない様子。しかし、その一瞬を見逃さなかったヒノビは即座にヤツの口元へと移動し―――

「これで決着だね」

 上顎に乗った状態でそう言い放ち、逆流し体の中を這い回っていた『何か』を再び伸ばした腕の先に集中させる。

 ヒノビの狙いは、閉じることのなくなった口から体内にめがけて魔法を放つこと。しかしヒノビから攻めの態勢を示せば必ずその先を読んで行動してくる。その厄介な能力をほぼ無効化させるためには、仰向けにさせて隙を作るしか方法が思いつかなかった。直前の偽魔法攻撃が作戦通りになってくれたおかげで、ヤツをこの状態にすることができたのだ。

 飛び跳ねなければどうしていただろうか。そんな雑念を振り払いながら、炎が形作られていく。

 怪物の下顎は皮を残してぶら下がっている状態。本来ならば、彼女を嚙み潰すために閉じるものだが、その役目は潰えている。今、彼女の魔法の発生を止める手段が何もないのだ。

 頭を動かしたとしても魔法を放たれれば、一番軽い怪我でも首が吹き飛ぶ。彼女が狙いを定めている限り、何をやっても重傷を負う未来しか見えなかった。

「いっけぇぇぇ!!」

 ヒノビの魔法人生で一番力を込めた一撃をお見舞いする。放った直後に素早く身を後退させ、爆発に備えて耐性を低くし、身構える。

 ゆったりと放たれた火球は怪物の喉に吸い込まれるようにして姿を消し、やがて怪物の体内へ。

 なけなしの体力で行った魔法攻撃とはいえ、今世紀最大の力を込めている。その威力は想像できない。

 着弾と同時に爆発的に大きく膨れ上がった腹、口からは体内から逆流してきた炎が吐物と共に噴き出す。爆発後も膨れ続ける腹は次第にぶちぶちと奇異な音を鳴らし、やがて腹がその爆発に耐え切れずに破裂した。

 空からは怪物の臓物と血潮が降り注ぎ、なおも息がある怪物が小さく喘いでいる。

 半日近く戦い続け、ようやく決着がついた。

 安堵した表情を浮かべながら、疲れ切った四肢がようやく役目を終えられたのだと力を抜き、地面にへたり込む。長く苦しい戦いの末の勝利。運が味方していた部分も多いが、4人の大勝利である。

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