第5話「旅一行2 ③」
怪物とヒノビが森へと戦場を移動してから数十分。エリスとロイスと合流できたオークスは折れた大木の下で沈んでいた。
あの怪物を一人に任せて自分たちはここで静かに待つことが正しいのだろうか。間違ってでもヒノビの手助けになるようなことを、助けに行くべきではないのだろうか。だが、子供三人で助けに向かったところで何ができる。
経験を積んだヒノビとは比べることも憚られるほどの大きな差がある。もとより比べられる土台にすら乗っていない。
炎狐族の伝説は数々の本で語られている。そのすべてが事実に基づいたものかと聞かれればそれは違うだろう。
娯楽の少ない『ダイネ』の街では商人との会話やそこで売られている商品の値引き交渉、語り部や詩人などの話芸を生業にしている人の雄弁を聞くことなど会話が娯楽と結びついている。そのため、様々な本の内容を知っていると話芸人との会話は盛り上がり、商品について知っていれば商人との話が盛り上がる。情報を多く知っている人は毎日が楽しかったに違いない。
商人たちの留場や輸出入の中心地たる『ダイネ』の街では、会話におもきを置いた生活をしている。そこには嘘や偽弁も飛び交っている。代表例が『炎狐族』にまつわる様々な伝説や伝承。
あったことも見たこともない存在の話は、どれが真実で嘘なのか見分けることはほとんどの場合できない。そのため『ダイネ』の街では『炎狐族』に纏わること全てにおいて話すことが禁じられていた。これは商人たちの留場となっている場所だからこその条例だった。嘘に対して敏感な街ともいえる。
だが、商人たちは物を売るためには様々な工夫、悪く言えば詐欺を行う者もいる。そういった人たちが売るものこそ、その市場に出回っていないような情報だったり、物だったり、人や生き物だったりだ。もちろん炎狐族のすべてがそれに該当する。
偽と真が錯綜する街で育つ子供には、それらを判断するほどの理解、判断力はない。大人ですら困難なことを子供ができるはずがない。語ることが禁じられていれば本にして売ってしまえばいい。決して多くはないがそういう商人が一定数いる。
その商法にまんまと引っかかるのが、ロイスだった。
彼が街に行きたいというときは決まって本を買う時のみ。それ以外に興味がないのか、どれだけエリスや先生が誘っても乗ることはなかった。勉強に取り憑かれているとしか言いようがないほど、彼は机に向かっている時間が他二人と比べるとは桁違いだった。
勉強狂いの彼にとって、偽と真を見分ける基準が矛盾しているかどうか。自分の読んだ本に同様の事が書かれていれば真、違っていれば偽という判断方法。それを家が埋もれるほどの本を読み漁り、自分の中で確立していくというものだった。途方もない時間を使い、非常に効率の悪そうな方法だ。
そんな中『炎狐族』の事で共通している、彼の言う真となっている情報もとい伝説がある。
炎狐族は女性1人に人間の兵士100人以上で挑まなければ負けるほどの戦闘力を持っているということ。どんなに人間族の中で優秀な兵士であっても、一騎討では絶対に敵わない。
4つの大国の代表兵士が、一騎討を挑んだがそのすべての勝負において弄ばれたということが共通してほぼすべての本に記載されていた。大国代表ともある名高い兵士が惨敗となるほど、種としての力の差があるのだ。
ヒノビも恐らくだがそれだけの力を持っているはずだ。
そんな彼女に手助けが必要なのだろうか。
悩みに暮れていると、オークスの隣にロイスが腰を下ろした。
極厚の眼鏡からは悲壮感を滲ませた瞳が覗かせていた。
「僕は、怪物の尻尾による風で、オークスの丁度死角となっていた位置にいました。オークスが僕を呼んでいることはわかっていました。でも僕の位置からも死角になっていて、どこにいるのかわからなかったんです。そのあと、エリスとヒノビさんと合流して、オークス君を見つけたんですけど―――」
手渡された紙にはロイスが見当たらなかった理由が記されていた。
「怪物に襲われる瞬間を目の当たりにして、僕たちは動くことができませんでした。ヒノビさんだけが勇敢に向かって行ったんです。その時、ここで待っているように言われました」
その言葉で、記された文は終わっていた。
紙に注いでいた視線をロイスの方へと戻す。そこには、目に涙を溜め、固く口を噤みながら悔しさいっぱいに歪んだロイスが向き合っていた。
驚いた様子で「どうした?」と聞くと、
ごめん。と一文字ずつしっかりと伝わるように口を動かす。
「なんで謝るんだよ」
また聞き返すとロイスは筆を走らせた。
渡された紙には、助けに行けなくてごめん。と書かれていた。
オークスが怪物に襲われそうになっている場面を目の当たりにして、助けに行けなかったことを悔やんでいる。彼の表情から申し訳なさと不甲斐なさがひしひしと伝わる。
「いいよ、大丈夫、俺だって諦めてたんだから」
笑ながらロイスの肩を優しくたたく。その後抱きしめた。きっと彼の短い人生の中であっても、これほど衝撃的で悔しい思いをしたのは一度だってなかっただろう。
友人が殺されそうな場面で自分の命をなげうってでも助けられる人は稀だ。特に今回の場合は、助けられるすべが一切ない。助けに行ったとしても、二人ともあの世へ行くだけ。
生物的な本能に「生存本能」がある。これは脳が脅威となるものを察知すると、無意識上で様々な身体活動が行われ、逃げるか戦うかの二択の判断を瞬時に行うというもの。この行動は無意識のうちに体が判断するため、意識した瞬間には行動することができない。
逃走反応を示した肉体は、とにかくその脅威から離れることに意識を集中し、そういう指令を脳が筋肉へと伝達している。意識的に動こうとしても、それ以前に体が逃げる準備または逃げているため、行動することができない。
そういう仕組みが人の体には備わっている。なので、ロイスが動けなくても何らおかしなことではないし、オークスも実際そうだった。
生存本能によって引き起こされる超集中は、目の前の事象にすべての意識を優先し、他の思考をすべて遮断する。その本能によって思考が研ぎ澄まされ、時間がゆっくり流れているように感じたのだった。
それだけ必死で、命の瀬戸際を歩いていたということだ。それなのにお互いで責め合うことは間違っている。
「でも、ほんとに、みんな無事でよかった」
「う……ん」
溜めていた涙は、オークスの「大丈夫」という言葉と抱きしめられた衝撃で決壊した。とめどなく溢れる涙を袖で拭いながら、鼻水をすすって小さく返事をした。
その様子を影で聞いていたエリスも、目じりの水滴を荒々しくぬぐい、二人の前に胸を張って登場した。
「私は高いところが苦手だし、魔法以外の勉強も苦手だし、あんな怪物と戦うことなんてっっっっ嫌いですけど、それ以上にこの三人で集まれなくなる方がもっと嫌ですわ!! まだまだ一緒に遊びたいですし、勉強も二人と一緒なら、私、絶対頑張れますわ。だから、だ、から……だからぁぁぁ!!」
堪えられなかったようだ。こらえていた涙も、言葉を紡ぐにつれ溜まっていき、自分の本心をさらけ出すと同時に溢れてしまった。
泣きじゃくった顔でロイスとオークスの間に飛び込み、二人まとめて抱きしめる。ついさっき合流したときと同じように、三人で抱きしめ合って、生きていることを互いに喜びあった。
言葉で伝えることは子供には難しかった。行動で示す方が、気持ちも伝わればその大きさも伝わる。一石二鳥だろう。
耳が聞こえていなくたって、エリスがあんなにも一生懸命にまっすぐな目で訴えかけるように話してくれた言葉の本質は伝わる。意味が分からなくたって、彼女の性格を考えればきっと俺達の事を心配してくれたに違いない。それさえわかっていれば、その後の号泣した表情でその心配の大きさが伝わってくる。
五感の一つが失われればその他の感覚が研ぎ澄まされると言われているが、オークスはそれを実感していた。今は見るだけでしか世界の情報を取り込む方法がないためか、共感性が向上したように感じたからだ。聴覚を失っても、相手の気持ちを慮れたことに。それは長年の付き合いからくるものかもしれないが、それでも、いまは、伝わってくるだけでも感謝している。
ロイスとエリスが泣き止むまでにかなり時間が経った。今、二人は泣きつかれたことですやすやと寝息を立てている。
オークスは二人のように眠ることはできなかった。理由は単純なことだが、ヒノビの事が気がかりで眠気が覚めてしまう。目を凝らせば遠くで動いている影が見える程度で、何が起こっているのかはわからない。
それに、寝ている二人をここに置いて一人で向かうことは駄目だろう。森の危険はあの怪物だけではないのだから、どこから危険が迫っているかわからない。
休まらないなぁと大きく一呼吸する。
街を出て二日目の昼過ぎ。ヒノビが獲物を狩っている間に休憩していた三人は、怪物の襲来で忘れていたが、昼ご飯を食べていない。早朝から何も口にしておらず、今は水すら手元に残っていない。
オークスの飛ばされたバックを見つけられれば携帯食ぐらいなら二人に食べさせてあげられるのに、と考えつつ空を見上げる。
何食わぬ顔で燦々と照りつけてくる太陽と雲一つなく透き通った青の空が彼を悠々と眺めている。体も精神も休まる時間は与えられていないが、落ち着く情景だった。これで、ヒノビが口笛でも吹きながら明るい表情で帰ってきたら、二人はまた泣き出すだろう。
一体、ヒノビの戦いはどうなっているのだろうか。負け、たりしていないだろうか。
考えれば考えるほど不安が頭をよぎる。戦況が視えず、ヒノビの状態もわからない。そして、助けに行っても力になれそうにない。その無力さに打ちひしがれている。
このまま、待つだけでいいのだろうか…… 本当に何もできないのだろうか……
堂々巡りする思考に嫌気がさしたオークスは、立ち上がった。
オークスの膝で眠る二人の頭をそっと地面へと移動させ、二人から離れすぎない範囲で、まずは自分たちのリュックを探す。
怪物の尻尾の攻撃の衝撃波でどこかへ飛ばされてしまったリュック。その中で使えそうなものがあるかはわからないが、それは見つけてから考えることにする。
大木の根元から少し下の辺り、二人の横たわった姿が丘の上に見える。森との境は明暗がはっきりと分かれ、一歩入れば日がほとんど入らない暗い森の中。そこまでリュックが飛ばされているとなると、見つけるのは骨が折れそうだ。
とりあえずオークスは、境に沿って丘を一周することにした。それならば、半周するまで二人の安否がわかり、リュックの捜索もできるからだ。
彼は境に沿って反時計回りに捜索を開始する。といっても、少し小走りに見回りをするだけ。丘の斜面に無ければ森の中ということなので、捜索は諦める。危険が多い森の中を耳が聞こえない状態のまま一人で探すほど無謀なことはしない。その時は諦めてヒノビの帰りを信じて待つことにしよう。
捜索を始めて十分ほど経った頃、倒れた大木が九時の方向と捉えると彼は十二時の方向で一つ目のリュックを発見する。それは淡いピンク色でウサギのワッペンがチャームポイントの可愛らしいエリスのリュックだった。土で汚れてはいるが、穴が開いた箇所はなくまだリュックとしての役目は果たせそうだ。
オークスは背負いこむと再び歩き出し、倒れた大木に到着する。倒れていてもその存在感は消えることなく、上を見上げなければ幹の終わりが見えない。
下をくぐって後半戦の捜索を開始する。
歩みを進めると視界の右側で何かが動いた。暗闇の中に光が四つ浮かび上がっている。不思議に思って目が凝らしてみると、オオカミが二匹こちらの様子をうかがっていた。
「オオカミか……」
脅威になる存在に変わりはないが、怪物と比べると全く恐ろしくなかった。が、それは感覚がマヒしている証拠。それに気づき顔から血の気が引いていく。
「やばい!」
とっさにエリスのリュックをオオカミに向けて盾にする。飛びつかれると厄介だ。彼らの爪と牙にとらえられれば子供が自力で逃げるなんてこと出来るはずがない。構えたまま、じりじりと丘を登って距離をとる。
四つの光がオークスを狙って牙を剥き、おどろおどろしい形相で颯爽と向かってきた。
森との境にも時間帯の影響で日が差している。暗い森の中から鮮やかな緑の絨毯と煌びやかな日光に目をしぼませる。
境にオオカミの腕が差し掛かった時、バチンッと何かが弾けたような音が響いた。その音にびっくりした顔のまま腰を抜かして地べたへへたり込むオークス。
オークスが見た光景はオオカミたちが襲ってくる瞬間、何もない空間にその行動を遮られた。壁や誰かの攻撃というわけではなく、本当に何もない空中で後ろに跳ね返っていったのだ。
そのまま、オオカミたちは脱兎のごとく尻尾をまいて逃げていった。オークスは何もしていないが、攻撃されたと勘違いしたのだろうか。襲ってきた時とは裏腹にとても怯えた様子に見えた。
突拍子もない展開に頭にはてなの文字がいくつも浮かんでいる。急にオオカミが現れたと思ったら襲われ、とびかかられそうになったと思ったらよくわからない音と共にオオカミが跳ね返り、怯えた様子で去っていく。その間およそ30秒。展開に頭がついていっていない。
腰の抜けた体制を起こして、構えていたエリスのリュックを肩に掛け、再び歩き始める。残り四分の一で探索が終わる。今のところの収穫はエリスのバックのみ、ほかは目立つ場所に落ちていないため、森の中に飛ばされてしまったようだ。
残った道のりの中で、襲われなかった理由を考えてみたものの、それと似たようなことが最近あったことを思い出す。何もない場所から突如として炎が出現するヒノビの魔法だ。無から有が生まれた瞬間。
やはりあれは何らかの魔法だったのだろうか。しかし、オークスは魔法をまだ使うことができない。理論を先生から教わってはいるが、やり方までは教えてくれなかったからだ。
では誰が魔法を使ったのだろうか? 森の中は薄暗いため、人が木の陰に隠れていたとしても気づけない。少なくとも丘の方面には誰もいなかった。
訳も分からないまま探索を続けていると初めの場所に到着していた。結局みつかったリュックはエリスの物のみで、残りの探索は半分諦めている。
大木の根元、二人はまだ寝息を立てて眠っている。起こさないようにそっと、傍で腰を下ろして肩からリュックを下ろす。
二人の寝顔を一瞥した後、暮れる夕日を心配する。ここら一帯の夜はかなり冷え込み、火がそばに無ければ寝付くことが難しい。それに今いる場所は森の中心のような場所、オオカミなどの獰猛な動物に襲われかねない。
と考えながらも、オークスは睡魔に襲われ目をこする。今眠ってしまえば二人に危険が迫っていても気づくことができないかもしれない。
「ふぁ~あ」
大きくあくびをし、胡乱な目を幾度となく無理やり開き、夢に落ちることを拒否する。しかし体は睡眠を求め、眠る準備を始めてしまう。膝を抱え、その間に顔をうずめて、小さな寝息を立て始める。
虚ろな意識の中、かすかに足音が聞こえた。その足音が三人の前で止まると、ゆっくりと自身の体が浮き上がる。揺られながら移動していく違和感を覚えながら、そこで意識は闇へと溶けた。
☆★☆★☆★☆★
額を伝う汗を乱雑にぬぐい捨て、絶望する心を奮い立たせる。
自分の魔法を近々で喰らうことなどあるはずがない。放つ魔法の威力は幾度となく見てきていたため、それがいかに狂気的なものなのかは知っている。問題はそれを防ぐすべを知らないということ。
まともに喰らった自分の魔法を恨めしく思いながら、あの窮地から救ってくれた部分の事実には感謝している。おかげさまで骨の数本は犠牲になってしまった。どこの骨がお陀仏になっているかは動けばわかることだが、骨以前に筋肉が悲鳴を上げている。
着地という着地ではなく、地面に打ち付けられたが正しい表現で生還し、強打した背筋や少しでも衝撃を和らげようと突いた手の感覚は今もまだ戻っていない。無理に正面、怪物の方を向けば愉しそうにこちらを眺めている。近づくでもなく、攻撃するでもなく、相手の動向を観察している様子。
遊ばれている。戦いになっていない。それに、相手の特殊能力がかなり厄介だ。
こちらの行動の先を読まれるのだから対抗する手立てが見つからない。ただ読まれるだけならば、防御される前に攻撃を加えればよいのだが、ヒノビの速度にも対応できるほどの攻撃手段をすでに持っていることが問題だった。
絶望に打ちひしがれながらも震える脚に鞭打って懸命に立ち上がる。
唯一の武器は唯一勝ち筋が見えるだろうと考えた作戦のためにヤツの背中に突き立てている。あるのは己の拳のみ。それも虫ですら殺せないほど弱弱しい拳。
この状態で魔法を使うのは非常に危ない。原理はわかっていないが、十分な体力と健康的な体でなければ魔法の制御ができなくなるからだ。これはヒノビの実体験に基づいた知識であり、可能性の話ではなくかならずそうなるという確信の下に使えないと判断している。
体長はこちらの10倍以上。鞭のようにしなり音速を超える攻撃を繰り出せる尻尾。至近距離からの魔法に耐えられる体表を覆っている鱗。攻防ともに優れた、まさに怪物。
拳を構えたまま、ゆらゆらと千鳥足でヤツへ特攻する。
ヒノビの行動に鼻をひくつかせた怪物が、ゆっくりとその巨体を動かし、咆哮した。
脚部に力を込め、その咆哮と同時に走り出す。
「うおおおぉぉぉ!!」
向かってくるヒノビを待っていたと言わんばかりに尻尾を振り回し、その距離を詰める。
迫ると同時に繰り出された右からの薙ぎ払い、鼻先をかすめるほどの距離で避けつつその風圧を味方に付てけて大きく後ろへ跳ぶ。ヤツとの距離感を誤れば一瞬で―――
考える暇もなく、薙ぎ払った尻尾はそのままの勢いで上からの叩き付けへ派生。ヒノビは着地と同時に右へ避ける。
間髪入れずに、迫る勢いを利用し、怪物の右前脚が地面をえぐり、勢いの付いた礫がヒノビの避けた先へと飛散する。無差別な散弾攻撃に、へし折られた切り株の影に隠れ、腕を構えて頭を守りながら地面へと伏せる。
人体への被害を最小限に抑えて何とか乗り切ると、再び上空から影が忍び寄る。それも伏せた体制のまま横転しその攻撃を避ける。
一呼吸する暇がない。回避した先に攻撃を仕掛けられ、反撃どころかまたも防戦一方に陥っている。
その後も攻められ続け、ヒノビの体力は徐々に削られていく。
窮地に追い込まれつつ、何とか切り返しの一手を考えるが、あまりにも尻尾からの攻撃が激しすぎてどの一手も通用しそうにない。まずはあの尻尾の動きを止めなければ活路が見いだせない。
結論に至ると、ヒノビはまだ薙ぎ払われなかった森の方面へと駆ける。
怪物はその背中を追うようにゆっくりと移動を開始する。圧倒的な強者が弱者を弄んで嘲笑うかのように、一歩ずつヒノビに緊迫感を与えながら。
森に着くと、すぐさま蔦を手に取り、
「あいつの閉じ切らない顎と尻尾にこれを巻き付けられれば―――」
かがんで蔦を掴むとすぐさま怪物を睨む。
ヒノビから攻撃を仕掛ければ先読みの能力でタイミングをずらされる心配があった。なので、ヤツからの攻撃に合わせて作戦を実行する。固唾を飲んでその時を待った。
しかし数十秒待っても、怪物は動かない。それに、ヤツも攻撃が届く限界の距離感を保ったまま尻尾を揺らしているだけ。近づいて間合いに引き込ませるのではなく、ただじっとヒノビからの行動を待っているようだった。
「まさか、だけど、私の攻撃だけが先読みされるってこと? すべての事象に対して先読みできるわけじゃない……ってことかしら」
軽く今までのやつの行動を振り返ってみる。大木の初撃を除けば、それら以外はすべてヒノビから攻撃を仕掛けていることに気づく。オークスを助けた時も森に誘い込んだ時もどちらもヒノビから攻撃していた。そのたびに迎え撃たれていたことを思い出す。
大木の初撃は何らかの条件が当てはまっていなかったため、読むことができなかったのだろう。真実は怪物にしかわからないが、とにかく、ヒノビとの一騎打ちになってからというもの、どの攻撃をするにあったっても最初に行動していたのはヒノビだった。
それに気づくと、少し気分が軽くなったように感じる。まだ完全にヤツの先読みの能力を熟知したわけではないにしろ、発動条件が絞れたことで無敵ではないことに安堵する。
「
満身総意の体だったが、勝機が見えるとやはり大陸一の部族の血が騒ぐ。勝つための戦ならば、命をも奉げる覚悟を持っている。
「あの子たちが無事だったら、私はどうなってもいいんだけどね」
その言葉は誰の耳にも届くことがないほどに小さく、口の端から洩れた彼女の本音だった。護衛という立場でエリス達に接触したが、それ以上の感情をもって彼彼女らに接していたヒノビ。その奥底にある想いを決して表に出すことがないように。
蔦を握っている手に力が入る。そして、脚部に再度限界以上の力を込めて、地面を蹴り出した。
「アイツに危害を加えるんじゃなくて、ただ走るだけ……」
そう口に出して言い聞かせる。この行動で怪物が動いたのなら、こちらの意思に反応して行動しているわけではないということが判明する。
ぐんぐんとヤツとの距離が近まっているが、一向に攻撃を仕掛けてくる気配はない。が、相変わらず左右に揺れている尻尾からは恐怖心を煽られる。四方八方どこからも攻撃を仕掛けられるヤツの尻尾に警戒してしまうが、今だけはそれすらも押し殺してただ怪物の隣を走り去るということだけを頭に、スピードを速める。
緊張の一瞬だった。
しかし、怪物は動かなかった。
この結果はヒノビにとって非常に喜ばしものだった。
今までヤツの牙城を崩せずに苦戦していた。しかし、敵対心を押し殺せばヤツに勘付かれることがないのだから。
「あとは、体がもってくれればいいのだけど……」
すでに限界を超えて動き続けているヒノビの肢体。少し動くだけでも焼けるような痛みと巨大な針でくし刺しにされるような痛みが体中を襲っていた。その体を気力だけで動かし、ヤツとの最終対決に終止符を打つべく再度体を叩いて言い聞かせる。
負け一色だった戦況に光が差した。絶望の色に染まっていた目も今では、獲物を狩る鋭い双眸へと変化している。あれこれ考え、ごちゃごちゃになりながらの戦闘はやめだ。頭を空っぽにし、無心でヤツに近づく。
大きく深呼吸をして、再三頭と心を真っ白にし、ヤツに飛び掛かる。
ヒノビの魔法のおかげで常時力なく半開きになっている顎に蔦を絡める。すると、いつの間にか接近されていたことに気づいた怪物は大きく体を半回転させ、尻尾で辺り一帯を薙ぎ払った。
狙いの無い攻撃はヒノビにはかすりもしない。加えて、今までは空中に避けると八方塞がりだったが、追撃が来なければどうってことはなかった。
オークスとロイスの初撃で失ったヤツの視力は、てここにきて大きな障害となっている。ヒノビの敵対心を基にして行動していた怪物にとってはその感情がない彼女を見つけることは不可能に近い。接触されるまで気づけないからだ。
ヒノビは顎にかけた蔦を尻尾が顔に急接近するタイミングで、尻尾にも巻きつけんとする。しかし、尻尾のその太さと力強さゆえに数周巻きつける程度では簡単に引きちぎられてしまった。
「この、体でっかちめ」
易々とちぎれた蔦を顎の下から眺めながら、怪物の巨体に悪態をつく。
怪物もヒノビの狙いが尻尾であることにその行動で気づき、横に薙ぐのではなく地面に叩きつける攻撃へと変化させる。これならば、尻尾が顔に接近することはなくなった。その後は無差別に強烈な一撃が乱発され、辺りには砂埃と砕け散る石や岩が弾丸のように飛び交っている。
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