第11話
城を出て森を抜けたところに、この国最大の街、城下町はある。城下、と言っても城の周りはぐるりと森に囲まれているわけで、街はその周りをさらにぐるりと囲む形で形成されている。その外には城壁があって、その外は山や草原、ぽつぽつと点在する村がある。
そういう風なことを、目の前に座るノクロに語って聞かせると、彼女は窓の外の景色や出発前に渡した簡単な地図を交互に見ながら興味深そうに聞いていた。まるで子供がおとぎ話でも聞いているかのような聞き入り方だった。
俺とノクロは、小さめの馬車に乗り込んで森の中を走っているところだった。ちなみに御者はノクロの護衛のジェミャである。馬が怯えて暴走しないことを祈る。
「こんなつくりなんですね。ウチの国とはだいぶ違う」
「そうなんですか」
「海があるので。城の背後は断崖絶壁だし、森もないから……」
「ああ、なるほど」
空中におそらく自分の城を描きながら、ノクロは地図と照らし合わせている。面白いなあ、というつぶやきは無意識なのだろうか。時たまこぼれ出るそれに相槌を打つべきか迷ったが、彼女は空想の中にいるようなのでしないことにした。
窓の外を見る。どこまでも続く深緑の森は見飽きているが、彼女にとっては新鮮なものなのだろうか。
――俺が彼女の言う海を思い描くのと同じように、彼女もこの森を思い描いていたことがあったのだろうか、なんて。
流れる単調な景色を見るのをやめ、ぼんやりと、彼女に視線を向ける。しばらくしてそれに気がついたのか、ノクロがパッと顔をあげてかすかに小首をかしげた。
「? 殿下?」
「あ、いえ。……その、随分楽しそうだったので。……俺も、海を見てみたいな、なんて」
「海を? ですか?」
「写真などでしか見たことがなくて。……あ、着きましたね」
森を抜け石畳の道に差し掛かるのと同時に馬車はゆっくりと停車する。
ジェミャの手を借りて馬車から降りた彼女は、はあ、と感嘆の声をあげた。
城下町の大通りは、行商人や露天商などの間を行きかう人々でにぎわっている。老若男女、この街に住んでいる者からそうでない者まで、様々な人が入り混じった街である。俺は一人でこっそりここに来るのが好きだった。身分も何も、この人の濁流にはがされて消えていくようで。
「すごい人ですね」
「この街一番の大通りですから」
「なるほど」
感嘆の声を漏らす彼女の目はひとところに10秒もとどまらず、せわしなく動きまわっている。よほど珍しいのだろうか。……まあ、そんなふうにしているから、2人は道行く人々に驚いた顔でじろじろ見られているわけだが。そもそもこの国では珍しい部類の長身が目を引くし、加えて控えめではあるものの着ているのはドレスと甲冑である。目立たないわけがない、というか。
「……あの」
「! はい、すみません見入ってしまって」
「それはいいんですけど、その。……色々、見て回りませんか?」
俺のおずおずとした申し出に、彼女は目に見えてわかるほど喜色満面になって頷いた。
「ぜひ!」
………………
「王子様! 今日はお忍びじゃないんですか?」
「これはこれは、王子殿下。今日は何が入用だい」
「王子さま、遊んでくれる? ……また今度? はぁーい」
「……随分と、人気なのですね」
「はは、まあ……」
十歩進めば必ず一人からは声をかけられるような状態の俺を見て、彼女はそうつぶやいた。皮肉ではなく、純粋な興味としてだろうと思われるその声音が若干気恥ずかしくて、俺は頭を掻く。
「内緒にしてくださいね、親父には内緒で来てることも多いので」
「ええ、もちろん」
そう言い含めているうちに、ノクロは俺の顔見知りの少女から飴玉を受け取っていた。小さな少女から手渡されたそれを大事そうに小物入れへしまい込むのを見とどけてから、俺はまた歩き始めた。その後ろにぞろぞろ顔見知りの子どもたちが続こうとするものだから、俺はごめんな、と断りつつ散らそうとする。しかし好奇心が服を着て歩いているような年頃の彼ら彼女らに俺の制止は意味を成さない。
「ねー王子さま、そのひとだあれ?」
「おひめさま?」
「おっきーい」
「なーなー、何くったらそんなにでかくなんの」
「きらきらー」
「ごめんな、今俺お仕事中なんだよ。また今度遊んでやるから、今はほら、散った散った」
「えー」
「おひめさまなの? どこからきたの?」
「なんでさらに増えるかな? あーッちょっと、人間登山しないで、怒られるから俺が」
子どもの服をちょいちょいとやって引っぺがそうとするものの、どうにも一筋縄ではいかない。挙句の果てには何の反応もないジェミャをよじ登ろうとし始めるのだから俺はもう生きた心地がしなかった。白い髪を鷲掴みにされながら顔によじ登られている彼は、本当に何を考えているのかわからない顔で棒立ちしている。ノクロはと言えば、そんな従者を見てけらけらと控えめに笑っていた。
「ほんとすみません、今どかしますから、ほら降りろって」
「……いや、気にしなくて、良い」
「!?」
俺が頑張って子どもを引っぺがそうとしていると、不意に地を這うような重低音が聞こえた。その声の出どころはどうやらジェミャだったらしい。
彼は子どものわきの下に手を添えると、いともたやすく顔からはがしそのまま肩に乗せた。普段絶対目にすることのない高さからの景色に、子どもは興奮の叫び声をあげた。そして彼の足元には、それをうらやましがった子どもたちが何人も集うことになった。
「子供好きなんですよ、彼」
「意外です」
「でしょう? 昔は私もああやってあやしてもらいました」
「へえ……」
何の変哲もない街角で完全に人間遊具と化した従者を、彼女は愛おし気に眺めている。俺が肝を冷やしていることなど知らずに。
……はたと思いいたる。
彼女が本来結婚したいのは、もしかするとこの男なのではないか? と。
女装王妃は男装殿下と別れたい ぶっちょさん @botei
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