第7話

「ご兄弟と仲が良いのですね」


 次に会話が始まったのは、馬の休憩のために立ち寄った小さな泉でのことだった。湧き水でつくられた小さな泉をのぞき込み、そこに住む特に珍しくもない魚を見ていたノクロは、何の脈絡もなく俺にそう声をかけた。

 俺はまさか話しかけられるとは思っていなかったせいで、一拍呼吸を詰めてから言葉を返す。


「まぁ、悪いわけではないですね」

「私はひとりっ子なので、うらやましい限りです」

「いてもうるさいだけですよ。特に下」

「そうおっしゃる割には、溺愛してらっしゃいますよね」

「……」


 図星である。どうやらバレていたらしい。

 俺がそうやって黙り込むと、彼女はその涼しげな眼を瞬かせてから、へにゃり、と笑った。作られた彫刻のような、気品と威厳で塗り固めた笑顔ではなく、普通の、立場を考える必要のない女性がするような、やわらかい笑顔。白く小さな歯が、かすかに開いたくちびるの隙間からのぞいている。血色の悪い顔は、木漏れ日のせいかわずかに赤みを帯びて見え、白髪はきらきらと七色に輝いていた。


「、は」

「……あ」


 俺が息とも声ともつかない音を出すと、彼女は慌てて口元を隠して咳ばらいをした。恥ずかしいと思ったのだろうか、その耳は燃えるように赤い。なんとなく見続けてはいけないような気がして、俺は咄嗟に水面へ視線を向けた。


「す。すいません」

「いえ……」


 なんとなく謝罪が口をついて出る。彼女はしばしののち、顔をパタパタとあおぎながら表情を整えた。溶けた粘土をまたこねなおすようにしばらく頬をもんでいたが、その手を放すと顔にはまた仮面がつけられたような表情が張り付いていた。


「……あの」

「はい?」

「……。俺の兄貴は病弱で、弟はまだ10にもなってないです」

「はい。存じております」

「なので、その。俺がしっかりしないといけないというか、王位継承権は俺にあるというか」

「……」

「その……つまり」

「ご兄弟を案じて、国からは出られない、と。婚約に関わらず?」

「……はい」

「なるほど。随分と、急ですね」

「すいません」


 俺は後ろに回したこぶしをぐっと握り、次はまっすぐ彼女を見据えてそう言った。ノクロは悲しむでもなく怒るでもなく、何を考えているのかわからない顔で俺を見ているだけだった。いっそ何か感情を表してくれれば俺もやりようがあるのに、と思うのは、俺の勝手な考えである。

 そうですか、そうですか。と、彼女は何度も繰り返し呟いて、視線を上下左右と巡らせた。

 気まずい沈黙が流れる。何を言うべきか、と俺が考えているうちに、彼女はふいに馬へと乗り俺を振り返り言った。


「行きましょう。もう少し案内してください」

「あ、ああ、はい。……あれ?」


 そばにいた馬の手綱をとろうとした俺の手は、何の手ごたえもないままスカッと空を泳いだ。

 俺は自分の手を見詰め、それからゆっくりと顔をあげる。

 広がる雄大な自然。不自然に踏みつけられた草。蹄のあと。


「……え?」


 

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