第6話

 さて。

 どうしてこんなことになっているのか、状況を整理したい。

 今俺は森の中で馬にまたがっている。視線を前にやれば、そこには先行して進む木々の隙間からこぼれた陽光に照らされた王女がいて、後ろを顧みれば後にはかすかに馬の足跡が残る森の小径が続くばかりであった。

 俺と王女――ノクロは今、何を隠そうたった二人きりで、俺たちの王宮を囲む森の中を散策しているところである。


「お話には聞いていましたが、こうも豊かな土地とは。うらやましい限りです」


 はた目に見ても決して安くはないだろうことがありありとわかる、その美しいドレスの裾を豪快にさばいて馬に乗る彼女は、さして珍しくもない森をきょろきょろと見回しながらそうつぶやいた。


「山ひとつへだてると、こうも違うものなのですね」

「はあ」

「気候も穏やかで」

「そうですか」


 鳥の声を聞いては馬を止め、花の揺れるのを見ては馬を止め。

 ゆるゆるとあてもなく馬を進める彼女のうしろを、俺はただひたすらについていくだけだった。俺にとっては見慣れたものであるし、彼女の気を引くものがどういうものなのか説明できるだけの知識もない。かといって、雑談をする話術もない。もしついて来たのが兄貴やハロムであれば、兄貴ならその頭に詰まった学術で見えたものを片っ端から解説できただろうし、ハロムなら一生懸命考えたおしゃべりで空気を和ませていただろう。しかし俺には、何もない。

 俺はふたりきりで王宮を出発させた親父を、心の中で恨んだ。


――――――――――――

「婚約って言ったって、その、色々あるでしょうから、すぐにお返事というわけには、ね」

「そのあたりを考慮せずに、と言えば?」

「いやあの」

「婚約の件、特に考慮することがないのであればすぐにでも」

「早い!」


 まるで将軍か何かのように詰め寄ってくる彼女を、俺はたじたじになりながらなんとかかわす。視界の端に映る兄貴とハロムは俺の醜態をニコニコ微笑んで見守っている。バカヤロウ。そして甲冑の大男は、ほんとうに俺を射殺そうとしているかのような鋭い目で俺を睨んでいる。

 しばしの押し問答の末、ノクロはしゅんと肩を落としうつむいた。


「……?」

「では、いつかその首を縦に振らせます」

「はい?」

「お覚悟を。私たちは粘り強い民です」

「はぁ……」


 彼女の目が、まっすぐ俺を捉える。ぞくり、と背筋を震わすような強いその視線を受け止めきることは俺には到底できなくて、視線を外した。

 親父が謁見の間に入って来るのと俺が視線から逃げたのはほぼ同時のことだった。


…………


「先ほど父君とお話したが、王女殿下。貴殿はこの国の生活をご覧になるためおいでになったと」

「はい」

「え、婚約の件では?」

「ついでです」

「ついで⁉ あんな言っといて⁉」

「クラエ」


 ノクロはこともなげにそういう。俺は本気で彼女が何を考えているのかわからなくなって、思わず兄貴の影にそっと隠れた。


「次期国王として。各国をこの目で見て回るために、父王と共についてまいりました。……もっとも、父に無理を言って連れてきてもらった、というような感じではありますが」

「……」


 再度、無礼をお許しください、と彼女は親父に頭を下げた。親父は無言のまま口ひげをひねっている。どうするんだよこれ、と俺は周囲を目だけで見渡した。

 親父と目があう。彼は息を吸い込み、声帯を震わせてこういった。


「おまえ、クラエ。王女殿下を案内して差し上げなさい」

「……俺⁉」


――――――――――――


 ……というわけで、俺はこうして彼女と共に森にいるわけだが。

 最初は街に行くだろうと思って馬車を用意させようと思っていたのに、彼女はなんでもないような顔をして「森に行きたいです」と言った。そして俺は半ば引きずられるようにして厩舎へ案内させられ、そこで仕事をしていた使用人に声をかけて馬を二頭連れてきてもらった。

 王女が馬に、それもドレスで乗れるのかと疑問だったが、彼女はいともたやすく軽々と馬にまたがった。勇ましさすら感じる、威風堂々たるその姿に使用人が感嘆の声をあげていた。

 俺も馬へ乗り、彼女の前へ進む。


「……では、案内させていただきます」

「よろしくお願いします」


 蹄の音をたてて馬は進む。王宮を出ると、街へ続く道が緩やかな曲線を描きながら続いている。その両側は鬱蒼とした森に囲まれており、俺たちは街道をそれて森の中へと続く小径へと馬を進めた。


「ドレスだったら馬車の方がいいんじゃないんですか」

「いえ、これが一番慣れているので」


 道中、俺は彼女にそう問うた。彼女は振り返ることなく答える。ドレスで乗馬など、今の今まで見たこともなかった俺はそうですか、としかいうこともできず会話は終った。

 気まずい沈黙に耐えられるかの我慢比べなのかもしれない、と思った。

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