第5話

「まあ、まあ! 3人ともおそろいなのね、かっこいいわ」


 テラスの奥、大理石の丸いテーブルで優雅に朝食をたしなんでいた初老の女性――俺たちの母上であるスリア国王妃は、ニコニコと微笑みながら立ち上がり息子たちの額にそれぞれキスをした。

 その隣に座っている父上――スリア国王は、俺たちをちらりと横目で見ただけであいさつも何もない。ただじっと、テラスの外に広がる森を眺めているばかりだった。何を考えているのかわからない彼が、実のところ俺は少し苦手だ。


「おはようございます、父上、母上」

「おはよう、クラエ。ほら、早く食べなさい」

「ハイ」


 俺は促されるまま席に着き、ハロムからこれが美味しいこれ代わりに食べてなどのおしゃべりを受ける。

 その間、兄貴は父上とテラスから姿を消していた。

――――――

 朝食は穏やかで、いつも通りおいしいものだった。

 ふいに背後から声をかけられ、俺は口端についたジャムを拭きながら振り返る。部屋の中に立つ兄は、どこか暗い顔をしているように見えた。もしかしたら、影になっている部屋の色調のせいかもしれないけれど。


「クラエ。君にお客様だよ」

「え?」


 俺は足元にじゃれつくハロムごと兄貴に続いて謁見の間に向かう。お客様に心当たりはなかった。衣装屋か? と思ってみるも、それにしては慌ただしすぎる。もしや他国の使者が見合い相手の紹介をしに来たとか? 

 俺が色々ぐるぐると考えている間に、謁見の間のドアが見えてくる。じゃれていたハロンも、この場の雰囲気を感じてか大人しく俺のズボンを握ってついてくるだけになった。


「そういえば父上は?」

「……お客様の一人と、お話をしに自室へまいられたよ」

「へぇ。珍しいな」

「ご友人だそうだ。古くからの」

「ふーん」


 ドアの前に立つ。天をつくようにそびえたつ、黒檀の分厚いドア。重々しい意匠の装飾が施されたノブを引くのはいつも俺の仕事だったが、なぜか今回はいつもより緊張していた。俺目当ての客人だからだろうか。

 ドアを開ける。年季の入ったきしむ音と共に、冷えた空気が外へと解き放たれた。


「……!」


 中にいたのは、2人の人物だった。

 1人は、鈍く光る、よく磨き上げられた甲冑を身にまとった褐色の大男。もう1人は、この世のすべての青を織り交ぜたような不思議な色合いのドレスに包まれた、これもまた長身の色白な女性。どちらもすらりと伸びた全身はほのかに青白く、まるで蝋人形のようだ、と俺は唾を飲み込んだ。

 女性の、冷ややかな目がこちらを向く。ぞ、とわずかに鳥肌が立った。


「……ぁ」

「スリア国第二皇子、クラエ殿下はどなたか」


 最初に口火を切ったのは、甲冑を着た大男だった。灰色がかった白髪の奥、みどりの目玉が俺たちをにらみつけるようにこちらを見ていた。

 俺は一歩進み出て、俺だ、と声を上げた。


「貴殿が」

「ああ、そうだ」

「……ふん」

「あ?」


 男は俺を見下ろし鼻で笑う。明らかに含まれた嘲笑に、俺は眉をひそめた。


「ジェミャ。よして」


 女性が甲冑男を制する。彼は威嚇する犬みたいな顔でこちらを睨みつけながらも大人しく引き下がった。

 女性は男と入れ替わるように音もなく前へ進み出る。彼女はまっすぐに俺の目の前まで歩み寄った。

 俺より頭1個半ほど背の高い彼女は、じっと俺を見下ろしている。

 かと思えば、彼女はふわりと花のほころぶように笑って。そして――



………………


 俺の悲鳴が王宮中にこだまする。

 はひはひと情けない呼吸をくり返す俺を、兄貴は困ったものを見るような目で見ていた。

 まだ指先に生ぬるくやわらかいものが触れているような気がする。指先を見詰めても、そこには何も触れていない。


「こらこらクラエ。失礼だよ」

「ハ⁉ 失礼⁉ 何が⁉」

「おまえの態度」

「急にあんなんしてきたコイツのせいだろ⁉ 俺悪く無くない⁉」

「クラにい、しつれい」

「なっ……くっ……!」

「おまえ、ハロムのいうことには逆らわないのやめた方がいいよ」


 そばで見守っていた兄貴が俺をたしなめる。俺悪くないのに。ハロムまでやいやい言ってくる始末で、俺はこの場に味方がいないことを知った。

 そんなごたごたを見ても、王女殿下はいまだなお微笑み続けている。横で甲冑男が何やらぎゃあぎゃあ喚いているが、どこ吹く風と。人は表情が一定のものから変わらないものを見ると不気味に感じるというが、それはどうやら笑顔も例外ではないらしい。

 猛禽に見つめられた、小鳥のような。そんな心地だ。


「……クラエ殿下?」


 彼女――ノクロはもう一度俺の名を呼ぶ。今度は疑問のニュアンスを含ませて。


「ほら。クラエ、挨拶は」

「あー……、その。スリア国第二皇子、クラエと申します」

「クラエ殿下、どうぞお見知りおきを」

「どうも……」


 満足げに微笑んだ彼女は、今度は見事に洗練されたカーテンシーを披露する。おず、と俺もぎこちないお辞儀を返す。


「ほぼ無断での謁見、お許しください。王の独断で大変なご迷惑を」

「いえ、気にしないでください。父も会うのを楽しみにしていました」

「ありがとうございます。よろしければこちらを」

「! おかし!」


 次いで兄貴に向き直ったノクロは眉を下げてそう非礼を侘びた。甲冑男を呼び寄せ、どこに持っていたのか名物だという菓子を手渡している。菓子を出した時点でハロムが彼女たちの味方に付いたのが分かった。


「クラエ殿下」

「え、あはい」

「此度は例の件について、殿下の御意見を承りたく参上いたしました。お考えを、お聞かせ願いたい」


 にわかに王女らしくない言葉遣いに転じた彼女は、俺の顔をまっすぐ見つめてそう声を発した。

 例の件。頭の中がぐるぐるめぐる。例の件って何だっけ。

 俺は上を見て、下を見て、左、右。脳みその場所をデカく陣取った例の件を無視し、首をぐるりとゆっくり1回転させ、時間をかけて首をひねってから、ようやく視線をまっすぐ受け止めた。


「なんの件でしょうか」

「ダチルマとの婚姻の件、ご了承いただけますか」


 それ以外ないよな!

 

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