第4話 

「以後お見知りおきを、クラエ殿下」


 ぎゃあ! と悲鳴をあげてキスをされた手を払うと、彼女はそれ以上は何もせず大人しく下がった。張り付いたような微笑みがいっそ不気味で、青白い顔が余計に人ならざる者ではないかという疑惑を持ち上げる。青いドレスに一寸の乱れもなくまとめあげられた白銀の髪、青白い顔と血色感が一切取り払われたようないでたちは、その存在すら希薄に感じさせる。まるで幽霊とでも対峙しているような心地になり、俺はバレないようにさらに半歩下がった。


…………


 その日は朝から王宮が上へ下への大騒ぎだった。

 俺は朝目覚めてすぐ、待ち構えていたメイドさんたちに兄貴の衣裳部屋へ拉致連行された。宝の持ち腐れだといつか兄貴がぼやいていた、兄貴の第一皇子らしい豪華絢爛な衣装をああでもないこうでもないとあてがわれ続け、その間にひどい寝癖で野放図になっていた髪をどうにか整えられる。兄貴の服はどれも窮屈で、俺の服でいいんじゃないですかと言えば口をそろえて却下された。

 全身赤に着替えさせられて、めったにつけないタイまでつけさせられてから俺は漸く解放された。後ろに撫でつけられ、整髪料をこれでもかと塗ったくられた頭は違和感しかない。

 朝からどっと疲れて、よろよろと食堂に向かう。その道中にも、王宮がいつにもまして飾り立てられ、床の一タイルまで磨き上げられているのを見た。

 食堂も鬼気迫る勢いで装飾が進められていた。いつもの長いテーブルの上、普段はめったにみない秘蔵の食器などが、おそらく今回のために新調されたのだろう真っ白なテーブルクロスを挟んで設置されている。俺はもはや何が何だかわからなかった。

 

「ああクラエ。おはよう」

「クラにい! おはよお!」

「兄貴、ハロン」


 食堂の入口へ顔を出した兄貴とハロンに助けを求めるように俺は近づいた。そして目を見開く。彼らは今までに一度も見たことのない、これまた豪華な衣装に身を包んでいたからだ。胸に輝く紋章やら勲章やらが眩しいほどである。


「朝食はテラスでと伝え忘れていたとメイド長から聞いてね。呼びに来たよ」

「いや……うん、ありがとう」

「行こうか。父上も待っているし。……? どうかしたかな?」

「いや、その……服、見たことないなって」

「ああ、これかい。謁見に際して母上が作らせたそうだ。似合わないと思って遠慮したのだけど」

「いやそうじゃなくて似合ってるけど……謁見?」


 気恥ずかしそうに勲章をいじる兄貴と、対照的に勲章を見せびらかしてくるハロンをよそに、俺の頭の中では謁見の二文字がぐるぐる回っていた。だれが? だれに? だって、そんな話最近は一度もなかっただろう!

 俺の挙動不審に気がついたのか、兄貴はキョトンと不思議そうな顔をして俺を見る。そして俺の頭をよしよしと優しく撫でながら、ごくごく優しい真綿のような声でどうかしたかい、と問いかけてくるのだ。


「謁見って、きいてなかったから」

「昨日書簡が届いたそうでね。もう出立されているようだったから返事もできなかったのさ」

「さすがに強引すぎないか」

「まあまあ。父上の古い友人だそうだよ。なんでも、一度会ったことがあるそうだけれど……まぁ、覚えていないよね」


 俺は素直にうなずく。俺の手をハロンがそっと握った。


「行こうか、早く朝食を終わらせないと時間が押してしまう」

「うん」

「クラにい、てつなご」


 兄貴は俺の手を引いてテラスへと導く。俺はハロンの手を引いて兄貴に続いた。中腰は少しきつかったが、昔――兄貴がまだ元気だったころがそのまま育ってきた未来のようで、俺は誰にも知られないように口唇をほころばせる。

 

 テラスに続く渡り廊下のなかほどで、不意にハロンは足を止めた。


「クラにい、あれ」

「?」


 俺と兄貴はそろってハロンの指さす方を見る。

 うっそうと茂る森の木々の間、何かが光った、ように見えた。


「なんだ?」

「……想像より、ずっと早いお出ましだね」

「?」


 俺とハロンは兄貴を見る。彼はほんの少しだけ俺の手を強く握り、行くよ、とだけ短く告げてから足を速めた。

 俺は何もわからないまま、俺と同じ顔ではてなをいっぱい浮かべているハロンを抱き上げて兄貴に連れられるまま歩みを進めた。

 森の中を進むそれの正体を知ったのは、もう少し後のことだった。

 

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