第2話 

「兄貴!!!」

「やあクラエ。結婚おめでとう」

「まだしてねぇししたくねぇんだわ」


 駆け込んだ部屋では、そこの主である兄貴――スリア国王太子であるアージリエがにこにこと朗らかな顔でいらない祝福をしてきた。俺はドアを閉めて内側から鍵をかける。昔からここを逃げ場にしてきた俺にしかわからない秘密のかぎも一応かけ、誰も立ち入ることができないようにした。そんな俺の姿を見て、病弱な兄貴は弱弱しく笑っている。

 俺はむすっとした顔で兄貴のベッドの足元へ座った。すぐに手が伸びてきて、骨ばったそれは俺の頭をよしよしと撫でる。兄貴は一体俺をいくつだと思っているのだろうか。


「尻が冷えるよ。椅子があるからそれにお座り」

「……おう」


 俺は大人しく窓辺から兄貴の椅子を引きずって持って来て枕元に置き座る。兄貴を見下ろすと、随分小さくなったような気がした。

 この国の第一王子、アージリエ。俺の2つ上の兄貴で、穏やかで頭が切れる。時期が時期であり、彼がもっと頑丈な男であれば、今頃建国以来きっての賢王として統治していたであろう男。

 天蓋付きのベッドに寝ている彼の顔色は悪く、頬はかすかにこけている。くすんだ金髪は伸び放題で、白い枕の上で波打っていた。兄貴が身じろぐたびにその細い髪はさらさらと音を奏でる。

 兄貴は俺の顔が見たかったのか、何の前触れもなく身を起こした。ヘッドボードに身を預け、上半身を布団の外に出す。俺は慌てて布団を引き上げてやった。


「随分不機嫌そうだね」

「……そりゃあ、不機嫌にもなる」

「ふふ」


 兄貴は微笑み、布団を引き上げ整える俺の頭をまた撫でた。


「おまえも髪を伸ばしているのかい? 似合うね」

「ちげぇよ。髪切んのめんどくせぇだけだし」

「そう? ハロムも髪を伸ばしていたと思うのだけれど」

「……知らん」


 一番下の弟の名前を出して兄貴は意地の悪いことを言う。実際俺が髪を伸ばしているのはハロムからのお願いであったし、兄はそれを見抜いているようだった。しかし俺が知らないふりをしたため、優しい彼は見ぬふりをしてくれたらしい。ハロムにはないしょだね、と丁寧に付け加えてから彼は微笑む、


「クラエはどうしてそんなにご機嫌斜めなんだい。結婚が嫌?」

「……いやだ……」

「どうして。悪いことじゃあないだろう? おまえは婿入りした先では僕と似た立場になるんだよ、誰もおまえを第2王子だとそしらない」


 兄貴は頭を撫でながら優しく諭すような柔らかい声音で言う。はやくに死んだ母親を思い出すようなその声で俺は何度も平穏を保ってきた。彼は俺と弟の母親代わりと言える存在だった。


「クラエ?」

「……兄貴が行けって言うなら行く。……けど兄貴、また体調悪くなったらどうすんの、とも思う、から……」


 俺は気恥ずかしくなって兄貴の手を振り払い、椅子の上にうずくまる。ちらりと顔を見やると、彼はあっけにとられたような顔をして俺を見ていた。


「クラエ……!」

「あと普通に飯がまずいところに行きたくない! あと女の尻にも敷かれたくない! 以上!!」

「そういうことにしておいてあげようね、可愛い弟」

「うるっせぇ!」


 兄貴はけらけらと笑い、そしてすぐにむせて苦しそうな咳をし始める。彼は生来病弱で、5歳の頃風邪をこじらせて以来20年間1年の大半をベッドと自室で過ごしている有様だった。

 兄貴が心配で離れたくないというのは恥ずかしいが本心だった。俺がいなくなれば弟が面倒を見るのだろうが、彼は副大臣の言った通りまだ幼い。安心できない。

 だから俺は適当にこの国で結婚してこの城で一生を終えるつもりだったのに。

 でもね、と咳の合間に兄貴は言う。


「いくらおまえが嫌だといっても、僕たちは王の血を引くのだよ、クラエ。いいかい、国のために生きなくてはいけない、義務だよ」

「……わかって、る」


 その声が聞こえたのか聞こえてないのかはわからないが、咳き込むうち彼はずるずると崩れるように横になった。青白い顔が赤い。俺はいつものように背中をさすってやった。それでどうにかなるものでもないとは思っていたが、遠い昔から今までずっと兄貴がそうするのを望んだのでそれ以外を知らなかった。


…………


 副大臣は正規のもの以外のかぎがかけられた王太子の部屋の前でため息をついた。分厚く巨大な扉の前ではどうすることもできず、頭を抱える。子どもの児戯に等しいかぎを開けることなど容易かったが、ひねくれ王子の期限をこれ以上損ねるわけにもいかずそのまま立ち去ることにする。

 ひらり、と手に持った書類束の中からある小さな紙片が落ちる。しかし老体の彼はそれに気がつかなかった。

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