第9話

「今日はすごかったね」と私が云うと、

「いえ……」笹野は首を振った。

 私が麦酒と蕎麦がきを注文すると、笹野はコーヒーを店員に断わられサイダーを頼んだ。

「なにか悩みでも?」と訊くと、笹野は何か云い淀んでいる様子で下を向いている。

「僕は友情参加みたいな感じだから、何でも気楽に話してよ」

「山本さんは、第二芸術論をご存知ですか?」と笹野は顔を上げて、真っ直ぐに私を見た。

「桑原武夫だね」

「どのように解決されました?」笹野は真剣な眼差しで私に問いかけた。

「あれは俳句だけじゃなく、短歌などの短詩全体になげかけられたからね……」と話の間をとると、

「やはり諦観ですか?」と笹野は畳み掛けた。

「いや、僕は俳句や短歌に、芸術や学校教育なんてものを求めていないから。真面目な人は、そんなふうに考えるんだなと思った」

「じゃあ山本さんは短歌に何を求めているのですか?」笹野は語気を強めた。

「……何も求めてないなぁ、始めたきっかけは、好きな小説に短歌を詠む青年が登場する場面があって、それがとても格好よく思えたんだ。中学生ながら自分も歌を詠んでみたいと思った。なぜか女の子にモテるんじゃないかとも考えたしね」と私が笑うと、笹野は肩の力が抜けたのか笑顔を浮かべた。

「当時、文通ってのがあって、文通は女の子と手紙のやりとりをするやつね」

「聞いたことはあります」

「でも、手紙に短歌を書くと年寄りくさいやつだと思われて、返事が来なくなった事もあったよ」私は返事を待って悶々と苦しんだ、若き日の自分を回想した。ふと、着物姿のお仙と根津神社の紅い鳥居の狭い坂を、二人並んで登る夏祭りの光景が脳裏に浮かんだ。

「山本さん」笹野が不思議そうに私を見つめていた。

「あぁ、ごめん。ちょっと変なこと思い出して……」客席奥に祀られている吉祥天の小さな祠に何やら気配を感じ、小さな扉に目をやった。

「僕達は教授に『人生にきっと役立つから、俳句をやってみないか』と言われて……」と笹野が話を続けたので、私が笹野を見ると、

「大丈夫ですか?」と心配そうに訊いた。

「ごめん、それで俳句の会はあまり楽しくない?」私が訊くと、笹野は気まずそうに頷いた。

「楽しくないのか……。それは困ったね」と私が呟くと、笹野は俯いていた顔をあげて、

「今日の俳句は全部AIに作らせました」と云った。

「AI?」

「赤坂が皆さんの選句志向をデータ化して、季節、天気、季語などを入力すると、その日の句会に合致した俳句を作るアプリケーションを作って」と云いながら、笹野はスマートフォンを私に見せた。

「……」

「僕も半信半疑で使ってみたんです。どうせ大した俳句も作れないだろうし、選ばれもしないと思って。でも皆さんが選んでくれてしまい、なんだか本当の事を言い出せなくて……」

「たしかによく出来ていたからね」私は笹野に邪気は無かったと少し安心した。

「たった十七文字です。新人の僕が偶然に良い句を作る可能性もあるから、皆さん納得されたのかもしれませんが、いったい、俳句の良し悪しの判断基準って……」笹野は私の表情を伺いながら、

「それで桑原武夫が気になってしまって……。俳句に芸術性はあるのでしょうか?」と続けた。

 私は笹野の真剣な眼差しがなぜか可笑しくなり、ふきださぬように奥歯をかみしめた。

「僕には第二芸術論の本質は理解出来ないけど、芸術じゃなくてもいいじゃない」と答えた。

「じゃあ山本さんにとっての俳句は何ですか?」

「僕にとっては、ある意味で会話遊びみたいなものかな」

「会話?」

「こんにちは、さようなら、愛してる、楽しかった。それから寂しいとか。例えば好意をもっている人から云われた『好き』は格別に嬉しいでしょ。同じ様に、敬愛する俳人の句はとても心に沁みる」

「……」

「そんな感情を言葉に込めて伝える一つの手段として、俳句や詩もあるんだ。直接声に出して云ったり、手紙を書くのもいいけど、俳句や短歌に伝えたい心を込めるのも、遊びがあってなかなか風流でしょ」

 笹野は黙ったまま聞いている。

「君も気付いていると思うけど、いざ俳句を作ろうとしてもなかなか難しい。だから、会の仲間と勉強している感じかな。僕の場合は」

 私は笹野に説明しながら、もっともらしく語る自分が少し恥ずかしくなった。

「なんとなくわかりますが、同じ俳句が作者によって、心に沁みたり無かったりするって事になりませんか」笹野は納得がいかない様子で云った。

「他の人は違うかもしれないけど、僕は作者によって俳句から受け取るものが違う。だから、AIに俳句を作らせる取り組みは、文学の研究としては面白いが、出来た俳句形式の言葉は、人間が詠った俳句とは違う。その俳句をアプリで作った事を知った時点で……」

「AIが作ったものだと知らなければ、俳句のままって事ですよね」

「そうなるね、知らなければ」

笹野はしばらく黙り込んで、

「重ね合わせ状態だったものが、観察した時点で、俳句か俳句形式の言葉に収縮するのか。コペンハーゲン解釈みたいな……くだらない」と呟いて苦笑した。

「あくまでも僕個人の考えだよ」と私が付け加えると、

「よくわかりました」笹野は笑った。

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深大寺奇譚 山本公平 @naion7

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