第6話
大田の事が思い起こされ、なんとなく深大寺から脚が遠のいていたが、俳句の会の連中に強く誘われ、気乗りせぬまま吟行に参加するこになった。神代植物公園を散々歩き、昼食会場に指定された山門前の蕎麦屋に入ると、広間のある二階に通された。
窓から深大寺の山門をぼんやりと眺めていると、バス停の方から樺色の野球帽をかぶり、半袖の白シャツを着た男がやって来た。石畳に下駄の音をたてながら、慣れた路を逍遥しているように見えた。目を凝らすと男の口元は何が楽しいのか、微笑んでいるように見えた。そこへ、濃緑のTシャツに紫紺のバミューダパンツの男が、ゴム草履で小走りに追いついき、野球帽の右肩をたたいた。男は振り返りTシャツの顔を見ると、大声で笑い始めた。するとつられたようにもう一人も、髭で覆われた口を大きくあけて笑った。二人とも痩身短躯で、むさ苦しい身なりをしていた。周りの参拝客は二人を見て、眉を顰めたり、嗤笑しているようだ。私は二人の屈託のない大笑いにつられ、自分も笑っていることに気付き、慌てて真顔をつくった。
「何を一人で笑っているんだ?」小坂良一は私の隣に座りながら訊いた。
夏の吟行句会は参加者の体調を考慮して八月の開催は避けられていた。しかし、昨今の梅雨明けは七月といっても、暴力的な太陽が照りつける。幹事の小林保は空を眩しそうに見上げていた。
開園したばかりというのに休日の神代植物公園は、入園を待つ人が券売機の前に行列をつくっていた。小林があらかじめ全員の入園券を買っておいたので、我々十三名はぞろぞろとゲートをくぐった。ベテランの女性達は園内の案内掲示板を見つけ、指をさしながら何やら盛り上がっている。
「二時間後に薔薇園のテラスに集まってください!」と小林は大声を出して両手を挙げた。
「今九時四十分だから十一時半ごろね」と村松良子が云うと、
「そうですね、皆さんが集まったら深大寺へ移動して昼食後、句会となります」と小林は携帯電話の画面を見ながら大声で云った。
一行は七八組みに別れ、それぞれの目的地に向かい歩き始めた。
「さてと、どこに行こうか?」小坂は私の顔を見て訊いた。
「そうだね、人も多いから梅園の方へ行こうかな」と私が云うと、
「梅園?随分と季節外れだな」と小坂は不満げに云った。
「梅園の奥に柘榴の実がなっているんだよ」
「柘榴ねぇ……」
私は小坂の不満顔を無視して歩き始めた。
煉瓦造りの植物会館の前にはレストランや売店がある。その隣にある生花店では、女性達が店員と品定めをしながら、楽しそうに会話していた。
「これから植物園を廻るのに、先に花を買ってどうするんだろう」と小坂は呆れ顔をした。
「話しをしているだけで買わないよ。店員さんだって分かっているんじゃないかな。愛想よくしていれば、帰りに寄ってくれるかもしれないしね」私がそう諭すと、小坂は、「女はお喋りがすきだからなぁ」と遠くをみつめながら云った。
右に芝生広場が見える通路の角に、棗と柿の喬木が植えられていた。どちらも緑色の果実をたわわにつけて瑞々しいが、棗は小筆ではいたように、僅かに赤く色づいている実もあった。
「山本さん」笹野圭一が早足で追いついてきた。
「やぁ、どうしたの?」小坂が振り向いて笹野に訊いた。
「一緒に行ってもいいですか?」
「いいけど、今日赤坂君は?」と私が訊くと、「彼は用事があるって……」と笹野は申し訳なさそうに答えた。
笹野と赤坂は会の新人で物理学を専攻する大学院生である。恐らく会の相談役をしている教授に、むりやり入会されられたのだろう。近頃テレビ番組で少し流行っているとはいえ、若者に俳句は退屈かもしれない。
「じゃあ一緒に行こう」私はそう云って歩き始めた。
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