第3話 冒険

 郷里の私の家は、昔ながらのだだっ広い造りなので、至る所に空間があった。二階には二部屋しかない。実に無駄な造りだ。茶の間を出ると左側に二階へ上がる板戸がある。もう一つ、茶の間の窓側にある板戸から上がると二階の物置に使っている空間があった。幼い私はよく二階の物置で遊んでいた。ある日、二階の糸子の部屋から、私に声を掛けてきた。

「てるちゃん、遊ぼう」


「糸ちゃん、この物置で遊ぼう」


「うん、迎えに来て」


「うん、下に行くからさ」

と言うなり、私は階段を下りて店の前で待っていた。

そこには、陽子と向かいの家の陽子より一歳年下の悦子とが二人で遊んでいた。そこへ、糸子がやって来た。


「糸ちゃん、行こう」

私が言って二人で行こうとしたら、陽子が尋ねた。


「何処へ行くのさ」


「二階の物置に行くんだ」と、私は言った。


「悦ちゃん、物置で面白い事するかい」

と、陽子が言って、思い出し笑いをした。

三人は興味津々で、陽子を見た。陽子は得意気に笑いを演技して、さも面白くみせた。


「輝ちゃん、二階の物置から光お姉さんの部屋へ行けるの知ってるかい」


「ええっ行けないべさ」


「行けるんだ」と、自慢気に説明しだした。



 物置の下は、茶の間を出た店に続く、広い玄関部分にあたる。そして、間仕切りがなく、天井裏が露出した下は、茶の間と廊下を挟んだ両親の部屋にあたる。

 その天井裏の奥を良く見ると、右側の祖父母の部屋がある方は、行き止りで通り抜けそうもないが、左側の食堂がある方は、どうにかしゃがんでなら通れそうな空間が奥まで続いていた。


 しかし、露出した天井裏は薄暗くなっている。ましてや、その奥の空間は、小窓の明り取りの光が届くわけがない。ただ、その奥の空間を見ると、下から何本かの光が差し込んでいるのが分かった。それは、天井板にある節穴からの光だ。


 また、遠くに見える光恵の部屋らしき所に、光が差し込んでいるのも、物置から確認できた。光恵の部屋は、この物置から続く空間と結ばれる所が、障子戸一枚で仕切られているだけだった。

 その障子戸まで行って、光恵の部屋の様子を伺おうというのが、陽子の『面白い事』だった。陽子は小声で話し始めた。



「光お姉さんの所に彼氏が来ているんだわ」

陽子がくすくす笑いながら言った。


 皆も分かったようで、先ほどから比べるとかなり乗り気になっている。松田は、光恵と同じ高校の同級生で、一緒に勉強をしているのだった。しかし、小学生の四人の頭にはロマンスが描かれていた。陽子は意気揚々と、いくつかの注意を言った。

 天井板は薄いので絶対に乗らず、太い梁に乗って進む事、絶対に声を出さない事、帰る合図は手でする事を告げた。三人は、高揚して意気盛んだった。陽子は、今までに何度か行って慣れたものなのか、落ち着き払っている。

 順番は、陽子、悦子、私そして糸子となった。陽子は口を硬く閉じ、唇に人差し指を当てて、ここから静かにするようにと合図した。三人は押し黙ったまま、陽子に続いた。しかし、何となく可笑しさが募って来て、含み笑いがこぼれる。陽子と悦子は、光恵の部屋の障子戸に辿り着いた。松田と光恵の声が聞こえてこない。二人がいるのは確かだ。


「静かでないかい」

悦子が小さな声で言ってしまった。


「今、何か聞こえなかったべか」

松田が周りを見回した。


「鼠か猫じゃないかい」

光恵が何の疑問も持っていないように言った。


「そうだべか」

松田は首を捻った。


 二人は勉強していたらしく、あまり注意を払っていなかったのが幸いした。しかし、言われた陽子と悦子は焦ってしまつた。それと同時に、今まで堪えてきた笑いが一気に噴出しそうになった。陽子は、悦子に手で合図を送った。陽子と悦子は、一目散に逃げ出した。

 後ろでもたつく私と糸子に、悦子が戻るように合図した。悦子の慌て振りに私も糸子も促されて、早々に退散した。私や糸子は、半分も進まないうちに引き返すはめになってしまっていた。しかし、私と糸子は、残念そうな顔をしながらも、二人につられて、結構冒険したような気になっていた。



 この二階の物置は、私にいろいろな冒険心を駆り立てる所だった。小間物屋をしている私の家では、昔繁盛した名残の品も、二階の物置から出てきていた。私は遊んでいる間に、屋号入りの湯飲みや急須そして百人一首などを見つけた。その事を台所で炊事をしている母に尋ねてみた。


「今は、年始にタオルも配れなくなったけど、以前は木札の百人一首も配ったぐらい、店も繁盛していたんだわ。お手伝いさんだっていたさ」

母は懐かしむというより寂しそうに言った。


 台所へ水を飲みに来た父も、そんな話しに口を挟んだ。

「戦争で何もかもなくしてしまったさ。昔は一番先にラジオを買ったというのに、今じゃテレビも付いてないし。アメリカが原爆なんて、汚い戦法など使わなきゃ、きっと勝ってたさ。戦争に負けなければ、北方領土だって取られなかったしさ」

父は苦々しい思いで言い放った。


「戦争で財産をなくしたというよりさ、私が反対しても、お祖父ちゃんやお父さんが引越しを決めたからでしょ。それに、引越し先の山形でも成功していたのに、反対する私の意見など無視して、この町に戻ってきたんでしょ。戻って来てからは、店も上手くいかないくなり、お父さんも昔のような店に対する情熱もなくなったべさ」

母の目には涙が一杯込み上げていた。


「あの時は、ソ連軍が北海道へ入って来て、北海道と内地を分断すると聞いたから仕方なかったべさ」

父は言い訳した。


 先程から母の手伝いをして、一部始終を聞いていた高校生の光恵も参加した。

「終戦六日前に参戦したソ連に、北方四島がさらわれた格好なのは確かだわ。ブラジルの日系人の中には、『日本は戦争に勝ったんだ』と言っている人達がいるぐらいで、本当に日本は、目覚しい復興を遂げ、戦争に負けたんだか勝ったんだか、分からないくらいでしょ。少なくても、敗戦がもたらした、婦人参政権や敗戦国にして始めて選択できた戦争放棄の道も収穫と言えるべさ」

と言って、光恵は退散した。


 私は、百人一首を見付けた事から、とんだ方向へ話がいってしまったものだと思って、きょとんとして三人の話を聞いていた。



 父は市議会議員の叔父の死で、政治家になる夢も途絶え、覇気をなくしていた。叔父の選挙の時には応援演説で雄弁を奮っていた父だった。今は誰の選挙事務所へ行くでもなく、雄弁を披露する機会もなくしていた。まだ、若かった父に叔父の地盤は渡されず、他の有力者に渡ってしまった。それからというもの、父は夢物語ばかりを考えるようになっていた。

 私は、父がそんなに弁がたつとは知らずにいた。しかし、それが祖父の葬式で聞く事になるとは、考えてもいなかった。父は、葬儀の列席者の前で挨拶した。私は、普段の父からから想像もつかない様子に戸惑いながらも父を見直していた。

 私と光恵の年齢差は十歳であり、光恵が見た若い父と、私が見ていた年老いた父では違いがあったのだった。これは、嫁ぎ先の舅や姑を見る嫁の目にも似たものかもしれない。祖父から資源、とりわけエネルギーの大切さを学び、母の涙から戦争の空しさを感じ取り、父から人生の目立たぬ輝きを知った。


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