02-9
七瀬は確固たる信念のままに、「浜中さん、旅行に行きましょう」とハッキリと言う。その瞳の奥には燃え滾る炎が見えた。今の七瀬を止められる奴は、きっと世界中どこを探してもいないだろうと思えた。
「あぁ。存分に楽しもうじゃないか」
少し興奮気味に答えると、七瀬はにかっと白い歯を輝かせる。そんな七瀬のことを、加能は目尻を下げた状態で見ていた。孫が遊ぶ姿を見守るおじいちゃんみたいに。
「お二人とも過去への旅行に参加される、ということでいいですか?」
「はい」意図せずとも声は揃う。
「かしこまりました。それでは参りましょうか」そう加能が言うと、黒猫が加能の小さな右肩に飛び乗る。何かしらの合図なのだろうが、どういう意味があるのかまでは分からなかった。まんまるとした黒猫を見て、七瀬は静かに「可愛い」と呟いた。
「では、浜中様。最後にもう一度、意思のご確認をさせていただきます」
「はい」
「浜中剛史様。貴方は本当に過去へお戻りになられますか?」
「戻ります」
「承知しました。では続いて、七瀬様。最後にもう一度、意思のご確認をさせていただきます」
「はい」
「七瀬平司様。貴方は本当に過去へお戻りになられますか?」
「戻ります。戻らせてください」
「ありがとうございます。それでは浜中様と七瀬様、あちらの扉の前へお立ちください」
加能に誘導されるがまま、横並びで扉の前に立った。扉からは高級感が漂っているにも拘わらず、思っていたよりもサイズは小さく、扉の厚さもそれほどなく、こんな感じの扉に入るだけで、本当に過去へ戻れるのかと少しの不安な気持ちを抱いた。
「まず浜中様。何年前、もしくは何か月前の何月何日、何時にお戻りになるかを言ってください」
「一か月前の十二月二十六日、二十一時に戻らせてください」
「わかりました。では続いて七瀬様。何年前、もしくは何か月前の何月何日、何時にお戻りになるかを言ってください」
「浜中さんと同じ、一か月前の十二月二十六日、二十一時に戻らせてください」
「わかりました。では、それぞれこちらの紙に後悔していることをお書きください」
加能の手から渡された紙。私はそこに、こう書いた。
―私、浜中剛史は、事故で亡くなった松野松矢に笑顔でお別れすることができませんでした。そのことを後悔しているため、過去へ戻った暁には、松野の最期を笑顔で迎えてきたいと思っております―
「書きました」
「私も、書き終わりました」
七瀬は綺麗な文字を書いていた。文の最後には、松野に会いたい、と締めの一言が記載されている。
「では、こちらに直筆のサインと、この朱肉を使って親指の指紋を押してください」
「はい」
指定されたところにサインを書き、右の親指を朱肉に付け、押印した。そして、薄っぺらい紙を加能さんに渡す。
「ありがとうございます。ご確認させていただきます」そう言って加能は二人が書いた内容、抜かりがないかを確認し、もう一度「ありがとうございます」と小さな声で呟いた。
七瀬は指に付いた朱肉が、まるで魔法が解けていくようにして消えゆく様子を、ただただ不思議そうに見ていた。
「加能さん、この紙は過去へ持っていくのですか?」
「いえ、お持ちいただかなくていいですよ。こちらの紙はわたくしがお荷物同様、大切に預かっておきますので」
「そうですか。分かりました」
紙は宙を舞い、やがて加能の手に戻る。マジックでも見せられているかのような気分だった。
「それでは宣誓してください」加能の合図をもとに、紙に書いた内容を読み上げ、一か月前の十二月二十六日、二十一時から七十二時間だけ戻ること、規則に従って行動することを誓った。その後、七瀬も後悔していることを読み上げ、宣誓した。その声からはやる気が漲っていた。
「では、お二人のタイミングで扉をお開けください」
ノブに手をかける。その上に七瀬の手が重なる。
「よし、行くぞ」
「はい。行きましょう」
開いた扉の中へ、二人は同時に飛び込んだ。その刹那、冷たい空気がふっと肌に触れた。
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