01-4
高校生や会社員などの人ごみに紛れながら駅を出る。この駅は自転車で五、六分程走ると高校があったり、駅近くには有名なIT関係のおフィルビルがあったりと、人が多く行きかう街にある。会社に向かうまでの道には、美味しいと評判なレストランや住民らに愛される居酒屋などの飲食店も豊富に存在していた。そんな立地の良さを生かし、現在は高層マンションの建設が盛んに行われている。
会社に向かって少し早歩きをしていると、背後から「よっ、俺のダチ! 何急いでんの?」と声をかけられた。その相手は同じ大学、学部出身、そして同期入社の
「急に呼び出されたから急いでるだけ」
「そうなんだ。じゃあ、俺も一緒に会社まで走ってやるよ」
「なんだよ、それ」
僕は寺嶋の発言に苦笑いするしかなかった。しかし寺島には、苦笑いする僕の表情は見えていないようだった。
「ほら、行くぞ」
寺嶋は走る気満々な様子で俺の手を取った。僕は仕方なく、寺島のペースに合わせて会社まで走ることになった。
普段なら徒歩で十五分ほどかかる距離に会社があるが、走ったために早く着いた。息を切らしながらリュックに入っている社員証を取り出し、首にかけてから建物内に入る。受付を過ぎ、ゲートを潜り、エレベーターに乗り込む。他の社員は事件のことなど気にしている様子は見られなかった。寺嶋にも。
企画部があるフロアに到着したエレベーター。扉が開く音とともに、寺島が「またな」と声をかけてきたため、「おう」とだけ答え、降りる。
普段ならエレベーターすぐに設置された受付には誰かしらが座っているため、挨拶をして前を通り過ぎることが日課となっていたのに、今日はその日課を遂げることができなかった。恐らく、あの事件と関係しているのだろう。
受付の後方からは男性と女性数人の話し声が聞こえてきた。華里那のことについて話をしているようだった。
誰ともすれ違うことなく廊下を歩き、企画部がある部屋へも寄らず、そのまま部長が待つ会議室へと向かった。ドアの隙間から漏れている会議室内の電気。そして、中から聞こえる男性の話し声。一人は加鳥部長で間違いなさそうだが、あと一人は誰か分からない。
深呼吸で乱れた心拍を整える。「よし」と小さく自分に発破をかけて、ドアを三度ノックする。中から「どうぞ」と低い声が聞こえてきた。加鳥部長の声だった。
「失礼します」
そう言ってからドアを開ける。室内には加鳥部長の他に浅間社長の姿もあった。あの声の主は社長だったのか。
「おはようございます。宮部です。遅くなってしまい、申し訳ございません」
深々と頭を下げる。社長を待たしてしまった。怒られてもいい、そう覚悟していた。
「頭を上げなさい」
指示に従い頭を上げる。浅間社長と目が合う。心配そうな表情を浮かべていた。
「おはようさん。君が宮部誠人君か。加鳥部長から話は聞いているよ。大変だったね。大丈夫かい?」
浅間社長の言葉に続き、加鳥部長も口を開いた。
「今朝、警察から直接電話があってな。宮部のこと聞いたんだよ。それで、社長に私の方から連絡させてもらったんだ」
そういえば、浅間社長と加鳥部長は元々同じ部署で働いていたと聞いたことがあったな。だから直接連絡できるのか。
「そうですか。ご迷惑おかけして申し訳ないです」
「謝る必要ないよ。君が悪いわけじゃないだろうから」
「はい。すいません」
浅間社長とは手で数えられる程しか会ったことが無く、堅苦しいイメージを勝手に抱いていたが、実際、目にして打ち解けやすい雰囲気を纏っている人だと思った。
「今回の事件を受けたうえで今後の話をしたいんだが、いいか」
加鳥部長がスケジュール帳を取り出す。
「はい。え、でもどうしてですか? 華里那は受付担当だから、正直直接的な影響は無いですよね?」
「そういいたいところなんだがなぁ。いやぁ、宮部には言い難いことなんだが、君が疑われているっていう話を警察の方から、まぁ偶然耳にしちゃったもんでね。まぁ、それで、その…」
明らかに変な態度を取る加鳥部長。顔をしかめ、言葉を何とか取り繕っているようだったが、途中で黙られてしまった。
「要するに、僕が疑われているという話が社外に流れた時に、販売を予定している商品が販売中止になる可能性が出てきた。でも、それだけは何としてでも避けたい。だから僕を担当から外したいということですよね」
僕は少しだけ憤りを覚えていた。そのことが口調に現れていたのだろうか。浅間社長優しい口調で僕にこう話しかけてきた。
「宮部君、君が事件に関わっているとは到底思えない。でも、今回は社運もかかっていてね。こればかりは仕方ないんだよ。この判断を下したのは社長である私なんだ。どうか、許してくれ」
「社長、頭上げてください。すみません、言い過ぎてしまいました。よく考えれば、仕方ないことですよね。確かに僕は警察からも疑われていますから。分かりました。担当から外れます」
まだ言い足りないこともあるが、仕方ないことだと自分に言い聞かせて、この憤りを落ち着かせることしかできなかった。
「すまない」
「宮部、すまんな」
浅間社長も加鳥部長も僕に向かって少しだけ頭を下げてきた。
「大丈夫です。この状況も理解してましたし、そうなるかもなって思ってたんで」
理解なんてできるはずがない。こうなるなんて予想できるわけもない。でも、これがこの会社の、社会のルールなんだろう。
「では、私はこの辺で失礼するよ」
そう言い残し、浅間社長は会議室から出て行った。僕はその背中に頭を下げ続けた。
「まさか、身近でこんな事件が起きるなんてな」
加鳥部長が口を開いた。
「そうですね」
一瞬だけ、時が止まったように感じた。
「それで話を戻すが、この一件が落ち着くまでの間、宮部には別の仕事を頼みたいと思っているんだが」
「はい、どんな仕事ですか?」
「発売しようと考えている商品がいくつかあるんだが、他社商品との違いをまとめて欲しんだ」
「でも、この仕事っていつも高梨さんがやってましたよね?」
「そうなんだが、高梨が昨日から家庭の事情でしばらく実家に帰ることになってな。他の社員もそれぞれ仕事を抱えていてな、できそうにないんだよ。それで、この仕事を宮部に頼もうと思ってな。どうだ、やってくれるか?」
「分かりました」
「ありがとな。詳細は追って私の方から連絡するから。それと、自宅の方で仕事してもらって構わないからな。実は、もう社長には話をつけてあるんだよ」
僕が逆らうはずがないという考えの元で気ままに下された判断。従うという方法しか残っていない。
「分かりました。それは今日からですか?」
「そうだな。今日はこのまま家に帰って仕事をしてくれ。警察からの取り調べもあるだろうからな」
「分かりました。ご迷惑おかけしてすみません」
「気を落とさずに頑張ってくれよ。宮部、君を頼りにしているからな」
そう言いながら部長が僕の肩を軽く叩いて、「会議室はそのままにしといてくれ」と吐き捨てるように言って会議室を出て行った。
電気だけを消し、会議室を出る。同じ部署の人間に会ったらどうしようか。どう話をしようか。そんなことを心配しながら廊下を歩いていたが、エレベータ―のところまで誰ともすれ違うことはなかった。
朝から宣伝などで社外にいることもあるが、ほとんどの場合は会社に戻ってくる。そのためか、出勤してすぐに退勤、直帰という慣れない行為が僕を高揚した気分へと導いていく。
駅に向かって歩いている途中、コンビニからビニール袋を手に出てくる後輩の姿を見つけ、隠れるように反対側にある噴水広場に立ち寄り、身を潜めた。
しばらくして立ち上がり、歩き出そうとしたとき、胸ポケットにいれてあるスマホが振動し始めた。画面を見る。名刺に書かれていた番号からの電話だった。
噴水が高く上がるのを見て喜ぶ子供。僕は噴水に誘われるまま、歩き始めていた。
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