思い出になんかしたくない

「ところでさ。司くんは今日、どうして私を食事に誘ってくれたの? あ、お情けで、なんてのは無しでよろしく」


 司くんは小さく肩をすくめた。


「それは、もうじき環季先輩は卒業してしまうわけですよね。せっかく縁があったのなら、お互いになるべくいい思い出にしたいじゃないですか。あんな嫌な奴いたよね、なんて印象をずっと持たれるのは面白くないですし」


 何気なく語られた彼のその言葉は、私には衝撃だった。白倉さんや司くんと過ごしている今のこの時間が、すでに思い出のために消費されている。そんなことを私は想像したこともなかったし、到底受け入れられるものではなかった。思い出なんて言葉は、人生を不連続に区切ったものだ。それを現在に当てはめるなんてことは、矛盾している。


「思い出って。君は誰かと一緒にいる時に、いつも別れのことを考えているの?」


 司くんは憂鬱そうな顔をすると、頬杖をついて窓の外を見た。


「どうですかね。でも永遠なんてこと、ありはしませんよ」


 馬鹿。いつまで、あきらめ上手な振りをしているのよ。自分に嘘をつき続けることなんか、誰にもできないのに。何が君をそうさせてるのよ、白状してよ。そうじゃないと、私。


「永遠、なんて贅沢ぜいたくは言わない。でも私は、司くんを思い出になんかしたくないよ。遠く離れても、たとえ別れてしまっても、私が君のことを想い続けている限り、君は過去になんてならない」


 ナプキンを強く握りしめた私に気付いた司くんは、驚いた表情で顎から手を離した。私の言葉は、二人の関係についてかなり核心に触れていた。なにより、言葉にした自分自身が驚いていた。いつからこんなことになっていたのだろう、私は。


 覚悟を決めて司くんを見た私は、自分の言葉が見当違い、かつ逆効果であったことに気付いて悲しくなった。彼が私の言葉を通して、誰か別の人を思い浮かべているのが分かったからだ。思い出にしたくない、ほかの誰かのことを。


 司くんは宙を見つめたまま、私の言葉を反芻はんすうしているようだった。ややあって彼は目の前にいる私に気付くと、私が一番して欲しくないことをした。


「俺が悪かったんです、食事に誘ったりなんかして。環季先輩はいい人です、俺とこうして話すのがもったいないくらいに。相手にする価値もない遊び人に振り回されて、嫌な思いをする必要なんかありませんよ」


 恐らく私を傷つけないようにと思ったのだろう、頭を下げた司くんのその仕草もまた、私にはまったくの逆効果だった。私は自分の無力さに心の中で舌打ちしながら、冷静を装って答えた。


「価値なんかで人を判断するなって、会長がそう教えてくれた。つまらない気遣いなんていらないし、君はなにも悪くない」


 でも、そうだね。私もいけなかったんだ。司くんに近づけば近づくほどに、放っておけなくなってしまう。いい加減にわきまえるべきだ、私は白倉さんほど上手におせっかいは焼けない。

 私は裏返しに置いてあった伝票を自分の方へと寄せると、ショルダーバッグをつかんで立ち上がった。


「仕事帰りに長居しちゃったね。そろそろ帰ろうか」


 結局パスタを残すことになってしまった私は、冷たくなったお皿に小さく手を合わせて謝った。ごめんなさい、落ち着いたらまた来ますから。




 結局その後、私と司くんは大した言葉も交わさないままに別れて、それぞれの家路についた。帰宅した私は、いつものように食事をし、入浴をすませ、「エルミタージュ」を聞きながら日課をこなす。

 やがて番組も終わり、じきに日付が変わろうという頃になっても、私はなんだか眠れそうになかった。明かりを消した部屋のベッドに仰向けに倒れこんだ私は、額に手を当てたままで、白く浮かび上がった天井をぼんやりと見つめる。


 言いたいことを言ってしまったな、いやな女だと思われているだろうな。いっそのこと、食事など断って何も話さずに、まっすぐ家に帰ればよかったのだろうか。正解なんてない、という白倉さんの言葉が胸をよぎる。それでも、これだけははっきりと言える。空欄のままでは、間違いなく零点なのだと。ならばせめて、部分点だけでも取りに行くべきではないか。


 私は床に放り投げていたバッグに手を伸ばすと、中から携帯を取り出して目の前にかかげた。少しためらった後で、アドレス帳のアイコンをタッチする。金澤司。通信欄に入力したい言葉はそれこそ小説一冊分ほどもあったが、私はそのうちの一つだけを送信した。


 いま、どこですか。


 彼からの返信は、笑ってしまうくらいに、あっという間だった。


 自分の部屋です。


 私はその短いメッセージを読んで満足した。なんだかんだ言っても、お互いがいる場所も、ずっと寝付けないでいるのも、まるで一緒じゃないか。彼と同じ夜を過ごしている、そんな自分勝手な胸の高鳴りに、私は痛みすら感じる。

 再び短い言葉を送信すると、私は携帯の電源をそっと落とした。


 お休み、また明日。

 返信不要です。

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