宣戦布告なら、もう済んでいるけれど?

 須藤さんの目がすうっと細められる。四月の晴れた午後だというのに、部屋の温度と彩度が急に下がったような気がした。


「なあんだ、ばれてましたか。やっぱり学年首席の秀才の方は、何でもお見通しですね」


 見通せてなどいない。しかし、彼女の私に対する憎しみは隠しようもない。


「私、八尋先輩とお話ししたかったんです。白倉会長や金澤さんではなく」


「どうして」


「先輩が許せなかったから」


 彼女の言葉は鋭い刃のようだった。それは同時に、彼女自身の口の中をも切り裂く。


「始業式でありましたよね、新しい生徒会役員の自己紹介。あの時の八尋先輩が、凄く格好良かったから」


 私は戦う覚悟を固めた。彼女はうわべだけの議論でごまかしがきくような相手ではない。


「へえ、あなたにはそう見えたんだ。あの時の私って、きっとめちゃくちゃどもっていたと思うけれど。どこがどう、須藤さんのお気に召したのかな」


「白倉会長や金澤さんが挨拶をしたとき、もちろん誰も疑問を持つことなどありませんでした。白倉会長は二年連続で選出された押しも押されもせぬスーパースターだし、金澤さんも一年間のブランクがあったとはいえ、中学時代の実績は誰もが認めるところでしたから」


 須藤さんはそこまで言うと、値踏みするように私を眺めた。


「けれど八尋先輩が壇上に上がったとき、みんなざわついていました。あれって誰よ、って。正直言って私も先輩のこと、まったく知りませんでしたし」


 まあ、そういう雰囲気は私も感じていた。みんな好意的に迎えてくれた、みたいなことを白倉さんは言ってくれたけれど、あれは彼女一流のリップサービスが多分に含まれていたに違いない。好意を持つというよりも、情報がなさ過ぎて反感の持ちようがない、といったところか。同じ学年の生徒でさえ、成績表でこそ私の名前を知ってはいても、それと私の顔とが一致している人はごく少数なのだ。まして下級生が私のことなど知るはずもない。


「なるほど。高二までの私の隠密行動は、実にうまくいっていたわけだ。それで?」


「私の目には、マイクを持った先輩はひどく自信がなさそうに映りました。それを見て私、先輩が自分側の人間であると感じたんです。他人と関わって傷つきたくない、傷つけられたくない、邪魔をして欲しくない、明らかにそんなオーラを発していました。違いますか?」


「とてもいい観察眼ね。続けて」


 彼女の目に一瞬怒りの炎がひらめいたが、須藤さんはすぐにそれを消すと冷笑を浮かべた。


「私、先輩が気の毒になりました。どうしてあんな人が書記になんかなったんだろう。白倉会長に無理やり任命されたのか、だとしたら会長も人が悪い。そんな私の同情心は、八尋先輩の挨拶で吹き飛びました」


 彼女の声が急に熱を帯びた。


「私が今年の書記です、よろしく。たったそれだけの短い自己紹介で、私は圧倒されました。それまでとは打って変わった、先輩の自信に満ちた表情。私は裏切られた気持ちでした。日陰者は、日陰者で生きていくべきだ。なのにあなたは、生徒会という日の当たる場所に自分を売った」


 須藤さんは椅子を蹴って立ち上がると、額に汗を浮かべてまくしたてた。


「八尋先輩、あなたは今までの自分を否定するんですか? 学業で首席のあなたが生徒会に入れば、それはもちろん人気者にはなれるでしょう。でも、あなたはそんなものを憎んでいたからこそ、いままで表舞台に出てこなかったんじゃないですか? それなのに今更、みんなと仲良くやりたいとか。許せない、先輩は私と同じだと思ったのに!」


 彼女は肩で大きく息をつくと、挑むように私を見た。


 大した勘違いだ。日陰者は、なろうとしてなるものじゃない。ほかでもない私であれば彼女の気持ちもわからないではないが、なれ合うつもりもない。私は頭を振って立ち上がると、机を回り込んで彼女の前に立った。


「人気者になりたい、か。笑っちゃうわね。あえてその必要もなかったから、始業式では言わなかったけれど。正々堂々と喧嘩を売ってきたあなたに免じて、私が生徒会に入った理由を教えてあげるわ」


 私は鼻の頭同士が接しそうなほどに、須藤さんに自分の顔を近づけた。背の低い彼女を私が見下ろす形になる。


「自信たっぷりに挨拶をした? ちょっと違うわね、私は学校中のみんなに宣戦布告をしてやったのよ。私が白倉会長のそばにいるためには、この書記という立場が必要だ。だから誰にもそれを譲るつもりはない、邪魔すんなってね」


 よほど彼女の中でのイメージとは違っていたのだろう、須藤さんはまたたきすることも忘れて、私を驚愕きょうがくの目で見ている。


「あとね。あなたは私が自分側の人間だとか考えているようだけれど、私を勝手に分類するな。私は誰かと群れるのが大嫌いだ」


 感情とは裏腹に自分の声が極めて冷静であることに、私は心の中で満足した。


「須藤さん。あなた、私のことを許せないって言ったわね。悪いけれど私は、あなたなんか全く眼中にない。無論、ほかの生徒のこともね。会長と違って凡人の私には、生徒全員が等しく大切だなんて思えない。大体、全員が大切ってことは、特別大切な人がいないという事の裏返しだしね。私が必要としているのはただ一人、会長だけ」


 須藤さんは一言も発しない。私はただ言葉をつなげて、自分の気持ちを確認すればそれでよかった。


「覚えておいて。私が生徒会に入ったのは、この学校を良くしたいとか、ましてみんなと仲良くしたいなんてくだらない理由じゃない。会長の役に立てるから、ただそれだけなの。そのことに比べたら、他人が私のことをどう思っているかなんて、本当にどうでもいい。せっかく私に関心を持ってくれたあなたには、失礼な話かもしれないけれどね」

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