第五章 アイソレーション
訪問者
期間限定品に飛びつく人を、昔から私は
いま、私は自分の非を認めなければならない。とどまるところを知らない自分の欲望のままに、私はそれをまた一枚と口の中に放り込む。明らかに既存のものとは違う香り。きちんと主張を持って感じられるしっかりとした味わい。
「いやあ、これは拾いものだわ。みんな早くやってこないと、私が全部食べちゃうぞー」
誰もいない生徒会室の中で不気味な独り言をつぶやいてしまうほどに、この「ポテトチップス・九州限定、
楽しみにとっておいた飛び切り大きな一枚をつまんだところで、生徒会室の扉がノックされた。はて、誰だろう。白倉さんや司くんはいきなり入ってくるので、つまりはお客さんが訪問してきたという事なのだけれど。
「は、はい。ちょっとお待ちください」
私はチップスを袋に戻して立ち上がると、生徒会室の扉をこわごわと開けた。廊下の少し離れたところに、眼鏡をかけた女生徒が一人で立っている。彼女は私の顔をじっと見ると、細身の体を折って会釈した。
「お忙しいところ、失礼します。私、一年の
顔を上げた少女は、そばかすの浮いた頬を少し染めた。間違いない。先日、校門で司くんと口論をしていたあの子だ。折り目正しい挨拶が、聡明な印象を与える。
「あ、えっと。何か、生徒会室にご用かな」
女生徒はぐっと唇を噛むと、意を決したように一歩前に出た。
「私。今日は謝りたくて、こちらに
私はすぐに合点がいった。この前のいきさつから察するに、この須藤さんという女の子は、司くんの誘いを
しかし、いずれにしても。
「ごめんね、須藤さん。司くんってば、今日はまだ来てないんだ。もっとも、珍しいことに会長もまだなんだけれど」
彼女は私の身体ごしに生徒会室の中をちらりと見ると、小さく安どのため息をついた。
「そうですか、良かった」
「は」
「三年の八尋先輩、ですよね。この度は、大変ご迷惑をおかけしました」
そういって須藤さんは両手をそろえると、今度は深々と頭を下げた。え、私なの?
「ちょっと待って。私があなたに謝られるような理由、まったくないと思うんだけれど」
須藤さんは顔を上げると、首を横に振った。
「そんなことありません。私のせいで、八尋先輩と金澤さんが喧嘩になったんですから」
なんだ、そういうことか。でもあれは、彼女にとってはもらい事故のようなものだったのに。迷惑をかけたのはむしろこちらという形だったのだが、
「やだ、見苦しいところをお見せしちゃったわね。気にしないで、私と司くんって、いつもあんな調子だから」
「気を使っていただいて、ありがとうございます。でも私、八尋先輩の誤解を解かなきゃって思って。金澤さんは何も悪くないんです」
そう言って須藤さんは私の反応をうかがう。誤解、か。どうやら私には彼女の話を聞く義務と責任がありそうだ。私は扉を大きく開けると、須藤さんを生徒会室の中へと招き入れた。
「立ち話もなんだし、とにかくどうぞ。私の自腹じゃないけれど、お茶とポテトチップスくらいごちそうできるから」
失礼します、と小さくつぶやいて後をついてきた彼女は、私の勧めたパイプ椅子に姿勢正しく座る。私は入れたての緑茶と平皿に盛った有明焼き海苔味のチップスを須藤さんの前に置くと、自分は斜め前の席を占めて、彼女が話を切り出すのを待った。
始業式の日に校門で見かけたときには引っ込み思案な子だと思ったが、こうして対面してみると、なかなかどうして意志の強さを感じさせる。お茶を一口飲んだ須藤さんは幾分落ち着いた様子で、私を上目遣いに探りながら口を開いた。
「先輩は私を見て、変だなと思いましたか?」
「ん、何が?」
「左足、いつも引きずってるから」
「変じゃないよ。何か事情があるんだな、とは思ったけれど。それが変だって言うんならみんな変だし、私なんてもっと変」
須藤さんはくすりと笑った。スレンダーな彼女はこうして笑うと、清楚な華やかさがある。
「すごいですね、八尋先輩は」
「いろんな意味で、そう言われるね」
私たちは小さく笑いあうと、一口ずつポテトチップスをかじる。須藤さんは笑いをおさめると、ためらいがちに自分の左足に目を落とした。
「私、中三の時に事故で左の太ももを骨折しちゃって。ばい菌が入ったりして四回手術したんですけれど、どうしても左足が少し短くなって。別に歩くのには大した支障はないんです。けれどなんだか、がっかりしちゃって」
黙っている私にちらりと目を向けてから、須藤さんは続けた。
「ほら、この学校って、ずっとうまくいってきた人たちばかりじゃないですか。私は中高一貫組なんですけれど、周りはみんな、小学校では成績が常に一番だった子がほとんどだし。それに受験して私立中学に入ろうと思えば、塾やら何やらでお金が必要だから、やっぱり両親もそれなりに収入があったり、社会的地位に恵まれていたり。八尋先輩もそうでしょう?」
「うん、そうだね。もっとも私は高校入学組だけれど」
私は素直に認めた。彼女が言ったことは、この学校では前提と言ってもいい事実だし、一般社会においても暗黙の了解だ。親ガチャといわれる教育格差や経済格差の連鎖について、私は今この場で彼女と議論するつもりはなかった。生まれた環境は自分ではどうにもならないし、それをいまさら謙遜してみても仕方がない。そして須藤さんも私と同じようにうなずく。
「私もやっぱりそうです。そして中学に入学してからも、それなりに順調だと思っていました。周りがすごいからこの学校に入ってからの席次は平凡でしたけれど、そこそこの大学に入れそうな学業での成績と、進学校にしてはまずまずの部活での成績と。あ、怪我をするまではバドミントン部だったんですけれどね」
平凡だが順調だった彼女と、自分で言うのもなんだけれど、非凡だが不調だった私。世の中、うまくいかないことだらけだ。
「それが去年の春に事故にあって、かなり学校休みました。何とか復学できましたけれど、学校に戻ってみたら、これまでと勝手が違っていて」
「勉強が遅れて、ついていけなくなったとか?」
私の的外れな質問に、須藤さんは小さく笑った。
「そんなんじゃないんです。一番は、周りの子たちの私への態度が、すごく変わってしまって」
「そっか。じゃあ、からかわれたりとか、いじわるされたりとか」
「その逆です。みんな、とても優しくなってました。今まで全然関わりがなかった人たちまで、話しかけてくれたり、励ましてくれたりして」
須藤さんは湯気の立つカップを口元に運んだ。彼女の眼鏡の表面がうっすらと白く曇る。
「それで私、ひがんでしまったんですね。あなたたちは恵まれた立場だから、弱い者に優しさを施すことが美徳だと信じて疑わないんだって。私ってずるいですよね、怪我をする前までは私もそちら側でいたはずなのに。自分の思い通りにならない世界があるなんてこと、想像もしていませんでした」
須藤さんはカバンから眼鏡拭きを取り出すと、湯気で湿ったレンズの表面をぬぐった。彼女の瞳はいつしか暗い光を帯びている。
「私自身は自分の左足のこと、そこまで気にしてなかったんですよ。彼氏作る時にちょっと不利になったかなあ、なんて思ったくらいで。だけどなんだか、いろんなことが急に
須藤さんは顔を上げると、乾いた笑い声を上げた。
「それで、中三の三学期から少しずつ学校休むようになっちゃって。不登校という奴です。お医者さんも頑張ってくれて、せっかく歩いて学校に行けるようになったのに、罰当たりですよね。両親にもすごく心配かけました、入院していたとき以上に」
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