第四章 ディスコミュニケーション

鏡と自己嫌悪

「会長。一つ質問、いいですか」


「なあに、八尋さん」


 新学期が始まってから一週間。放課後の限られた時間しか訪れていないにもかかわらず、私は教室よりも生徒会室の方がずっと落ち着くようになってしまった。それはもちろん、常備しているポテトチップスのせいだけではない。


「風の便りに聞いたところによると、生徒会には顧問こもんの先生がいらっしゃるらしいじゃないですか」


「ああ、政経の大久保先生のこと? そうね、確かにいらっしゃいますわね」


 理系で、しかも社会の選択科目に政治経済をとっていない私には、大久保先生なる人物の顔が思い浮かばない。それに私は、先生をからかうような白倉さんの口調も気になった。


「私、先生に一度もお会いしてないんですが。その、挨拶あいさつなんかしなくてもいいんでしょうか?」


 白倉さんは心配無用というように、笑って手を振った。


「いいの、いいの。私を含めた生徒会メンバー三人の履歴りれき書はちゃんと提出してあるから。この前報告に行ったら、成績優秀なあなたの加入を、先生喜んでいたわよ」


「それは嬉しいのですが。なぜ先生は、こちらには顔を出されないのでしょうか」


「面倒なんじゃない? 大久保先生、学校の運営や公的行事なんかには全く無関心だからね」


 前代未聞だ。私が調べたところによると、通常の生徒会というものは、顧問の先生の指導の下に活動を行っているのが一般的なようだが。その先生が、自らが統括とうかつする組織に関心がないというのは。


「は。何故そのような方が、生徒会の顧問などを」


 白倉さんは、にやりと魔女のような笑いを浮かべた。


「私が校長先生に頼んだのよ。大久保先生をぜひ生徒会の顧問にお願いします、ってね」


 まさか、この人。


「生徒会活動に干渉されたくなかったから、なるべくやる気のない先生を選んでみたのだけれど、やはり正解だったわね。前にも言ったように、あらかじめ決められた予算なんかには口出しできないけれど、活動時間やその内容なんかについては、ほとんど自由裁量がきくようになったし」


 実質的な権力を持つために、自分より上位の人事を動かす。なんとも恐ろしい話だ。そしてどうやら白倉さんは、その大久保なる一教師よりも、よほど校長先生の信頼が厚いらしい。


 それにつけても彼女の策士ぶりには、毎度のことながら驚くばかりだ。戦国シミュレーションゲームのステータスで言うなら、統率が百、政治が百、知力が九十九(百は私、えへ)の完璧な軍師キャラだ。武力についてはわからないが、確か白倉さんは体育祭でその健脚を披露ひろうしていたような気がするから、決して低いとは思えない。すごい、ゲームバランスを叩き壊すチートキャラだ。そしてその他のステータスについても、魅力については少なくとも私にとっては文句のつけようもないし、もし弱点があるとすれば、表には現れることのない運の数値くらいだろうか。でも白倉さん、運も決して悪くなさそうな気がするんだよなあ。ずるいぞ、私がプレイしているこの学園ゲーム。


 私が机に突っ伏して現実世界の理不尽さにいじけていると、いきなり生徒会室の扉が開かれた。


「失礼します」


 短い挨拶とともに入ってきたのは、司くんだった。そうなのだ、もはや私の中では彼は金澤くんではない。呼び名が変わったとて状況的には何の変化もないが、これは覚悟の問題だ、といったら人は大袈裟だと笑うだろうか。

 なんだかんだ言っても彼は、新しい生徒会が発足してから、毎日欠かさずこの部屋に顔を出している。ただし私たちとは、ほんの二言三言短い会話を交わすだけで、彼が生徒会室にいる時間は極端に短い。いくら司くんのことを知りたくても、これでは何の進展もない。


「お疲れ、金澤くん」


 白倉さんの挨拶に、司くんは特に感情を見せることもなく、軽く頭を下げた。


「お疲れ様です、会長。今日も特に仕事がなければ、俺はお先に」


 こら。君は私とは挨拶もかわさないうちに、もう帰ろうっていうのか。


「あの、つ、司くん。少し、ゆっくりしていかない?」


 うう、やっぱりどもってしまう。スケボーの朝倉くんの時は、そこそこうまく話せていたんだけれどなあ。でもあれは、勢いのままに突っ走ってしまった結果だし。感情が爆発しないとまともに会話できないなんて、我ながら歪んでいる。


 司くんはわずかに沈黙した後、リュックを床に置いて私とは対面のパイプ椅子に座った。おお、なけなしの勇気を振り絞った甲斐があったというものだ。私は立ち上がると、たまには緑茶と違ったものをと、紅茶のティーバッグを取り出し始める。その私の様子を見た彼は、何も言わずに席を立つと、棚からカップを三つ取り出して机の上に並べた。へえ。手伝ってくれるとは、意外といいところあるじゃん。


 にんまりしている私を横目に見ながら、白倉さんが司くんに声をかけた。


「金澤くん。君の担任の先生から聞いたのだけれど、ここ三日ほど続けて遅刻しているそうね。大丈夫かな?」


 ちょっと意外だな、と私はちらりと彼の顔を見た。指摘された当の本人は、特にきまりが悪そうな様子もなく淡々と答える。


「まあ、俺なりに努力はしています。もう少し頑張ってみようとは思っていますが」


 白倉さんはいたわるような目で司くんを見やった。


「無理しなくてもいいわよ。すべてが自分の思い通りになるのなら、苦労はないものね」


 どういうことだろう。白倉さんの言葉から察するに、彼女は司くんの遅刻をある程度容認しているようにも思える。司くんってば、朝が弱いのだろうか。しかし生徒会長の経験者でバスケ部のエースだった彼のことだ、早起きについては十分に訓練されていると考えるのが妥当だろう。

 もしかして始業式の朝みたいに、女の子と一緒にゆっくり登校しているからだとか? なんかそれって、良くないことなんじゃないか。


 不信感をあらわにした私の視線に気づいたのだろう、司くんが私をにらみ返す。


「環季先輩、何か俺に言いたいことがあるんじゃないですか? 疑念があるならはっきり口にしてもらわないと、こちらもやりにくい」


 環季先輩、と約束通り名前で私のことを呼んでくれたのは非常に嬉しくはあるが、彼の口調と言葉の中身は実に辛辣しんらつである。親睦しんぼくを深めたいと思って名前呼びしてもらったのに、その思惑はまったく功を奏していない。


「疑念。べ、別にないわよ。ただ、会長がいつも君をかばうのが、うらやましいってだけで」


 言葉にしてしまってから、嫉妬しっとなのかもしれない、と思った。白倉さんが私ではなく司くんの方をより理解しているように感じたからなのか、それとも司くんが白倉さんだけに自分の内実を打ち明けているように感じたからなのか。自分が白倉さんと司くんのどちらに嫉妬しているのか、それすらもわからなかった。ただ卑屈な感情だけが漏れ出た私を、白倉さんが厳しい顔でたしなめた。


「やめてよ、八尋さん。ひいきするっていうのは、相手に依存するということよ。それはお互いのためにはならないし、もちろん私はそんなつもりもないわ」


 ああ、まただ。どうして私はこうも失言が多いのか。想いを口にすればするほどに、自分の馬鹿をさらけ出してしまう。


「……すいません、会長」


 きっと人は、自分を映し出す鏡。私が司くんに対してこんな感じだから、素直さが足りないから、私にもそれ相応のものしか彼から返ってこないのだろう。私は狼狽ろうばいしたままで、ようやく司くんに向き直った。


「ごめんなさい、司くん。わ、私、あの」


「別に謝んなくていいですよ。環季先輩、何も悪くないじゃないですか」


 私にとってつらいことに、彼は私を軽蔑けいべつしようとはしなかった。


「俺、いつも怒ってるみたいで話しかけにくい、ってよく人から言われますし。先輩が俺の遅刻を面と向かってとがめにくいのも、その原因は多分俺のほうにありますから。まあ、自業自得ってやつです」


 そう言って司くんは自嘲じちょうした。私が初めて見た彼の笑顔がこれか。嫌だ。嫌だけれど、そうさせたのは私だ。


「とにかく、俺のことは気にしないでください。せめて迷惑はかけないようにしますから」


 そう言って彼はパイプ椅子から立ち上がると、まだ入れたばかりで熱いはずの紅茶を一息に飲み干した。


「それじゃ会長。俺、お先に」


 白倉さんは無表情にうなずく。


「了解。何かあったら報告して」


 片手を挙げて退室しかけた司くんが、振り向いて私を見た。少し黙った後で、その視線を外しながら言う。


「環季先輩。俺、緑茶より紅茶派なんです。しばらくはこれで、よろしくお願いします」


 彼は小さく頭を下げると、今度こそ生徒会室を後にした。

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