新学期の朝

 福岡県内の一地方都市にある我が校は、私の自宅からは徒歩十分程度のところに位置する。一般的な感覚から言っても非常に近いと思うが、これは他の級友たちと比べるとかなり恵まれているといってよかった。

 九州でも一、二を争う進学校として名が売れている我が校には、それこそ九州一円から生徒たちが通学してくる。片道一時間ほども要する電車通学などは全く珍しくなく、中には新幹線で鹿児島から通学してくる生徒などもいて、その彼女は先日もテレビの取材を受けたばかりだ。男子寮はあるのだが、女子生徒は原則自宅から通学しなければならない。もっとも、極端にコミュニケーションが苦手な私には、寮生活など元から無理な話ではあったが。

 そういうわけで私は、校内でも通学時間が最も短い生徒の一人としてうらやましがられている、らしい。まあ確かに、深夜までラジオを聴いていても朝はぎりぎりまで寝ることができるので、睡眠時間の確保については十分である。個人的な事情ではあるが、これは私にとって非常にありがたい。




 新学期の朝。真向いから昇る朝日のまぶしさに目を細めながら道を歩く私を、同じ学校の生徒が乗った自転車が追い越していく。私は歩くことが好きだ。景色の流れと私が周囲を認識する速度がちょうどシンクロして、思考がはかどるのだ。

 歩きながら思い出されるのは、先日体験したあのスケートボード。あれはマジで死ぬかと思った。ボードの彼、朝倉くんって言ったっけ、あの後どうしたかな。なんとなくロマンスの予感がしたのに逃げてしまったのは、我ながら失敗だったかもしれない。もう、あんなチャンスは二度と来ないかもなあ。


 そんな他愛のないことを考えながら校門の手前までたどり着くと、そこには民営のバスが先に到着していて、我が校の生徒たちを大量に吐き出しているところだった。朝からお疲れ様、みんな。常に満員で身動きすらままならないであろうに、参考書や単語帳を片手にしている生徒が多いのも、うちの進学校ぶりをよく表している。


 本日の予定は、始業式と課題テスト。その二つを比較して私にとって問題はと言えば、それは断然始業式のほうである。

 新しい生徒会役員の自己紹介。壇上に立って大勢の生徒の前で挨拶をするなど、恐怖以外の何ものでもない。式などすっ飛ばして課題テストだけにしてほしい、などとほかの生徒に言おうものなら、嫌味だとにらまれることだろう。だが本当に、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。もしも私がどもったりなんかしたら、中央に立つであろう白倉さんは、私に救いの手を差し伸べてくれるだろうか。


 ため息をつきながら校門をくぐろうとした私は、少し前を行く男女の姿に目を留めた。いいなあ、新学期初日から彼氏彼女と一緒に通学するなんて最高だよね。友達は全くいないけれど彼氏がいる女の子なんて、果たして存在するのだろうか。かなりレアキャラな気はするが、なんとかなりませんかねえ、って誰に祈っているのだ私は。


 現実逃避しかけた私は、二人のうちの一人、男子生徒の方に見覚えがあるような気がして、記憶の中を探った。ブラウンが混じった短めの黒髪。

 おお、あれはひょっとして金澤くんじゃないか。私は少し足を速めて、やや離れた位置から横顔を確認してみた。やはり金澤くんで間違いない、憎らしいがなかなかのイケメンだとは認めざるを得ない。しかも今の彼は、初対面で私と白倉さんに向けたあの仏頂面とは打って変わって、いたって快活な笑顔を隣の女の子に向けている。あんた、私たちとの扱い違いすぎでしょ。


 いけないとは思いつつ、つい私は興味本位でお相手の女の子を見てしまう。背が低めできゃしゃな体つきの、眼鏡をかけた子だ。頬に少しそばかすの浮いた彼女は、伏し目がちに周囲をうかがいながら、歩道の端のほうを目立たないように歩いている。よくよく見れば歩くたびに左の肩が右よりわずかに下がるのは、どうやら左足を少し悪くしているからのようだ。金澤くんは彼女から少し離れた隣で、歩調を合わせながら時々話しかけたりしている。


 そういえば今一緒に歩いている子は、終業式の放課後に金澤くんと一緒にいた彼女とは違う女の子だな。この前の女子は確か、高森さんと言ったか。おいおい、彼ってば何股もかけている女の敵なのだろうか。そういえば当の高森さんも、金澤くんは競争率が高いとか何とか話していたような。

 しかしそれにしては、隣同士で歩いている二人の雰囲気が、少し違うような気がする。口数の少ない隣の女の子へと、金澤くんがあれやこれやと気を使っているように見えるのだ。もてる男の子に対しては、一般的には女子のほうから男子へと様々に心を砕いてアプローチするように思うのだが。しかし今の状況はむしろ、金澤くんの方が相手の子に一所懸命というか。


 私はようやく我に返ると、自分の弥次馬根性を叱った。二人の間柄がどうであろうと、私には関係のない話だ。金澤くんとは仕事上の付き合いになるのだから、プライベートを詮索せんさくするというのはよろしくない。痛くもない腹を探られて困るのは、私の方も同じなのだ。私は足早に二人を追い越すと、校舎の入り口へと続く緩やかな並木道を上って行った。

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