彼氏は反発、一触即発

 放課後の一年C組の教室は、すでに閑散としていた。開け放しの窓から時々聞こえてくる、部活動のものとおぼしき歓声が室内に反響して、より一層の寂寥せきりょう感にとらわれる。室内に踏み込んだ白倉さんは、周囲に素早く視線を配った。


「うーん、出遅れたかな……あ、いたいた」


 白倉さんの目線の先、教室の奥の隅で、一組の男女が談笑していた。ポケットに片手を突っ込んだ男子生徒と、大きな声で笑っている女子生徒。白倉さん、副会長をスカウトしに来たと言っていたな。男の子と女の子、どちらが本命なのだろうか。

 男子生徒の方であろう、と私は推理した。明らかな規定があるわけではないが、不文律的に、生徒会長と副会長は男女で構成されることが多い。トップ同士を同性で固めてしまうと、異性に対する配慮が不足するのではないか、などといらぬ憶測を招きかねないのがその理由だと、私はどこかで聞いたことがあった。


 白倉さんはつかつかと二人に近づくと、片手を挙げて気さくに声をかけた。彼女の視線は、やはり男子生徒の方へと向いている。


「やあ、金澤かなざわつかさくんだよね? 私は今度三年になる白倉というものだけど」


 男女は同時に彼女を振り向いた。白倉さんを一目見て生徒会長だと気づいたのだろう、女子生徒は胸の前で手を組んで頬を上気させている。しかし男子生徒の方はといえば、今までの快活な調子から一転して不愛想な表情になった。彼は白倉さんを不審げに観察しながら、ぼそりとつぶやく。


「俺に何か?」


 おお、下衆げすな表現だが、けっこう好みだ。ショートレイヤーの、少し茶色がかった黒髪。はっきりとした形の眉に、意志の強さを感じさせる鋭い目。父と弟以外の異性とはほとんど接したことがない私は、自分が見られているわけでもないのに、どぎまぎして目をそらしてしまう。


 金澤くんというその生徒に明らかに警戒されている白倉さんは、別段気にすることもない様子で、笑いを絶やさずに続けた。


「悪いわね、話し中なのに突然お邪魔したりして。ひょっとして今から、二人でデートかな?」


 軽い調子の白倉さんの言葉にも金澤くんは仏頂面を崩すことなく、さも迷惑そうに言った。


「それ、説明しなくちゃいけませんかね。生徒会長だからって、俺たちのプライベートに首を突っ込む権利とか、あるかな」


 彼の言葉通り、金澤くんも白倉さんのことをとっくに生徒会長だと認識している。そうでありながら彼女に正面切って全く物じしないこの態度、大した度胸だと私は感心してしまう。

 隣にいた女子生徒が見かねたように、慌ててとりなした。


「ちょっと司くん、言い方よくないよ。すいません会長、今日の放課後は一緒にコーヒーショップで勉強する約束になっていて」


 女の子の言葉に、白倉さんは眉をひそめた。


「それは困ったわね。私たち、金澤くんに少し大切な話があるのだけれど」


 当の金澤くんは、まるで取り合わない。


「とにかく、御覧の通り先約がありますから。また今度ってことで」


 そう言って手をつかんで教室から連れ出そうとする金澤くんを、その女子生徒は笑って押しとどめた。


「あ、私はいいよ、司くん。今日の埋め合わせに、別の日に会ってくれる約束してくれればねー」


 金澤くんは立ち止まると、苦虫をかみつぶしたような表情で腕を組んだ。


「弱ったな。今週は俺、予定が全部埋まっているんだが」


「いやいや、少し先でもいいからさ。司くん、競争率高いから仕方ないね。それじゃあ帰ったらメールするから、空いている日を教えてね」


「……わかった、必ず連絡するよ。すまないな、高森」


 二人のやり取りを聞いていた白倉さんは、高森と呼ばれたその女の子に、申し訳なさそうに頭を下げた。


「あの、高森さん。ごめんね、せっかくのデートを」


 押しも押されもせぬ実力者の生徒会長が、初対面の下級生に自然に頭を下げる。こういう飾らないところが、彼女の人気を押し上げている要因の一つなのだろう。果たして高森さんは、とんでもないというように慌てて両手を振った。


「デートだなんて、司くんとはただの勉強友達ですから。それに生徒会長に貸しを作れる機会なんてめったにないし、ちょっと嬉しいです」


 苦笑する白倉さんに高森さんはぺこりと頭を下げると、リュックサックを担いで、金澤くんの胸を軽くつついた。


「でも司くん、特別な人なんて作っちゃ嫌だよ」


「つまんないこと言うなよな」


 金澤くんは笑いながら、高森さんの頭をぽんと叩いた。や、優しい。私たちに対する態度とのこの落差はどうだ。高森さんは、あはっと笑うと、もう一度私たちに会釈をして教室を後にした。


 微笑しながら彼女を見送った金澤くんは軽くため息をつくと、私たちの方へと向き直った。その顔には、直前までの感じの良さは微塵もない。彼はいら立ちを隠そうともせず、白倉さんをむっつりとにらんだ。


「それで、先輩。俺たちの邪魔をしなきゃならないほどの話って何です? 内容次第では怒りますよ、俺」


 私ははらはらしながら二人を交互に見た。控えめに言って友好的な雰囲気ではない、正確に言えば一触即発だ。これほどの険悪な状況の中で、副会長になってくれ、などと切り出したところで結果は見えていると思うのだが。だが、白倉さんは腕を組むと涼しい顔で言った。


「金澤くん、それでは単刀直入に。四月から発足する生徒会の新執行部、それに副会長として参加してくれない?」


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