第58話 魔王より、宣言する!
「……それが、貴様の選択か」
赤い残光が降り注ぐ先には、とある少女の思いを煮詰めた悪感情の刃が転がっていた。目の前に横たわる、その感情の行き着く先だったはずの男は未だに短く呼吸を繰り返しており、彼は目の前で泣き崩れる娘の姿を生気の弱った瞳で捉えていた。
「……何故、殺さなかった。これが、最後のチャンスだったかもしれないのだぞ?」
ルードリヒの問いかけは最もだったが、イオナは涙で両頬を濡らしながら嗚咽交じりに答えた。
「できない……。できる、わけがない……。お父様は、例え人殺しでもお父様だから……。あたしじゃ、殺せないよぉ!」
「……イオナ」
「あたしは、お父様は罪を償うべきだと思う。生きて、ちゃんと罪を償って……。そしたら、今度は一緒に暮らそうよ。今のお父様が許してくれるかは分からないけれど、シュウヤは優しいからさ。罪を償えば、きっと一緒にいることを許してくれるよ。だから、お願いだからさぁ……。娘に、簡単に殺せとか言わないで!」
ルードリヒはイオナの必死の訴えを聞き届けると、目の前に広がる青い空を仰ぎながら目を閉じた。結局、彼の目論見は復讐心よりも家族愛が上回ってしまった娘の行動によって失敗に終わった。
これはルードリヒにとっては予想外の出来事ではあったものの、不思議と心はちっとも痛んでいなかった。むしろ、愛する娘が自分のことを思って生かす決断をしてくれたことが嬉しくて、この場でなかったら泣き崩れてしまっていただろうとすら思える。
しかし、この展開を望んでいなかったのはルードリヒだけではない。誰がなどと問うまでもなく、魔王が用意した最高の舞台を行動一つで台無しにしてくれたのだから。
「感動に浸っているところ申し訳ないが、貴様らには消えてもらう」
「……魔王!」
「そこの男を庇った時点で、貴様もまた魔王軍に刃向かう反乱分子だ。我らの目指す世界に、貴様らのような同胞を傷つけ陥れる輩は必要ない。この場にて、処刑するのみ」
「……待ってくれ。いや、待ってください。魔王様」
「……イオナ、何を?」
イオナは傍らに倒れるルードリヒに優しく微笑むと、魔王の前に跪き頭を垂れた。それも、単に片膝をついたのではなく地面に額を擦りつけるように、とにかく自分を低くして懇願する。
「魔王様の強さは、既に十二分に理解しております。ですから、もはや逆らう気などありません。私はエンペルト家長女として、あなたに忠誠を誓います」
「それで? 貴様を生かすにあたって、どのようなメリットがあると言うのだ?」
「私の父は、王国の貴族院に所属する有力な貴族の一人です。貴方様の魔族復興の一助になるよう、取り計らいましょう。すぐには難しいかもしれません。ですが、必ずや貴方様に不利にならぬように致します。ですからどうか、私とお父様の命はどうか見逃していただきたい」
「確かに、貴様の父は非常に強い権力を有している。だが、その道理が通るのは貴様が父との約束を取り付けた時だ。今ではない」
「ですが、私がいなければ取り付けることなど不可能です。何なら、私を人質にしていただいても構いません。もしも父があなたに協力すれば、他の貴族も恭順するやもしれません。そうなれば、国内において反乱を起こし国盗りを為すことすらも夢ではありません」
「我はこの国を一夜にして滅ぼすことすらもできる。貴族の力を借りなくても為せるとは考えられんか?」
「ならば、とっくにそうしているはずでしょう。この国の中には、まだまだ囚われた魔族も多いはず。彼らを見捨てることを極力選びたくないのではないのですか? 貴族を味方につけて反乱を起こせば、少なくとも全ても魔族が滅ぶことはない。奴隷解放と共に、魔王様の望む新たな国家が誕生するでしょう」
魔王の殺気の籠った鋭い視線がイオナの全身をグサリと突き刺さり、彼女の全身からは冷や汗が止まらず口の中は大洪水状態だ。視線が外れるまで気を抜くことは許されず、視線が外れてもなお石像のように固まっていないと首が自分の体を見上げることになるかもしれないのだから。
暫く考えた魔王は、イオナから興味を失くしてその場を少し離れると会場全体に向けて宣言した。
「魔王イグニスに恭順せよ! それだけが、この国において貴様ら人族が生き残る唯一の方法だ。今、この瞬間よりイオナ・エンペルト、およびルードリヒ・アーノルドは我が軍門へと下る。貴様らも、もしも生き残りたいと願うなら魔王軍へ志願せよ。期間は一ヶ月、その間に我らに従うと決断した者たちには最大限の慈悲と温情を与えると魔王イグニスの名に誓って宣言する! ただし、我らは裏切りを悪とする。誓いを破る者、あるいは誓いを立てぬ愚者には死の制裁を……。じっくりと、考えるのだな」
そして、魔王の体から高い濃度の魔力が放出され紫色の霧を編み出した。それらは会場全体を雲で包み込むように覆い隠したが、一分と経たぬうちに元の景色を取り戻す。
だが、その時には魔王の姿も、イオナ、ルードリヒの姿も、また他の魔王軍の構成員の姿も跡形もなく消えてしまっていた。会場が大混乱に陥りそうな中、アリスティア王女の号令と貴族たちの働きによってその場だけは収拾をつけることに成功したが、後に『古の魔王、復活!』の見出しと共に今回起きた出来事の全てが新聞に記載されることとなる。
「魔王イグニスに恭順せよ! さもなくば、死の制裁を!」
大げさに、そして高々と付けられた見出しに国民たちは一笑に付す。最初は単なる出まかせやフェイクニュース、あるいは噂程度の誇張と受け取った者が多かったのだ。
しかし、ルードリヒから聞き出した魔族たちの養殖場や奴隷たちの救出と称したテロが事件後から僅か三日でニ十ヶ所以上で行われたことで恐怖と混乱へと変わっていく。
「魔王は本当に復活したのではないか」、「従っておいた方が良いのでは」。国民の中では疑心暗鬼が跋扈するようになり、問題は王国の上層部分にまで及ぶことになったのは言うまでもない。
そして、この男……コーネリア・エンペルトは現在、貴族や王族が集まる貴族院の重大な会議へと呼ばれ王城内を歩いていた。いつもなら神聖に見える大理石の構造も、今となっては自分に立ち塞がる巨大な障害にしか見えないくらい彼の中では一大事だった。
(ルードリヒが研究会所属だったことには驚かされたが、娘までも魔王に付き従い、そして攫われた。あの女の言った通りに……)
コーネリアはあの大会の日、決勝戦が始まる直前までカフェでとある女性と会っていた。その人物は長い黒髪を従えた大和撫子風の衣装に身を包んだ者だったが、瞳だけはまるで絵本の中から切り取ったみたいな浮世離れした月光の如く輝きを放っていたのだから。
(彼女と知り合ったのは、貴族同士の舞踏会での最中だった。彼女はとても美しく、有力な貴族とも強いパイプを持っていたために近づいた。そして案の定、こちらに対してビジネスを持ち掛けてきたが……。よもや、ここまで計算してのことだったとは思いもしなかった)
そして、ビジネスの内容を聞いた彼は慌てて闘技場へと蜻蛉返りするも、魔王の部下にピッタリと張り付かれていたこともあり娘を助けに行くことすらできなかった。結局、彼は何もできずに娘を拐かされ、更には己の力すらまともに振るうことを許されず魔王を取り逃がす結果となってしまった。
こんなことなら関わるべきではなかった。後悔したところで時は巻き戻らない。
彼が『彼女』から提案を受けたビジネスの内容、それは……。
「決意は固まったのかしら?」
「っ! お前は……あの時の女狐か」
「女狐なんて言い方、辞めてくれる? あなたにとっては、とても良い話だったはずでしょう? コーネリア卿」
「……」
全身を黒いフードで包んでいるが、声で彼女だと分かった。しかし、相当な実力を備えている彼からしても、彼女がどこから現れたのかさっぱり分からなかった。
暗雲が月光を取り払うかの如く存在感を現したかと思えば、暗雲が月光を攫うが如く消えて見せる。その存在感も、その人物像ですらも水面に映る月を掴むように捉えどころがない。控えめに言って、絶対に関わってはいけなかった人物だった。
「……決断、してきたさ。これは、私たちエンペルト家の未来を……いや、人族の未来そのものを左右する出来事ですらあるからな」
「それで? 回答は?」
喉元に言葉を引きずり出そうとすると、それを阻止しようとするか、あるいはさっさと吐き出せと命令するかの綱引きで呼吸が乱れていく。そこまで出かかっているのに、最後の一押しができないくらいに今回の決断は屈辱的なものだった。
「……私たちエンペルト家は、お前たち魔王軍に協力する。内部から、我らの支持層を集めて一月後の反乱に備えるとしよう。だから、どうか……」
「分かっているわ。あなたの娘さんであるイオナも、それからついでにルードリヒも無事だから」
「娘に会わせてくれ!」
「それはあなたたちの態度次第ね。私たちは順当に仲間たちを増やし続ける。一月後のお祭りが、今からとても楽しみだわ。それまで精々、身を粉にして働くことね。コーネリア卿」
そして、彼女は再び月光の作り出した霞と共に跡形もなく消え去った。残された彼は再び、会議室へと向けて歩み出す。
(この選択は間違っていない。間違っていないはずなのだ)
彼は自分こそが正しいと頭で言い聞かせ、魔王軍の……いや、大事な娘のイオナのためにも全力で魔王軍に貢献する方法を思案するのだった。
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