第55話  この世の遍く地獄を歩む我々は、一筋の希望に縋る愚者

「はははははは! どうだ!? この素晴らしい魔力の奔流! 描かれる軌跡! 私の現役時代どころか、今の勇者候補ですらも敵ではないだろう!」


 ルードリヒが繰り出す剣戟の嵐は、まるで一振りで三回、四回も剣を振っているのかと錯覚するくらい速度が上昇していた。


 周辺の人間から手当たり次第魔力を吸収しているおかげで、常に限界を超えて剣を振れるからこそ成せる荒技だ。もはや、それは人外の領域であり普通の人間には辿り着けない、ある意味で奥義へと到達しようとしていた。


 その間、ルードリヒ剣を振った回数と金属の衝突音に僅かながら差が生じていた。あまりに攻撃の応酬が速すぎるため目で追えないうちは、魔王に確実に攻撃を当てられていると側から見れば誰もが錯覚することだろう。


 しかし、攻撃を加え続けているはずのルードリヒの顔には焦りの表情が見え始めていた。それもそうだろう、彼の放った攻撃はどれもこれもが意図的に狙いを外させられていたのだから。


(何故だ!? 魔王と私で、ここまで技量に差があるのか……!? 未熟な勇者候補と比べても、私の方がまだ技量では勝っているはずなのに……!)


 ならばと、彼は堰を切ったように溢れ出る魔力を利用して徐々に攻撃の速度を上げていく。ハイスピードカメラですらも捉えられないような、それこそ相手が未来視でもなければ避けることが不可能なほどに魔力の軌跡が幾重にも重なって光り輝いていた。


 舞い散る火花の数も一秒経過するごとに指数関数的に増えていき、まるで空から地上に向けて打ち上げ花火を行なっているかのような戦い様だった。ある種の芸術作品として完成された戦闘は、本来であれば観客を魅了した時点で終わりを迎えるはずの寿命短い代物だったはずだ。


 だが、花火は萎れるどころか次々と大輪の花を咲かせては散るを永遠と繰り返している。それは即ち、魔王の剣の技術がルードリヒの用意した花火の種の全てを開花へと導くだけの力を有しているということだった。


「速度は上がっているはずだ! 貴様も、私の最高速度にはついてはこれまい!」


「……早く見せろ。芸が無さすぎて飽きてきた」


「戯言を抜かすな! 死に損ないが!」


 ルードリヒはかつてないほどの魔力量を体に注ぎ込んだ。すると、ルードリヒの姿が何重にも分身しているかのように攻撃を加え始めた。


「今更のこのこ復活したかと思えば、かつて守れなかった同胞を引き連れて復活だと!? 元はと言えば、貴様が大戦にて敗北したのが今の時代を作った元凶なのだ! ならば、大人しくもう一度墓にでも入っているが良い!」


 熱烈な剣戟のスコールが魔王へと集中的に降り注いだが、これも魔王は難なく受け流し、躱し、そして的確に捌いていく。


「馬鹿な、こんなことが……。だが、攻撃を加え続ければいつかは……」


 しかし、コップに注いだ水の全てを飲めるわけがないように、ルードリヒ自身の器はとっくに許容量を超えていた。攻撃をすればするほど器にはヒビが入っていき、耐久限界を迎えた体がどうなるかなど想像するまでもない。


 ルードリヒ自身から所々、鮮明な赤い血が吹き出し始めたではないか。迸る激痛に悶え苦しみ、やがて剣さえ持つことも困難になった彼は魔王の眼前で膝をつき、直後、金属が地面を大きく跳ねる音がした。


 そして、魔剣グレイプニルは黒い粒子と化して灰に帰るように姿を消した。すると、魔剣を中核に発生していた黒い魔力の奔流は消え去り、魔力を吸収されて苦しんでいた人たちの表情も幾分か和らいでいった。


 後に残ったのは、剣に寄生されて養分を絞るだけ搾られた後の残り滓。憎しみと怒りを糧に燃えていた戦意を完全に削がれて朽ち果てたそれは、いずれ剣士が行き着く終点の一つの形なのかもしれなかった。


 魔王は寿命を迎えて道端に捨てられた枯れ枝でも見つめるかのような冷酷な瞳で成れの果てを睥睨し、その黒い魔の手を彼のか細い首へと伸ばす。


 小枝が握られたかのような、少し力を入れればポッキリと折れてしまいそうだと直感する。しかし、魔王は絶妙な力加減で持ち上げ、そして陽光を遮るように彼を高々と掲げた。


「身の丈に合わぬ力を使おうとした結果、道具に使われ代償として人間としての生を捧げるとは。その心意気は認めるが、まだ足りぬ」


「足りない、だと?」


「ああ。その程度のことで我を倒せるのなら、我はとっくにこの世界から排斥されているはずだ」


 ルードリヒは水面に浮かぶ餌を求める魚のように空気を吸いながら、ギリギリのところで意識を繋ぎ止めて魔王の問答に答える。一方、汗ひとつかかず涼しい顔をした魔王は、ただ淡々と言葉に絶望という艶やかな彩りを乗せて彼の脳を容赦なく抉る。


「知っているか? この世のどこかにある、その小さな地獄の存在を。羽をもがれた鳥は如何にして羽ばたけば良い? 一から築き上げた自らの居城を大地の奔流により一晩で失くした城主は何に怒りをぶつければ良い? 必死でかき集めた至宝の山が単なる土塊だと知った時、人は何を嘆けば良い? 貴様は知らんのだ。この世には、責任転嫁できぬほどの数多の理不尽が存在するのだ。それでも、己の力で立って歩き、全身を血色へと染める茨の道を突き進み抜いたその先に……。また、新たな地獄が待っているのだ」


「それでは、希望などないではないか」


「いや、希望はある。希望というのは、地獄の苦しみの中で見出した自分にとってかけがえのない財産のことだ。まるで蜘蛛の糸を掴むようにか細く、吹けば消えてしまうかもしれぬ。だが、それを必死にかき集めて紡いだ糸が、やがて希望の先に存在する輝かしい未来を映し出してくれるのだ。我らはそんな地獄の中で、必死にもがき苦しむ愚者に過ぎん」


「私は、掴めなかったのか?」


「いや、掴んでいたのだろう。だが、他力本願で手にした力など脆弱なものよ。故に、我の紡いだ物の方が勝った。これは、互いの紡いだ希望同士をぶつける戦いだったのだ。そして勝った方は、より辛く苦しい地獄を歩み、負けた方は希望という拠り所を失ったその環境で苦しみ苛まれ続ける。故に、ここは地獄なのだ」


 魔王は掴んだ左手に魔力を宿らせ、彼と神経を繋ぐようにパスを形成する。


「さあ、見せてみよ。貴様の生きてきた地獄を」


 すると、魔王の視界をやがて白い光が埋め尽くしていく。加速した時間の流れに身を任せるようにして辿り着いた先は、ルードリヒ自身の歩んできた軌跡そのものだった。

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