第54話 暴かれる国の闇

(魔王があんな化け物など……。聞いていないぞ……!)


 貴賓席で今の戦いを全て見ていたルードリヒは、心の中で悪態を吐きながら奥歯をグッと噛みしめた。自然と拳に力が籠るのを必死に抑えながら、今の状況を打開するための最良の一手を模索する。


(この場から上手く逃れて研究会に報告を……。いや、それは不可能か)


 視線を見えないはずの後方へと巡らせるように動かす。貴賓席兼実況席となるこのスペースに用意された唯一の出入り口である扉の前には、魔王の仲間と思われる黒いフードの人物が立ち塞がっているからだ。


 ここに護衛はの騎士などはいない。正確には、配置できるほどスペースが広くないためルードリヒ含む戦闘可能な貴族連中が護衛も兼ねることになっている。


 その護衛が役に立たないようでは、この配置は既に無意味だ。実際、魔王は勇者候補を圧倒するほどの力を持っていたが、後ろに控えている相手も相当な手練れだとルードリヒは感じ取った。


 無論、彼が見せたような化け物じみた強さを持っているとは言えなかったが、一太刀交えればギリギリのところで自分が負けるだろうと推察できるくらいには現役時代からの勘は鈍っていない。


 なので、実力差があり、戦っても勝てる見込みがないのなら下手に戦を仕掛けるよりアリスティア王女を守ることに徹した方が有意義なのだ。


 そして、今度は闘技場内部へと視線を戻し、静かに佇む魔王の姿を観察する。先ほどと変わらず全く隙がなく戦いを仕掛けること自体が自殺行為。


 ならばと、彼らがこの場で何をしようとしているのかに着目する。


(連中は恐らく、私の所属についても調べ上げているのだろう。それなのに、未だに私を捕えないところから察するに、きっと何か狙いがあるはずだ)


 だとするならば、まだまだ交渉の余地があるかもしれない。彼らの狙いを上手く探り、それを逆手に取ればもしかしたらこの場から逃れることも適うかもしれないと。


 これもかなり望み薄な妄想でしかないが、何もせずにこの場を掌握されるよりはマシだと考えた。ルードリヒは早速、闘技場の中央にいる魔王に対して貴賓席から声をかけた。


「魔王よ、聞け! 私はシグルス王国魔法剣術学園の学園長を務めている、ルードリヒ・アーノルドだ! 貴殿の目的は、一体何なのだろうか! 私は学園長として、貴殿の目的を完遂するべく最大限の努力をしよう! 代わりに、他の生徒や先生方、来賓の方々を逃がしてはくれまいか!」


「……」


 ルードリヒの呼びかけを聞いた魔王の鋭い眼光が彼の体を射抜いた。見ただけで吸い込まれそうになる赤い瞳に魔力が宿っているのか、全身が金縛りにあっているかのように動かなくなる。


(凄まじい圧だ……。生物としての本能が、奴を恐怖している。逆らってはいけないと、訴えかけている……!)


 ごくり、唾を飲みこんで彼の次に発する言葉を息を殺して待ち続ける。徐々に心臓の鼓動が早くなると鼓膜の奥がジンジンと痛み、全身の穴という穴から汗が噴き出してくるみたいな焦燥感に襲われた。


 そして、ついに口を開いた魔王は同時に黒い剣の先をルードリヒに向けた。


「今回の獲物は、貴様だ。ルードリヒ・アーノルド」


「……私が、目的だと?」


「そうだ。貴様の愚かな企みなど、既に見抜いているぞ。魔導叡智研究会」


「……」


 魔王がそう発言するや否や、周囲からざわざわと話し声が聞こえてくるようになった。あまりの衝撃的な発言に、恐怖で打ち震えていた者たちが反応せざるを得なかったのだ。


「魔導叡智研究会だって?」


「まさか。あれは都市伝説だろ?」


「どうせ、魔王の戯言だよ」


「でも、これだけのことをやらかしたんだぞ?」


「勇者候補を倒したのは、俺たちにそれを信じさせるためだっていうのか?」


 マズい、ルードリヒは自分の立場が危ぶまれていることに気づいて感じていた焦燥感がより顕著なものへと変わっていく。眉をしかめ、握り締めた拳の中に爪を食い込ませながら次の言葉を慎重に選び抜く。


「どういうことですかな!? ルードリヒ学園長殿!?」


 貴賓席を訪れていた貴族の一人が声を上げると、次いで口を噤んでいたアリスティア王女もルードリヒの傍に立って厳しい視線を向けながら発言する。


「……学園長。流石に、今の魔王の発言を単なる戯言と流すことはできません。わざわざ公の場に姿を晒して自分の正体がバレる危険性を冒し、更には勇者候補を打倒してまで自分の力を知らしめたのです。きっと、この行動には意味がある。一国の王女として、説明を求めます」


(この小娘が……! 元はと言えば、貴様らのせいで私が危険な任務を背負うことになったのだぞ! それを抜け抜けと、忌々しいにも限度がある!)


 アリスティア王女は、魔王が現れてから眉一つ動かさず彼の挙動を見守り続けていた。まるで、最初から魔王がこの場に現れるのを分かっていたかのようだ。


(王女は魔王と繋がっている……? いや、そうではないのか。こいつは端から、魔王の仕出かすことに口を出すつもりがなかったのだ! だから、このタイミングで奴を擁護するような発言を、あたかも国のためと言い張って説明責任を果たさせようとしている。何故なら、ユリティア王女はほぼ確実にどこかで生きていると研究会では結論づいているからだ)


 現在、ユリティア王女は公には死亡した扱いになっているが研究会の見解はそうではない。あの場に魔王が出現したことも、そして魔王がユリティア王女を連れ去ったことも証拠を消しに行った特定班が確認している。当時はユリティア王女を連れ去った魔王が彼女を殺したのではという意見もあったが、アリスティア王女が五体満足で学園に戻ってきている観点からその確率は非常に低いと推察された。


 もし、ユリティア王女を殺しているならば、目撃者であるアリスティア王女は単なる邪魔な存在だからだ。ならば、アリスティア王女を生かした理由はユリティア王女の無事を彼女に分からせた上、裏で協力するよう促していると考えるのが妥当なのだ。


 そこに直接的なやり取りがあったのかどうかは、研究会の方でも詳細が分かっていない。だが、アリスティア王女のこの行動から、少なくとも彼女は魔王に協力的であるということは研究会の立場からすれば明らかなのだ。


「どうしたのですか、ルードリヒ学園長。否定、なさらないのですか?」


 ただ俯いて黙ったままのルードリヒの体を、アリスティア王女の真摯で真っすぐな視線が貫く。この場で言い逃れするための言い訳はいくらでも思いつくが、否定したところで今回の首謀者が自分であることを見抜いている魔王が証拠品を所持していないということはないだろう。


 そう考えれば、否定すれば否定するほど自分の立場を悪くし、やがて何もできずに捕らえられてしまうだろう。魔導叡智研究会は国の闇を担う組織、その構成員の一人を捕虜にできれば莫大な利益を生み出すことができるのだから。


 だとすれば、ルードリヒ自身が取れる最善の行動は一つしかなかった。


「……よもや、このような形で暴かれるとはな」


 触れた物を切り裂きそうなほど刺々しい殺気を放ちながら、凶悪な本性を体現するように魔力で瞳を赤く染め上げた。


「彼を捕らえて!」


 叫びながらアリスティア王女は彼の殺気に臆することなく、捕らえようと魔力で強化した身体能力で彼に差し迫る。しかし、拳一個分の距離だったにも関わらず王女の挙動を読んでいたかのように身軽なステップで避けながら足を引っかけて転がせる。


「クソ……!」


「王女様がクソなどと、いけませんな」


 王女の発言を受けて動ける者は彼を捕まえようと手を伸ばしたが、ルードリヒは大きく飛び上がると空中で何回転かしてから試合場へと着地を決めて魔王と対峙する。互いの視線が交錯する中、最初に口を開いたのはルードリヒの方だった。


「我ら、魔導叡智研究会がどんな存在か知っているかね? 魔王」


「……」


 魔王は彼の問いには答えない。答えるつもりがないのかもしれないが、構わずルードリヒは講義を続ける。


「我々は、この国の言わば裏の管理者だ。表の世界でのうのうと生きている人間どもの平和と秩序を保つ、そのための組織だ。無論、「ほんの少々ばかりの見返り」はもらっているがね。それは、彼らには関係のないこと。我々がどんな目的を持っているかに関わらず、この国の人間どもは我々の存在によって助けられている。いや、この国だけではない。いまや、世界中の国々が何らかの形で我らの支援を受けているはずだ。それも、表の世界では知られていないことだがね」


「……」


「そして当然、魔族を排斥する今のシステムを構築していたのも、それを維持しているのも我らだ。それを貴様は、土足で踏み込み荒そうとしている。魔王よ、貴様の行いは我々の国から平和と秩序を奪う愚かな行いなのだ。それを承知の上で、我らに楯突こうと言うのかね?」


 ルードリヒの発言を要約するならば、今の平和を保つためにお前たち魔族こそが犠牲となれということだ。当然、そんなことを魔王が容認するはずもなく、しかし多くを語ることがない彼が発したのは単純で明快なことだった。


「なれば、我らの平和と秩序を取り戻すべく、貴様らの平和と秩序を奪おう。貴様らが、最初にそうしたようにな」


「因果応報、そう言いたいのかね?」


「世の摂理だ、と言っているのだ。他人から奪うということは、他人から奪われる覚悟が必要だ。その清算が行われて初めて、我らは互いに歩み寄れる。故にまずは、この偽りの平和をぶち壊す。貴様らを踏み台にしてな」


「……もはや、貴様を生かしておくわけにはいかないようだな。我々にとって障害になるのならば、排除するまで。貴様が倒れれば、この国は今まで通り平和でいられるのだから」


 ルードリヒは腰に下げていた剣を鞘ごと手に取ると、それを闘技場の端に放り投げた。まるでゴミでも捨てるかのように乱雑に扱う様子だったが、魔王は眉一つ動かすことはしなかった。


「貴様ほどの実力者であるならば、あの程度では満足しないだろう? 良い物を見せてやる」


 ルードリヒの体からドス黒い魔力が溢れてきたと思えば、その手に一振りの黒い剣が握られた。刀身の部分に赤い二本線が入った怪しげな剣は、人の魂を幾重にも食らった妖刀のような禍々しさを放っていた。


「その剣は……。アーティファクトか。なるほど、所持者の魔力に擬態することで刀身を隠していたわけだな」


「ご明察。貴様の持つ、その黒い剣と同じような代物だ。普段のこいつは魔力がないと実体化できない故、魔力供給をし続ける特殊な装置による保管以外では、こうして所持者の魔力に溶け込み姿を隠す。だが、所持者が呼び出せばたちまち、その者の魔力を食らい尽くす。一つで完結している貴様の剣との違いは、その燃費の悪さだな」


「だが、それだけではないのだろう?」


「ああ、当然だ。この剣の真名は魔剣グレイプニル。その真価は、半径十キロ圏内にいる人間どもからも魔力を吸い上げることができる点だ!」


 魔剣グレイプニルが目覚めの咆哮を上げるように黒い雷を周囲に撒き散らしたかと思うと、同じ闘技場内にいる生徒の何人かが意識を失って倒れ始めた。それだけではなく、魔力の少ない者から順に体調を悪くしていき、その場にへたり込む者や立ち眩みを覚える者が出始めた。


「魔力の少ない者ほど早く影響が出始めるが、これだけの人数がいれば三十分は戦うことができるだろうな。さあ、理不尽なほどに膨大な魔力を従えたこの私を倒すことができるかな?」


 現在のルードリヒは、言わばガソリンの減らない車を全速力で走らせているのと同じ状態だ。いくら魔王と言えど魔力を使えば当然減るし、いつかは力尽きるだろう。


 そうなれば、もうルードリヒに勝つことなど不可能だ。恐らくは彼もそれを狙ってのことだろうが、魔王はただ小さく微笑むと「ふっ」と蝋燭の火を吹き消すかのように嘲笑した。


「……何がおかしい?」


 本気の自分を相手に余裕の笑みを浮かべる魔王に怒りを覚え、言葉の端々にドロドロとした憎悪の込められた殺気が宿った。が、それをそよ風を流すような涼しい顔をしながら、魔王は美しく黒剣を構えた。


「小細工ごときで魔王は倒せない、それを我が理不尽を以て証明してやろう。さあ、かかって来るが良い。我は魔王軍首魁こと魔王イグニス。貴様も、名を名乗れ」


「……私は魔導叡智研究会、内部『第三位階(スローンズ)』ルードリヒ・アーノルド。いざ、参る!」


 二人は一瞬にして互いの距離を詰めると、強烈な一振りで周囲の空気を巻き込みなが鍔ぜり合う。こうして、魔王イグニスと学園長ルードリヒによるエキシビションマッチが幕を開けたのだった。

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