第42話 お風呂も良いけど、やっぱり温泉は最高だよね

 今日はいよいよ、待ちに待ってもいない武闘会当日となった。イベント開催日ということもあって、朝っぱらから活気に満ち溢れた学園内の様子であっても日課を特に変えるつもりはない。


 朝のトレーニングを済ませ、その後は温かいお風呂に入って身を清めつつサッパリさせるのだ。以前、ルナが寄越してきた手紙の通り、僕は早速例のお風呂がある場所へと向かうことにする。


 コンコン、コンコン!


「兄様! おはようございます! 今日も私のお部屋にいらっしゃいませんか?」


 そして、ユイナが毎朝のように起こしにくるパターンも相変わらずといった様子だ。僕としては、既に一度彼女の部屋を訪れたのだから潔く諦めて欲しいのだけれど、妹が兄に甘えるというのは一度や二度なんて理屈が通用する世界でもないらしい。


 でも、同じ轍を何度も踏むほど僕は学習能力が低いわけじゃない。


 僕はこれでもかと言うほど魔力を抑えて窓に手をかける。ユリティア王女じゃあるまいし魔力量が多いからといって魔力感知能力が高いというわけではないはずだ、このままならほぼ確実に逃げられる。


 確信があった。以前、森で巨大蜘蛛を相手にした時にアリスティアを助けるために彼女の剣の軌道や振りに合わせて魔力を遠隔で操作する技術を覚えたお陰で、より精密な魔力制御が可能となったのだ。


「これも全ては、己の研鑽が成した匠の技……。もはや、ユイナが僕を捉えられることはないだろう」


 窓から颯爽と抜け出した後、遠くからユイナが僕の部屋に踏み込んだのを確認したけれど、予想通り追っては来なかった。作戦は滞りなく成功、日々の鍛錬の中で僕もまた成長していることが実感できた良い一日のスタートになった。


 ユイナを振り切ってやって来たのは、王都の中心街から少し外れに位置する和風な旅館っぽい外観のお店だ。あまりに西洋中世の時代感からかけ離れているせいで、ここだけ異世界かな? と思ったのが第一印象だ。


 入り口のところには「準備中」の立て札があったけれど、特にお構いすることもなく堂々と旅館の中に進んでいく。やはり内装も和を踏襲したテイストらしく、玄関には熊の置物があったりとか、スリッパや畳、障子などがあったりとか、何故かマッサージチェアが設置されていたりとか、異世界感ぶち壊しの文明侵略がなされていた。


 すると、僕の侵入に気づいたらしい女将さん? らしき人がこちらへとやって来た。この足運びと気配の消し方は、間違いなく「こちら」の魔族だ。


「すみません、お客様。まだ開店まではお時間がありまして」


「仄かな篝火によるお誘いがあったからな。寄らせてもらった」


 僕は例の手紙をポケットから取り出し、女将さんに見せつける。それを見た彼女は目を見開き、先ほどまでのお客に対する恐縮から主人に対する畏敬へと切り替えて深々と頭を下げた。


「大変失礼いたしました、魔王様。この度は、こちらの召集に応えていただき、ありがとうございます。ルナ様から伺った話では、今日の朝に現れなかったらもう来ないだろうとのことでしたので、感謝の念が尽きません」


「すまないな。色々と立て込んでいたせいで遅れてしまった」


「いえ。ギガスパイダーの攻撃を受けて負傷されていたとのことですから、気になされることではありません。魔王様がお休みになられている間、あの森の魔物どもに自らの侵した罪を贖ってもらうべく強制排除致しました」


「そこまでしなくても良かったのに」


「これは必要なことです。作戦遂行のためだったとはいえ、魔王様に怪我を負わせるなど言語道断。獣であろうとも、侵してならない禁忌があることを少しは理解したでしょう」


 わあ、僕の部下たちって血の気が多い人がいっぱいだ。これってやっぱり、飼い主的な立ち位置の僕がトップだからなのかな?


「それで、早速お風呂……じゃなくて、例の作戦についての話があるのだろう? 場所は何処だ?」


「こちらの奥へとご案内致します。王都の景色を一望できる天然の露天風呂で夢のようなひと時を楽しみながらお過ごしくださいませ」


「じゃあ、早速だけど行こうか」


「仰せのままに」


 摺り足で滑るようにツルツルとした床板の上を移動しながら幾つもの部屋の前を通り過ぎて奥へと進んでいき、そこから階段で三階へと上がる。入り口から見て、一番奥の部屋になっているのが天然露天風呂らしい。


「それでは、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」


 女将さんは丁寧にお辞儀をすると、自分の仕事へと戻っていった。どうやら暫くは邪魔をするつもりはないらしいので、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらおうと思う。


 脱衣所も古き良き日本文化って感じの風景だった。竹? か何かで編まれたカゴの中に自分の服を体内に畳んで入れ、代わりに用意されていたタオルを一枚拝借してから露天風呂へ続く扉を開いた。


「おお、これはいいね。まさに絶景だ」


 そこはまさに、僕が想像した通りの桃源郷の景色が広がっていた。


 一人で浸かるには贅沢と言える広々とした露天風呂は、どうやら地下から汲み上げた天然温泉をジャグジーから流しているらしかった。透明度も非常に高く、温泉独特の香りって言えばいいのかな? それが息を吸うたびに肺いっぱいに満たされると「温泉に来たんだ!」って開放感で脳がはしゃぎそうになる。


 こちらから見て右の壁際に設置された一つだけのシャワー、これがまた良い味出してるよ。なんか、一つしかないところが逆に僕だけのために用意された特別感があってね。


 シャンプーや石鹸も現代と遜色ないものが出回ってるくらいだから、こちらの物もかなり上等な品質であることは期待しても良いだろう。


 そして何より! この風呂場の向こう側に見える王都の景色が最高だ!


 向こうの囲いが透明なガラスで作られているからお風呂に浸かった状態でも景色を一望できるし、ある程度の高さがあるお陰で「権力者、王都を手中にする!」的な演出にもなっていて優越感まで得られる。


 ここを用意してくれたルナには、本当に感謝しないといけない。これなら、僕は多少法外な金額を払ってでも常連客になってしまうよ。


 早速、体を綺麗に清める儀式を行ってから足先を水面につけ、まるで泉に導かれるように徐々に体を温泉の中へと浸していく。疲れた体にじんわりと伝わる温かさがかたまで到達した時、全身の力が一気に引き抜かれて自然と大きな溜息が漏れてしまう。


 溜息を吐くと幸せが逃げると誰が言ったか、幸せだからこそ溜息が出てしまうんだ。ぼくはこの至福の時間をゆっくり、のんびりと過ごさせてもらう。


 そうして体中の倦怠感や疲労感が温泉の心地よさで洗い流されていくのを感じていた中、扉の方が開いて誰かが入って来た。


 その人物は作法に則り体をかなり綺麗に清めると、僕の側までやって来た。


「失礼致します、魔王様。お隣よろしいでしょうか?」


「いいよ、全然。温泉は誰にでも平等に幸せを与えるように、ここでは無礼講だ」


「恐悦至極にございます。では、早速……」


 彼女は白いしなやかな足を水面に触れさせ、するりと水面を揺らすことなく景色へと溶け込んでいく。まるで最初からそこに居たのが当たり前かのように気配は違和感を失くし、そしてこの場に相応しい静寂が自ら訪れた。


 僕は、彼女のことを知っている。この間も、その前も助けてもらったことがあったからだ。


「君さ、この間はありがとね。ユイナに絡まれていた僕をさり気なく助けてくれたモブAさん」


「覚えていてくださったのですか?」


「うん。確かに、あの時とは姿形が全然違うけどね」


 前に会った時は、確か目元を黒髪で隠していた日陰子ちゃんみたいな感じだった。しかし、今はそれとへ真逆と言っても良いほどオープンな顔と頭に巻いたタオルからはみ出る金髪は陽キャラ感を演出している。


「僕は君のことを忘れないって誓ったからね。魔力で姿を変えたくらいじゃ僕の目は誤魔化せないよ」


「流石は魔王様です。私の変装は八魔将の方々であっても騙される精度ですから、いけると思ったのですが」


「自信があるのは良いことだ。けど、過信してはいけない。いつ、何が、誰が、どんなことを引き起こすかなんて分からない。だからこそ、僕たちは更に技術の研鑽に取り組むんだ」


「まさに仰る通りかと。私の技術はまだまだ未熟……ですが、必ずや魔王様をも騙せる変身技術を身につけてご覧に入れましょう。そうすれば、魔王軍の更なる発展に貢献できるかと思いますので」


「良いと思うよ。そうなれる日を楽しみにしてる」


「勿体なきお言葉です。ありがとうございます」


 彼女、ここへ来てからずっと表情が硬いままだ。温泉へ浸かっているときくらい、もう少しリラックスしても良いと思うのだけど上司の前だと気が抜けない気持ちも分からなくない。


 だから、もう少しだけ雑談を続けてみようかと思う。決して、僕がもっとゆっくりしたいわけではないので安心して欲しい。


「えっと、君の名前は確か……」


「モブAで構いません。私は、何者にも正体を知られてはいけないのです。例え、魔王様だろうともです」


「そうなんだ。でも、七年くらい前にルナと一緒に敵の本陣に入ったことがあったでしょ。あの時はもっと血の気が多かった印象だけど何か心変わりがあったの?」


「そんなことまで覚えたらしたとは……。そうです。光栄なことにも、ルナ様と一緒に初めて研究会の人間と接触致しました。ルナ様、アテナ様、そして私を含め残り二名と」


「他の二人は?」


「現在は、聖皇国にて別の任務に就いています。彼女らはあれから、とても強くなりましたから。ですが、私には戦闘の才能はない。無論、戦うことはできますが八魔将の皆様と比べれば足元にも及ばないでしょう」


「だから、変装技術を高めようって考えたの?」


「はい。剣は振るえずとも、万人に成り代わることのできる才が私にはありましたから。声色や背丈も魔力で音波に干渉したり、光を屈折させることで変えております。成り代わる対象の研究も欠かせません」


「そっか……」


「どうか致しましたか? まさか、私の話が詰まらなかったのでしょうか?」


 ちょっと素っ気なかったかな? そんな地雷を踏んだのか? みたいに怯えなくても大丈夫。もしそうなら、踏んだ時点でそんな顔できないから。


「いや、才能がないからと別の道を探して大成する。凄いと思ったんだ。僕にも、元々才能なんて呼べるものはなかったからさ」


「魔王様ともあろうお方が、才能がないなどと……」


「買い被りすぎなんだよ。何でも、少し齧ればプロよりもプロになれるのが才能ってやつだ。僕は、必死に努力し続けないと誰かに追いつかれちゃうから」


 人は誰しもが才能を羨むことだろう。自分のなりたいものに違う誰かが成っていたら、その人はきっとその他人を「自分と違って才能があるからなれた」って、自分がそれを諦めるのに足る言い訳を発するんだ。


 でも、そうじゃないだろう。その人にはきっと、その人なりの苦悩や葛藤があって、その果てに巨万の富を手にしたり、夢を叶えたりしているのだから。


「けど、必死に努力をしても、それすらも奪われることはある。理不尽に、そして不条理に……。僕は、それらにすら抗いたいんだ。何者でも、何物でも奪えない、絶対で唯一無二の存在に僕はなりたいんだ」


「だから、魔王になられたのですか?」


「そう、それだけの理由だよ。僕は人一倍臆病だから、人一倍外面は強がりたいんだ」


 その証拠に、僕は今ルナに追いつかれるかもしれないと思っているところがある。彼女は紛れもない才能の塊だ、天賦の才と言っても良い。


 でも、追いつかれるわけにはいかない。それが、魔王である僕の矜持で、絶対に犯してはならないルールなのだから。


「幻滅したかな? 魔王なんて大層なこと言って、本当はただの臆病者だと知って」


「……そんなことはありません」


 彼女は首をゆっくりと横に振ってから言った。そこに迷いなどなく、本心から言っているのが僕には分かった。


「私とて、臆病だからこの道を選びました。皆んなと同じ道を歩んで良いのか、本当にそれで良いのかと。人は……臆病で慎重だからこそ、他人とは違う考えを抱けるのではないでしょうか? それで大成できれば、他の誰も文句は言えない。要は、成った者勝ちということでは?」


「……意外と気が合うね」


「光栄です。私のような末端の構成員に、そのような言葉をかけてくださるなんて」


 良かった、少しは表情が和らいだみたいだ。さっきの石みたいにカチカチだった顔が、今はほぐれて口元が少し緩んでいる。


「また付き合ってよ。君と話してると、僕の気も紛れる」


「是非とも、もっとお話を伺いたいです。こちらからも、よろしくお願い致します」


 さて、雑談もそこそこに本題へ入ろうか。まさか、ゆっくりと温泉で寛ぐためだけに彼女がここへやって来たわけじゃないだろう。


 ごほん、少し声色を低くして……。ここからは、魔王としての時間だ。


「……では、モブA。今回の作戦について、報告をしてもらおうか」


 明らかに雰囲気が重く成った。それを察したらしい彼女の表情も引き締まり、水面に触れるギリギリくらいまで頭を垂れた。


「かしこまりました」

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