第41話 幕間2 暗躍する者

 その人物は、執務室と呼べるような部屋で自分の職務をこなしていた。山のような書類の束を片付けながら、偶の息抜きに両側の壁に設置された本棚から本を取り出し読み耽る。


 最近は表の仕事を全うする以外に職務が存在しないため、かなり気楽な生活を謳歌することができていた。しかし、ふと書類の束に紛れて「研究会」からの暗号文書が送られてきていたのに気づくと表情が険しくなる。


 一見すると、単なる経理報告書のように見えるそれは、研究会で独自に使われている暗号ツールを適用すると次の仕事の指示が書かれていた。


「先の一件で、アリスティアとユリティアという二匹の実験体を同時に失った。これによる魔力研究の停滞は五年、十年単位での影響となることが予測される。この不測の事態に対処するべく、次の武闘会において次なる被験者を見繕うように……。なるほど、確かにあれは我々にとっては痛手だったか」


 彼は手にした書類を机にそっと置くと、「はあ」と大きな溜息を吐く。そして、膝をつきながら両手を交えて顎を支えるポーズを取ると恨みがましく正面の扉を見据える。


「近年、研究会に楯突く魔王軍なる組織が暗躍していると聞く。ケビン、クロイツも奴らの手によって始末されたと報告があったな……。いやはや、魔族から人族に支配権が移って幾百年、こんなことは今までに一度もなかったはずだ。それもこれも、全ては魔王なる存在の仕業か……」


 魔王、その正体は全く分からない。分かっているのは、彼本人が絶大な力を有していること、そして魔王に付き従う魔族もまた相当な手練れだということだ。


 研究会にとっては使い捨ての駒という位置付けの範囲外とはいえ、クロイツとケビンに勝てる者はそうはいない。もしも居たならば、研究会という組織が全世界に根を張れるほど大きな存在にはならなかっただろう。


「これは由々しき事態だ。正体不明の魔王、構成員の詳細も知れぬ魔王軍、その異常なまでの強さ……。目的は不明だが、これは研究会にとってのチャンスだ」


 それだけ強い魔族の集まりならば、さぞ素晴らしい研究素体になるだろう。人族が魔族の力を手にするための研究……究極の強さと永遠に等しい寿命、人を遥かに凌駕する知性を手にする日も近づくはずだ。


「人族は超えなければならない。寿命による制約、才能による制限、変え難いこれら理不尽を克服し、不完全に塗れたこの肉体を絶対的なものにする。そうすれば、私も……」


 その目に映るのは、かつて彼も夢にまで見たもの……。大切な家族と食卓を囲む幸せな風景だった。


 しかし、その過程で背負うには大き過ぎる誤ちも同時に犯してしまっていた。自分の両手は既に、綺麗事を語るには相応しくないほどに真っ赤な血で染まっていたのだから。


「私はもう、同じ過ちは犯さない。今度こそ、私は手にするのだ。あの子の幸せも、そして自分にとっての幸せも両方な。いつか終わってしまう理不尽極まれる人生に終止符を打ち、いつまでも幸せな夢を見続けるためにもまずは……」


 彼は早速、自分の部下たちに向けた指令書を暗号文を用いて作成し始める。走らせたペン先から生み出される文字列を野心で爛々と燃えた瞳に映しながら、脳内では淡々と次なる作戦を練り続けた。


 一方、少し時は巻き戻って学園の入り口にいたのは郵便配達員の格好をした人物だ。彼? あるいは彼女? は唾付きの帽子で目元を隠しながら警備員に書類を手渡した。


「こちら、お届け物になります。学園長さんにお渡しください」


「ああ、アマゾネスの……。いつもご苦労様です。最近は、郵便も発達してすぐに手紙が届くようになりましたね」


「ええ。それが私たちの仕事の一つでもありますから。では、私はこれで失礼いたします」


「仕事、頑張ってください」


「お互いに、ね」


 彼女は手荷物を警備員に渡し終えると、次の配達場所は向かうべく学園を離れて歩き出す。その道中、通信用アーティファクトとなっている右耳のインカムに手を添えて魔力を流す。


「ルナ様は伝達。こちら、モブA。学園への潜入任務に異常なし。例の配達物は予定通り届けました。これから、彼らの動向を探りつつ魔王様の指示を仰ぎます。定時報告、終了」


 名も知れない郵便配達員、その正体は誰も彼もが素顔も素性も知らない物語の端役にすら登場するか怪しいモブA……。颯爽と現れては、ふと本のページを繰ると忘れられてしまうようなアヤフヤな存在……。


 しかし、それでいい。彼、または彼女の存在意義は遠大な計画が速やかに進行できるような潤滑油であることで、それ以上の意味なんて要らないのだ。


「さて、帰ったら何しようかな」


 その答えを持ち合わせているのは、彼、または彼女を置いて他にいない。モブAのことなど、この世界という名の壮大な物語を描く神ですらも知る必要がないのだから。

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