第30話 魔王イグニス、降臨


 ここは王都の地下にある魔導叡智研究会の巨大な研究施設の一つ。その最奥の部屋にユリティアとアリスティアを収納した魔力タンクは存在した。


 鋼で作られた筒状のそれは、上面がガラス張りになっているお陰で中の様子は丸分かりだ。二人は紫色の液体に浸され、強制的にゴールドスリープさせられている。


 タンクから生えるように伸ばされた何本ものコードは部屋の中央のモニターに繋がれ、絶えず彼女らの魔力を抽出、解析し続けている。


 その部屋の主人たる彼は、愛おしそうに二つの魔力タンクを順番に撫でると恋した相手を思い浮かべるようにうっとりとした表情をしていた。


「素晴らしい……。まさか、こんなにも早く二人の王女を手中に収められるとは……」


 男は三十歳手前くらいの美丈夫、ポニーテールにした手入れの行き届いた金髪を持ち、この研究所を任された知的さの象徴たる眼鏡をクイッと持ち上げる。


 しかし、彼が羽織っているのは研究員らしい白衣ではなく魔法使いのようなローブだ。下にはアマゾネスが出しているブランドの一つ『洋服の赤山』で特注に作ったワイシャツとパンツ、青と白の二色を斜めにサンドしたネクタイを着用している。


「やはり、イケてるナイスガイには、ナイスな服がお似合いだな」


 彼はわざとらしくローブをはためかせ、自身の上機嫌さを表した。今の彼は恐らく、人生における幸せの絶頂へと至っていることだろう。


 何せ、彼は今回の一件で魔導叡智研究会の目的に大きく近づくほどの成果を上げたのだ。出世街道真っしぐら、つい有頂天になってしまうというものだ。


「しかし、あれは意外だったな……。まさか、ユリティア王女如きが私の美しい顔に傷をつけるなんて……」


 顔を歪めた際にズキリと痛む頬の感触をかき消すように拳を握り締め、彼女を連れてきた時のことを思い出す。


 二日前、ユリティアは手紙を受け取った後にとある裏通りへとやってきた。そこは地図に示された待ち合わせの場所であったが、見たところは誰もいない単なる寂れた薄暗い路地だった。


「いるのは分かっています。ずっと、私を監視していたのでしょう?」


 彼女の問いかけに答える代わりに黒いフードを羽織った何者か複数人、彼女を囲うように現れた。そして、その中で一人だけフードをしていない人物が前へと進み出た。


「やあ、久しぶりだね。王女殿下」


「あなたは……。ケビン先生。ということは、これらは全てあなたが手引きしたのですね?」


 ユリティアの問いに対して、彼は口元に大きな三日月を浮かべることで先に答えとした。その言動には些か、どこか狂気めいた影が潜んでいるような印象だ。


「その通り。学園の教師という立場なら、あなたからも、そして周りからも怪しまれずに監視できる。時が近づいてきたので、学園を去る準備をしている間は別の者に監視は任せていた。彼は今頃、次の計画に向けて動き始めているだろう」


「そうですか……。それで、私を連れていくのですね?」


「ああ。君の存在は我々の計画を遂行する上で非常に重要な立ち位置にある。それに、君は魔族への適性が高いことも採取した血から分かっている」


「血を?」


「学園に入学する際や定期健診のときには健康診断を受けるだろう? その時にちょくちょく、血のサンプルを回収させてもらっていたんだよ。その成分を徹底的に解析して、王家が魔族の血と親和性が高いことが分かった。特に君は、その気が色濃く表れている。つまり、君は半魔というわけだ」


「半魔……。混じっているのですか? 私には?」


「その通りだ。そして、これが王家で代々優秀な魔力持ちが生まれる理由でもある。アリスティアの場合は、少しばかり魔が多く混じっているせいで制御が上手くできていないようだけどね」


「あなた……。妹の血にまで手を出したのですか? この変態悪魔教師!」


「そこまで言われる筋合いはないよ、君たちの貧相な体には毛ほども興味がない。我々が目指すは強く、逞しく、そして長生きできるハイブリットの人類! 君がもしもそのステージまで来れたのなら、改めて値踏みをしてあげよう」


「いい加減なことを、言うな!」


「おお、怖い。妹に手を出したら姉から手痛い報復があるってことかな?」


 怒りと憎しみで表情を歪ませた王女らしからぬ王女の姿を笑いながら、彼はこほんとわざとらしく咳ばらいをして気持ち良いご高説を続ける。


「半魔……。この場合、魔族の血が色濃く混じっている人間のことだが……。彼らは特性上、年齢を重ねるごとに魔力が上がるとされている。溢れ出た魔力は制御できなければ体の構造を強制的に書き換え、魔力を操ることができる器官を生み出す。魔族に人間らしからぬ特徴が表れているのは、膨大な魔力を制御するべく適応した弊害というわけで……。元は同じ人間なんだ。そして、君も少なからずそうなる。そのメカニズムを解明するのも、我々の仕事というわけだ」


「御託は結構。妹を……。大事な、大事なアリスティアをどこにやった!」


「君が知る必要はない。次に再会するときは、お互い人間じゃないかもしれないからね。最も、彼女が君のことをちゃんと覚えているかも、そもそも君が彼女をちゃんと認識できるかも分からないんだからね」


「殺す!!」


 ユリティアが剣を抜いたのと、彼が仲間に号令を出したのはほぼ同時だった。全方位から魔力の込められた斬撃が繰り出され、彼女は為す術なく倒されるはずだった。


 ユリティアは一矢でも報いるべく対象を一人に絞って剣を振るう。しかし残念なことに、その前にユリティアの背後から迫ってきた剣が彼女の体を貫くのが先だった。


「ぐあぁぁぁ!?」


 女性にしては、かなり低い悲鳴が閑散とした路地に響いた。鮮血を撒き散らしながら倒れたのはユリティアではなく、研究会の仲間の一人だったのだ。


「……今のは」


「私だって、成長する。この程度で、負けない!」


 ユリティアの怒りに任せて振るった鋭い一撃は、ケビンの頬を一皮分だけ傷つけるに至った。直前、彼が首を横にずらしていなければ即死コースだっただろう。


「……死中に活を求めるか。だが、たかだか羽虫如きが!」


「くっ!?」


 彼の振るった剣がユリティアの剣の刃先を零れさせた。彼の剣撃があまりに威力が強すぎて、受け止めても衝撃を殺しきれなかったようだ。


「調子に乗るなよ、実験動物が。貴様は我々に研究され、新たな時代の礎となればそれで良い。踏み台が言葉を喋るなど、おこがましいにもほどがある!」


「黙りなさい!」


「黙るのは貴様の方だ! ユリティア!」


 ケビンの殺気を乗せた鮮やかな剣術は彼女を一撃でノックアウトさせてしまった。魔力の軌跡が一瞬虚空に残るほどの魔力出力、彼は間違いなくユリティアより圧倒的に強い存在だったのだ。


「……ちっ。未熟な小娘如きに傷をつけられるとは……。だが、モルモットが一匹手に入ったから良しとするか……。お前たち! こいつらを研究所まで運べ! すぐにでも実験を始めるぞ!」


 ケビンは生き残った部下に命令を出すと、先ほど逝った仲間の死体を不機嫌そうに蹴り飛ばして自分のアジトへと戻った。


「死体や血痕の処理は掃除屋に任せてあるからな。いつも通り、我々の犯行だという証拠はない。今頃、王都の騎士団どもは王女らの行方不明を知って慌てふためいている頃だろうが、奴らがどう足掻こうがこの場所は見つけられん」


 ケビンは騎士団が必死で王女らを捜索する姿を想像しては、醜悪な笑みを浮かべて楽しんでいた。


 この研究所は王都の地下に極秘裏に造られたもので、ここへの侵入経路を知るのは極一部の関係者のみ。その上、情報撹乱のための手管は既に巡らせてある、騎士団には絶対にここを突き止められないのだ。


「王国の馬鹿どもは、未だに自分たちこそが支配者だと思い込んでいる。魔族たちを世界から排斥し安寧を手にしてから、ぬるま湯の中で胡座をかき過ぎたのだ。だが、我々の牙はもう王国の奥深くまで捩じ込まれている。真なる世界の支配者は、我々魔導叡智研究会こそ相応しい」


 ああ、なんて順調なのだろうか。これほどまでに計画が上手く行き過ぎると、ここから転んだときのことが恐ろしくて震えが止まらなくなる。


「もうすぐ……。もうすぐ私は研究会においてアウターの地位を手に入れられる。そうすれば、更なる富と叡智がこの手に……。そうすれば……。はは、はははははははははははは!」


 高らかな笑い声が研究室に響く。富と叡智が手に入れば、更なる地位と名誉を手にするだけではない、研究会での地位も更に向上できる。


「いずれは、研究会でトップクラスの研究員になる……。そのための架け橋となってくれた、動物には感謝……。……いや、実験動物に感謝などするまでもない。私の礎になることは当然の義務だったのだ! さて、ぬか喜びもこのくらいにして次の実験に……」


 ようやく喜びの余韻から抜け出しかけたその時、彼は一瞬違和感を覚えた。ほんの僅か、足の裏をくすぐる程度の僅かな揺れが起きた気がしたのだ。


「こんな時に地震か? だが、地脈の観測結果から推察して今日は地震は限りなく起きにくいはず……。データが間違っていたか?」


 どんなに些細なズレも、場合によっては致命的なミスに繋がることもある。警戒した彼は念の為、モニターを操作して地脈の動きを再度シミュレーションしようと試みる。


 ドオオオオン!


 今度は建物全体を大きく揺らすほどの巨大地震が襲いかかってきた。支えがなければ立っているのも厳しいほど揺れは強く、脳を揺さぶられながらケビンもその場に倒れ込んでしまう。


「くそっ!? やはり、気のせいではなかったか! 一度実験を中断し……」


 ウィィィン! ウィィィン!


「今度は何だ!?」


 今度はモニターが赤く点滅し始めると同時に、低くけたたましい警報音が鳴り響く。ケビンは耳元の奥がキーンとなるほど煩い音に顔を顰めて耐えながら、パネルを操作して警報音の元を探る。


「侵入者……? 一体、誰が……。だが、ここまで来るのには構成員百人以上との交戦と幾重にも仕掛けたゲートを潜り抜ける必要がある……。そう簡単には……」


『第一ゲート大破』


 無機質なアナウンスが鳴り響く。かなり遠くの方で、何やら大きな破壊音が僅かな振動と共にやってくる。


「まさか、この短時間でか!? だが、第二、第三のゲートが……」


『第二ゲート大破、第三ゲート大破。職員は速やかに退避してください。職員は速やかに退避してください』


 破壊音は徐々に大きくなり、下から突き上げるような巨大な揺れが迫ってくる。まるで巨大な怪獣が進撃してくるかのような災害の発生に、ケビンの内側から得体の知れない恐怖が込み上げてくる。


「……まさか。ということは……」


 ケビンは腰に下げた一振りの剣を構える。彼が剣を向ける先は鋼鉄の扉、本来なら暗証番号と声門、虹彩の三段階認証を突破しなければ開かない。


 無理に開けようとしても、厚さ一メートル以上もある上に通常の攻撃ではびくともしない。更に、対侵入者用の魔力レーザー光線によるトラップまで用意してある。


 普通では突破するのは無理だ、来るはずがない。そんな僅かな希望に縋っていたが、次の瞬間に期待はあっさりと打ち砕かれた。


 ドゴオオオオオオン!


「何が、起きたんだ……」


 実際に目の前で起きたことを、彼は聡明な頭脳で理解することができなかった。巨大な鋼鉄の扉はあっさりと蒸発し、破片の一つすら残らなかったのだ。


 まるで強者に道を譲るように空けられた巨大な風穴の奥から、それはゆったりとした歩調でケビンの研究室に侵入してきた。


 白と黒の混じったメッシュの髪、黒い生地と金色の線だけで構成された軍服、そして覇王に相応しい黒マントを靡かせる。素顔は奇妙な仮面に隠れて分からないが、奥から覗かせる赤色の双眸と視線を交わすだけで絶対に関わってはいけない存在なのだと強制的に理解させられてしまう。


「何なんだ……。お前は、何なんだ!」


「雑魚が吠えるな、耳が穢れる」


 彼は一定のリズムで歩み続け、ケビンの三メートル手前で止まった。そして、手にしていた黒剣をケビンに向けると、大瀑布から降り注ぐレベルの殺気を集中的に浴びせた。


 気を抜いたら手から剣が滑り落ちる……。今まで体感したこともない未曾有の恐怖に侵され、もはや口を開く余裕などケビンにはなかった。


「我が名は、魔王イグニス。魔族再興の篝火にして、世界最強の存在だ」


 今この瞬間、凡そ千年ぶりに魔王復活は為されたのだった。

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