第29話 兄と妹

 ユイナが兄の存在を意識したのは、まだ物心もついていない頃だった。


 目の前に現れた光源を妖精か何かと勘違いするほどに、彼は体の内側から妖しい黒色の魔力を発していた。ユイナはいつもその光源がやって来ると、赤子としての純粋な興味から手を伸ばしていた。


『ユイナ、僕におねだりしても何も出て来ないよ。ミルクなら母様に、おやつとか玩具なら父様におねだりしないと』


『きゃっ、きゃっ』


『う~ん、仕方ないな……。ちょっとだけだよ? 皆には、しーっだからね』


 彼の手から紡がれた黒い糸は蝶や花、何かの建物になったりと変幻自在だったことをよく覚えている。ユイナが魔力に魅入られるようになったのは、偏に彼の存在が居たからだろう。


 自分も、彼みたいなことをやってみたい。それが彼女の内に秘めていた、魔力という一つの大きな才能を目覚めさせた。


 ユイナが魔力測定の儀を終えてから二ヶ月ほど経った頃、彼女は自分の兄に自分も同じことが出来るようになったことを自慢したかった。しかし、屋敷のどこを探しても兄の姿は見当たらず、一体どこにいるのか見当もつかなかった。


『兄様? どこ?』


 しかし、諦めることができなかったユイナは彼の魔力を追うというアイデアを思いつく。これは過去に、自分が家の中を徘徊していたときに兄が言っていた台詞を参考にしたものだった。


『魔力の痕跡を辿れば、家のどこに居ても見つけられる。だから、安心して家の中を探索していいよ。母様は怒るだろうけれど、怒られ役くらいはしてあげるから』


 自分の眼に魔力を送り込み、周囲の魔力と馴染ませることで魔力をより鮮明に可視化することができるようになる。これを自然に行うには天性の才覚が要ることになるが、意識的にやろうとすれば更に多くの魔力が必要だ。


 ユイナは生まれつき持っていた膨大な魔力のほんの一部を使って魔力の流れを可視化することに成功すると、彼の赴いた先へと向かった。


『ここは……、うらにわ?』


 そこには、最近になって兄が家に招き入れた奴隷らしきエルフの娘と兄が立っていた。親し気に何かを話しているようだったが、何も聴こえない。


 魔力を可視化した要領で聴覚を強化してみたが、周囲の風音が不自然に大きく何も聞き取ることができなかった。魔力の流れをよく注視してみると、彼らの周囲だけ魔力が台風のように渦巻いていて妨害されていることが分かった。


『なに、はなしてるの?』


 胸の中が凄く、もやもやしてならなかった。正体不明の不快感に頭の中をかき乱され、自然と自分の爪が口元まで運ばれていた。


 そして、向こうは話が終わったらしく二人でどこかへ行こうとしていたが……。その際、彼の視線が自分の方へ向いたことを見逃さなかった。


『きづかれてた……。そういう、こと……』


 兄が自分に隠れて何をしているのか? ユイナは気になって何度か後を付けたが、その度に巻かれては行方も悟らせてはくれなくなった。


 魔力痕跡を追うという手段も、体から魔力が垂れ流されなくなれば追跡は不可能になる。彼の技術上達は自分よりも遥かに早く、そしてっとてつもない高みにいるのは明白なことだった。


 そんな最中、ユイナには勇者になるための教育と称して教会で勉学と剣術教育を受ける話が舞い込んできた。当初、この話を受けることにあまり積極的ではなかったユイナだったが、数日後の兄の姿を見て考えが変わることになる。


 トイレへ行くために起きた時のこと、庭で何か物音がしたので向かってみると……。


 そこには、月光に照らされた兄が一人で剣を振っている姿を見た。白銀の光を吸い込んだ黒い剣が描く円の軌跡は芸術的な美しさを鮮やかに表現しており、剣先より表現される技術そのものが一種の作品のようだった。


 兄が何を考えて剣を振るっているのか、言葉も無ければ表情も曖昧で心の裏側まで読み取ることは叶わない。しかし、少なくとも彼が見ているのは剣先を向ける相手の顔ではないことが分かった。


 あの月よりも遠くにある何か……。それに向けてメッセージを送るかのように絵を描き続ける彼の姿に、ユイナは強く心を打たれ胸を高鳴らせた。


『私も、あそこに行きたい……。あの月よりも遠くに……』


 ユイナは消極的だった教会行きを決断し、そこから果てしない研鑽の旅が始まった。


 長く、辛く、そして厳しい修行を経て久しぶりに兄を再会したときの高揚感は非常に高く、思わず彼の髪の毛をむしってしまうほどに彼のことが愛おしくなっていた。


 だが、彼女の剣はあの月にすらも届かなかった。ルナと名乗った魔王軍の剣士は羽ばたき始めていた自分の翼をいとも簡単に手折り、そして地面へとねじ伏せた。


 もっと強くならなければ……。痛みや悲しみ、絶望と共に与えられた剣極の傷を魂の奥底まで刻みつけながら、ずっと遠くを見据える兄が自分の姿を感じて振り返ってくれるその日まで鍛錬を続けることを改めて誓ったのだった。

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