第28話 ルナ VS ユイナ

 勇者候補、ユイナ・ヨワイネ。彼女が最初の魔力測定を受けた時の色は黒、この世界でも最高峰の魔力量に到達し得る才能を秘めた勇者の申し子だ。


 既に魔力だけなら三歳で王国に仕える騎士団所属の兵士を軽々と凌駕するが、まだまだ精神が幼過ぎたこともあり教会にて勇者とは何たるやということを学ぶ。


 五歳からは専属の家庭教師を付けることで技術面の強化に努めるも、剣の才にも恵まれたことで相手を変えては様々な流派を学び取りながら王国流の剣術を自分なりにアレンジし最適化していく。


 八歳にして、彼女は剣聖の弟子となる。魔王の存在していた時代から生きながらえていた幹部クラスの魔族数名を単独にて討伐した伝説を持つ、人にして人ならざる彼女の下で剣や魔力の扱い方を四年間みっちりと。


 そして、ユイナ自身もまた十二歳になる前に魔物の大群凡そ一万匹を三日三晩休まずに倒し切るという偉業を、異国の地で成している。これは黒色の魔法剣術士を百人集めたとしても決して達成することは叶わない、まさに異形の所業であった。


 そんな人間離れした彼女は今、そんな伝説に等しい所業すらも蹂躙するが如く怪物を目の前に己の信念と誇りをかけて剣を振るっていた。


 ……。


 一合、また一合と互いの魔力がぶつかり合う度に大地を唸らせ、空気を震撼させる。ルナとユイナ、二人の剣士は互いに一歩も引かず、拮抗した戦況を保っていた。


 しかし、それを変えようと先に動いたのはユイナだった。彼女は体を回転させながら勢いをつけ、そこに更なる魔力を乗せてルナに叩きつけた。


 ドカンと弾けたのは、ルナの頭ではなく足元の地面だった。ルナはユイナの動きを読み切り、向こうから歩いて来た人に道を譲るかのように半歩だけ横へと移動して躱したのだ。


 ユイナの目が見開かれると、彼女の剣が空を斬る。すると、その軌道上に存在した向こうの建物まで一刀両断してしまった。


 しかし、標的の首は未だに繋がったままだ。ルナはまたしても、彼女の攻撃を上半身を後ろに少し傾けることで斬撃を躱していたのだ。


「まともに打ち合え!」


「必要ないわ。あなたの動きは、既に見切っているもの」


「戯言を!」


 ユイナは大きく飛び退くと、今度は魔力を足先に集めて近くの建物に向けて跳躍する。重力に逆らい壁に自身をめり込ませると、そこから更に別の建物へと跳躍、そこから地面に跳躍し更に建物へ……。


「スピードが上がっている……。足をバネにして、速度を上げているのね」


 やがて、跳躍に跳躍を継ぐことで蓄えられた運動エネルギーを、ユイナは一気に解放しルナに襲い掛かる。恐らく、彼女の速度は宇宙に打ち上げられるロケット以上のものだろう。


 彼女のトップスピードで一直線に、最短距離で詰め寄る。何も予備動作のない相手が躱すことなど本来は不可能、そもそも動きを捉えることすらできないだろう。


 しかし、ルナはそれを可能にしたどころか反撃までしてみせた。彼女は瞬時にユイナの軌道から外れて真横から狙える位置に移動すると、彼女の脇腹を剣の腹でフルスイングしたのだ。


 ユイナの体は無造作に建物へと叩きつけられ、壁を貫通し屋内に瓦礫と一緒になって放り出される。


「がはっ……!」


 全身の骨が軋む音が建物の崩壊音にかき消され、遅れて体を引き裂くような痛みがユイナに襲い掛かる。肺の中の空気が強制的に追い出され、唾液や血液と一緒に外部へと吐き出された。


「でも、こんなの……。兄様がいないことに比べたら……、どうってことない!」


 ユイナは地面が抉れるほど強い力で拳を握り締めると、即座に立ち上がって傍にあった巨大な瓦礫を掴んでルナに向かって投げつける。当然、ルナはその瓦礫を黒剣で切断するが、ユイナは何の意味もなく瓦礫を投げつけたわけではない。


 ユイナは瓦礫に隠れながらルナに迫ることで不意打ちを狙ったのだ。華奢な体からは到底想像もつかないような怪力の一撃を横薙ぎに繰り出す。


 だが、そんな小細工がルナに通用するわけもなかった。彼女は身を低くして彼女の剛撃をいとも簡単に避けると、今度は腹を穿つような鋭い蹴りをユイナの伽藍洞になった鳩尾に入れた。


 小さな体がボールのようにバウンドしながら馬車道を転がる。体のあちこちからの出血が酷く、戦闘の範囲内になっている街というキャンバスには鈍い赤色がそこら中に彩られていた。


 吐き気を催し、それを口の中から排出する。またしても、無機質で飾り気のない地面を艶やかな真っ赤な色に染め上げた。


 寝起きのとき、ぐっすりと眠れなかった日のように視界が揺らぐ。夢か現実か、頭の中に靄がかかったかのように思考がまとまらない。しかし、目にしている赤色のべっとりとした感触だけがこれを現実だと強制的に理解させる。


 辛うじて、顔を上げるという動作を実行する。本当に顔を上げているのかも分からない。


 ただ、目の前に怪物が迫っていることが本能的に感じ取れた。死へと着実に近づく足音が、張り付いた地面を通して伝わって来る。


 未だに彼女、ルナは本気を出してなんていない。さっきまで互角に渡り合っているかのように感じていたのは、単に自分の実力を推し量るためにわざと技量を合わせていただけなのだ。


(私は、剣聖とすら互角に渡り合った……。いや、それすら超えられるように修行を積んできた……。なのに、それでも追いつけないなんて……。地力が違い過ぎる……)


 戦闘の余波により、傍で建物が倒壊する。まるで、自分の積み上げてきた研鑽が無意味だと嘲笑われているかのように圧倒的だった自信が瓦解していく。


 それほど、ルナは理不尽なまでに強かった。この状況で戦意を喪失しないユイナの方が、実は褒められるべきなのだろう。


 足音が止まった。彼女が、死が目の前までやってきたのだ。


「まだ続ける? 私は付き合うわよ。そもそも、私の目的は足止めであって、あなたを殺すことじゃない。それは彼が望まない結果だもの」


「……彼?」


「ええ。彼はあなたが勇者候補として自分の目の前に立ち塞がることを望んでいる。だから、あなたが立てないのならそれで終わり」


「……舐めやがって」


 足先、指先まで魔力を流し力を加える。鉛のように重くなった体を何とか持ち上げ、肺から空気を吐き出しながら腹筋に力を込める。


 やっとの思いで立ち上がり、ルナから数歩ばかり距離を取る。少しでも気を抜いたら気絶しそうだったが、気絶しても戦い続ける覚悟で剣を握り締める。


「私は、サレンダーなんてしない。最後まで戦う」


「そう。でも、あなたの心は折れかかってる。もはや、勇者候補なんて大きな態度は取れないんじゃない? いっそ、辞めてしまった方が気が楽よ」


 何と耳に優しい甘い言葉だ。だが、ユイナは「そんなのあり得ない」と一蹴し、全身を駆ける激痛に耐えながら奥歯を強く噛み締める。


「……確かに、私は勇者候補に選ばれたことで調子に乗ってたかもしれない。親から期待されて、敬愛している兄様からも応援してもらって、いずれは勇者になってこの国に貢献するのが当たり前だと思ってた。でも、それならこれは良い機会」


 ユイナは剣先をルナに向けて、二本の足を使い全力で体を支える。戦いが始まったときと比べたら剣先はブレブレ、呼吸をする度に全身の骨が軋んで仕方ないが肺に溜められるほど空気を入れておくことも最早できはしない。


 このポーズを保っているだけでも、かなりの負担になっているはずだ。いっそ剣を降ろして休憩を挟みつつ、少しでもルナに向けて剣を振るった方が良い。


 だから、これは彼女なりの格好つけだ。ここにはいない兄に情けない姿を晒すくらいなら、潔く負けてやろうという彼女の覚悟の表れだった。


「……見せてよ、あなたの剣技。その奥義の一端だけでも……」


「どうして、そんなことをする必要があるの?」


「その誰かさんが言う強者になるため。私が一回、ここで自分の心を折ってやろうって言ってるの。悔しいけど、今の私じゃあなたには勝つことはできない。でも、ただで負けるわけにもいかないの。負けを認める代償としては、安い物じゃないの?」


 ルナは暫くは体を微動だにしなかったが、やがて黒剣を水平に構えた。それの意味することは、「黙ってやられてみろ」という意思表示だった。


「……言われなくても。でも、勘違いしないで。私は負けず嫌いだ。どんな理不尽にも、決して屈しない。最後まで、全力で抵抗する!」


 ユイナはフラフラな足に全ての力を込めて飛び出し、相手を穿つための最後の一撃を全力で放った。


 対するルナは、ユイナの剣が届く直前で動き出し彼女とすれ違う。


「やっぱり、彼にそっくり。そこそこ楽しかったわ」


 ユイナの剣は、ルナに届かなかった。代わりにユイナは今の一瞬で剣をへし折られ、更に自身の体に二回分の斬撃を斜めにクロスする形で刻まれることになった。


 あの一瞬、ユイナはしっかりとルナの剣の軌道を捉えていた。この戦いを経験していなかったら、恐らく目で追うことすらできなかったルナの斬撃は一度で三度繰り出されていた。


(まさか、これほどまで違うなんて……。私は、弱い……)


 ユイナは出血多量で意識を失い、冷たい地面に作った血だまりへ体を沈めることになった。彼女の勇者候補としての絶対的な自信は、彼女の砕かれた剣と一緒に跡形もなく崩れ去ったのだ。


 ルナの方は彼女を殺さないようできる限りギリギリのラインで刻んだはずだったが……、少しばかり怪我の度合いが深刻だった。なので、ルナは自分の魔力で最低限の治療を施しつつも、彼女の身体を観察し先の戦いを忘れないように脳内で振り返っていた。


「……これが勇者候補。確かに、これは魔王軍にとっては脅威に成り得るわね。あなたが彼の妹君じゃなければ、ここで殺しておくべき存在なのは考えるまでもない。でも、それでも生かしておくわ。魔王の計画に、あなたの存在は必要不可欠な存在だもの」


 ルナは既に、ユイナの利用価値について考えを幾つか見出していた。しかし、きっと彼ならルナ以上に妹の活用方法を思いついているだろうと彼女は考えているので、自分の浅ましい策略など児戯に等しいとも思っているが。


「せいぜい踊りなさい、愛しい彼の手の平の上で。私の知略も、剣術も、魔力量も、到底彼の足元に及ばない。そんな私に踊らされるようじゃダメ。期待しているわよ、未来の勇者……。ユイナ・ヨワイネ」


 ユイナの治療を完全に終えたルナは自分の居たという痕跡を残すことなく、その場を後にした。その後、騒ぎを聞きつけてやってきた王国騎士団がユイナを救助、一命を取り留めた。


 魔力の余波で倒れていた人たちも次々と目を覚ましたが、何と奇跡的に犠牲者はゼロだったという。後にそれを知ったユイナは、ルナとの圧倒的な実力差を改めて魂に刻み込むことになるのだった。

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