第五章 魔王とは、理不尽の権化である
第26話 久しぶりだね
騎士団の追手を上手くあしらい、誰にも見つからないようにひっそりと寮の部屋に戻ってきた。そろそろ、十八時になるから僕が頼んだお使いの人が来る頃だと思う。
窓を全開にしてから寮のベッドの縁に腰掛けて、机の上に置かれた時計のチクタクという時を刻む音を聞きながら待つこと数分。風で靡くカーテンの裾が大空を飛ぶ鳥のように舞い上がると、風で運ばれてきた魔法の妖精のように彼女はそこに現れた。
銀色の風を長髪に宿らせた、高身長でスタイル抜群のエルフの娘。僕にとっては最古の友人で、一番強い魔王の右腕でもある存在。
久しぶりの再会が嬉しくて、僕は口角が上がるのを抑えられそうになかった。
「やあ、ルナ。久しぶり」
「ええ、久しぶりね。イグニス。貴方から知らせを受けて、急いで仕事を片付けてやってきたの」
「仕事は順調そうみたいだね。やけに機嫌が良さそうだけど、何か良いことがあった?」
「貴方が私を呼んでくれたこと。それが何より嬉しいわ。せっかくお誘いを出したのに、全然連絡を寄越さないんだから。もう忘れられたのかと思ったわ」
「そんなことないよ。ちょうど、僕も会いたいって思ってたから」
「もしかして、貴方が機嫌が良いのも私に会えたからだったりするのかしら?」
「まさに、その通りだよ。会えて凄く嬉しい」
「相変わらず、褒めるのが上手ね」
彼女は今にもスキップしそうな勢いで窓枠から降りて部屋に入ってくる。今日の彼女はとても格好良いスーツ姿で、スラッとした体のラインがハッキリと現れている。
このモデルみたいなスタイルを保っているのは、やはり僕が教えたトレーニングを今も欠かさず行なっているからだろうか。しかし、胸の大きさやお尻の膨らみ具合は遺伝的なものもあるだろうし、あのボロ雑巾みたいな扱いだったエルフがこんな上物に化けるなんて誰も予想できなかっただろう。
「あら、貴方も胸とかお尻に視線を向けるのね。ひょっとして、私でえっちな気分になったりするの?」
「まさか。胸やお尻に視線が行くのは、生物として繁殖能力の高そうな雌を判断するための本能ってだけだ。君は僕の素晴らしい片腕……いや、もはや心臓と言っても良い。けれど、だからこそ欲情なんてしないよ」
「つれない人。貴方が望むなら、私はいつでもこの体を差し出しても良いのに」
「そういうのは間に合ってるよ。君は魅力的だとは思うけどね」
「そう……」
ルナは自然過ぎる上品なモデルウォークでこちらに迫ってくる。こんなに綺麗なラインを保ちながら歩けるのは体幹や太もも、脹脛辺りの筋肉が発達している証拠だ。本当に欠かさず鍛錬していることが分かって、僕はとっても鼻が高い。
彼女は僕の目の前までやってくると、その細い左腕を伸ばして嫋やかな左手を僕の胸に当てた。そして、中指で体の中心線をなぞるように首元まで移動させ、僕を手に乗せた最小限の力と重心移動で優しくベッドに押し倒した。
「どういうつもり? 僕はしないって言ってるのに」
「まさか、本当にするわけじゃないわ。ちょっとした戯れよ」
次に彼女が手を伸ばしたのは、僕の唇だ。とても愛おしそうに月の光を宿した綺麗な瞳が僕を見下ろし、それがまた本来の優しさとは裏腹な情熱的な視線が降り注いだ。
瞳の色や髪の色、時に容姿までも魔力で変質させることは可能だ。彼女と出会った時はそんな色はしてなかったと思うけど……。
「瞳の色、変えたんだ」
「気づいた? 貴方が私のことを月だと言ったから、月に一番近そうな色合いにしてみたの。幻想的でしょう?」
「それ、維持するの疲れない?」
「貴方に最高の私を見てもらえるなら、別に大した労力じゃないわ。それより、貴方は……。王女様のガールフレンドができたって本当? どこまでしたの? キスは済んだ?」
「付き合ってはいるけど、そこまではしてない。せいぜい、手を繋いだくらいかな。僕が彼女にして欲しいことを聞いたら、そう行動で示された」
「少し、嫉妬しちゃうわね。私はこんなに近くにいるのに、貴方に口付けの一つもできないなんて」
「じゃあ、そうだな……」
僕はルナの唇に軽く自分の唇を押し当てた。ずっと側にいた、家族同然の安心する匂いと少しだけ大人びた香水の匂いが鼻腔の奥で混じり合う。
「フレンチキスで悪いけど、これで勘弁してよ。僕のはファーストキス。これは、君が今まで頑張ったご褒美ってことで」
「……ずるいわ、貴方。さっきはしないって言ったのに」
「恋愛は駆け引きだって、何処かの本に書いてあった。僕は残念ながら興味ないけれど、そういうお遊びも偶には悪くない」
「ありがとう。お陰で、これからの仕事にやる気を出せるわ」
「言っておくけど、ここで起こったことは内緒だよ? 他の人に話したら面倒になりそうだし。僕と君は、キスはしてない。いいね?」
「ええ、貴方がそう言うなら。私とイグニスは、キスはしてない。ほんの少し、転んだはずみで唇が触れただけ」
「……唇も触れてないってことで」
「ふふ、貴方って意外と照れ屋さんよね。分かったわ。単に少し、戯れが過ぎただけで何もなかった。これで良い?」
「そうしておいて。そろそろ、本題に入ろう」
「そうね、名残惜しいけれど。そろそろ、本題に入りましょう」
彼女は僕の体から降りると、側にあった椅子に腰掛けた。ここからは魔王としての仕事の時間、さっきまでの茶番をするようなおちゃらけた雰囲気はもう何処にもない。
「さて、例の作戦だけれど今は順調に進んでいるわ」
「例の作戦……」
ヤバい、早速本題に入ったのに冒頭からサッパリ分からない。ゲームの本編を進めるのに操作方法やストーリーが分からない状態でデータをロードしたみたいな気分になる。
このままでは話していても会話が成立しなさそうだけど、かと言って僕が分からないから教えて欲しいと言うのも違う。ここは、合理的かつ自然な流れで作戦の内容を説明させよう。
「例の作戦に、もしや穴がないとも限らない。今一度、作戦の最初からこれまでの行動を説明せよ。適宜、修正を入れる」
「貴方も心配性なのね。でも、上司に確認するのは確かに大事なこと。いいわ、作戦の始まりから本段階までの報告をさせてもらいましょう」
てっきり、手帳か何かを取り出すのかと思ったけれど、彼女は顎に手を添えて頭の中の本ページでも繰るように目を閉じる。それから数秒間の時が過ぎ、目を見開くと同時に作戦の内容を話し始めた。
「事の発端は四年前、私たちが王都へと拠点を移した頃から始まるわ」
え、四年も前の話だっけ? えーっと、色々なことを適当に言い過ぎて、何が何だか分からないのだけれど……。
あー、そう言えば経済関係の知識を適当に吹き込んで、これで王都の流通を支配しといてって話だったっけ。どうしよう、同時並行で作戦を進めるってことで色々言ったけれど、肝心の僕は今どんな作戦が動いてるのか分からない。
これって、あれだよね。風邪とかでちょっと学校休んでる間に皆の中の流行りとか話題が変わっててついていけなくなるってやつ。流石に学園生活に入り浸り過ぎたかな、もう少し魔王軍の皆とも交流を持たなきゃだ。
「大丈夫? 急に顔つきが変わったけれど、何か分からないことがあったかしら?」
「いや、問題ない。様々な計画を練っているからな、思い出すのに時間がかかっただけだ」
「やはり、私たちの知謀もたかが知れてるわね。貴方に比べたら、まだまだ幼稚だわ」
「そんなことないさ。ルナは、よくやってくれている」
「ありがとう。そう言ってくれると、素直に嬉しいわ」
「続けてくれ」
「ええ、勿論。王都へと拠点を移した私たちは、マルイという商会を立ち上げて王都の流通を手中に収めつつ、水面下で魔導叡智研究会なる存在の調査を始めたわ。そして分かったのは、彼らが王国に留まらず、世界中に深い根を張る巨大な組織だということよ。ここ、シグルス王国でも表と裏の両方を支配していると言っても過言ではないわ」
魔導叡智研究会……。魔族たちを搾取、研究して魔族転生の薬品を開発した外道の巣窟。
後に分かったことだけれど、僕に襲いかかってきた黒い鱗に覆われた魔物はディアを攫っていた頭目だった者らしい。ああなってまで強さを追い求める理由、それは……。
「奴らの目的は、『この世界で最強の人種を生み出し、世界を支配すること(この世界で蔓延っているありと凡ゆる理不尽に対抗するため)』。……え?」
「え?」
僕の言葉と、彼女の言葉は全く重ならなかった。空気が凍りつきそうなほど気まずい沈黙が訪れ、互いに熱しやすくも冷めやすい視線を交錯させる。
「……私たちの調査結果が間違っていたのかしら。もう一度、調べ直した方が良さそうね」
「そんなことはない。それもまた、目的の一つだというだけの話。そうだろう?」
「……そう。なら、一先ずは話を前に進めるわ」
ルナは「こほん」とわざとらしく咳払いをして、報告の続きを語り始めた。
「奴らは積極的に魔族を捕まえたり、国の暗部と売買取引を行って彼らを隷属、研究のための素体とした。表の世界では魔族研究の副産物である魔石やアーティファクトなどを流通させ、裏ではそれらから得た資金を元手に魔族の力を手に入れるための研究を行うというサイクルを使っているわ」
「研究か。魔族は人間より寿命、身体能力、魔力量、そのどれもが人族より優っている。それを研究し、人体に組み込むことで新人類を生み出そうというわけか」
「ええ。でも、それもまた世界征服のための段階の一つに過ぎないわ。他にも様々な研究を行い、凡ゆる手札を用いて世界を手中に収めようと企んでる。その一つひとつを確実に潰していくこと、それこそが私たち魔族復興の近道になるはずよ。逆に言えば、この組織がある限り魔族の繁栄は永久にあり得ない。今この瞬間も数少ない魔族たちが捕まっていたり、あるいは捕えられている最中なの。必ず潰す必要があるわ」
「表舞台では経済を、裏では秘密結社を手中に収める。我々と少し被るところがあるのは気になるが、なるほど悪くない手立てだ。それで、今回の作戦も奴らを潰すためのものなのだろう?」
「ええ。今回は研究会のアジトの一つとなっている研究施設を叩くわ。最新の情報によると、王女様二人が捕えられているのは地下水道ね。あそこは迷宮のようになっていて、足がつきにくいからアジトを構えるには丁度良い場所だもの。二人が捕えられたのは、豊富な魔力とそれを操る才覚があるからかしら。双子という観点でも、色々と研究する価値が高いのでしょうね」
「鯛を釣るために餌を撒いたか。本命はユリティアで、アリスティアはついでとして捕えられたという感じだろう」
「そういうことだったのね……。アリスティアの方は力を持て余してる感じがあったから、捕らえる価値が微妙だったけど納得がいったわ。ここまでが作戦概要なのだけれど、貴方の意見を聞かせてもらえるかしら?」
「ユリティア……。彼女の存在は、我々にとって必要不可欠だ。故に、彼女の身柄は僕が預かろう」
「それは……。なるほど、そう言うこと。あなたの意図は理解したわ。なら、もう一人は?」
「もう一方も助ける。ただし、生かしておくだけだ」
「人質にでもするつもりなの?」
「ユリティアの態度次第だ。だが、極力は丁重に扱え。家族を奪われる痛み、お前たちならよく分かるだろう?」
「……そうね。例え相手が家族や友人の仇だったとしても、超えてはいけない一線もあるかもしれないわね」
彼女たちは魔族として搾取される段階で、まず最初に家族を奪われる。種族的に数が少なく生きづらい魔族の子供が持つ大切なものなど、決まって家族くらいしかない。
その家族ですら平気で奪うこの世界を、僕たちの手で変える。今回の作戦の成功が、その大きな一助になることを願おう。
「今回の作戦、成功するかしら?」
「不安か? この僕がついていると言うのに?」
「……そうね。あなたがいるなら、きっと大丈夫だわ。だって、貴方がいてくれたからこそ今の私たちがあるのだから」
「……そうか」
ならば、僕はもう何も言わない。一番信頼してる部下が大丈夫と言っているのだから、大丈夫なのだ。
「では、行くぞ。今回は僕が前線に出る」
「あなた、今はお尋ね者だものね。ええ、その方が私たちも安心して動けるし、良いと思うわ」
「では、決まりだな。他の皆んなは?」
「既にポイントアルファ地点に集まっているわ。まずはそこに行きましょう。作戦の最終確認をしなければならないから、急いで向かうわよ」
「ああ」
僕たち二人は窓から入り込む南風に攫われるように部屋を後にし、こうして事実上、ネオ・ヨワイネは指名手配中の容疑者兼三人目の行方不明者となったのだった。
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