第25話 さあ、ここからは魔王の時間だ

「……私が半魔だと言われたのは、私がまだ六歳の時でした。父である国王陛下に密かに呼び出され、私は事実を伝えられたのです。あなたは、この世にいてはいけない存在だと」


 ユリティアは重い雰囲気の口調で、話を切り出し始めた。ネオはそんな重圧にも屈せず、淡々とカプチーノに口をつける。


「……ですが、私は生きています。いえ、正確には生かされているのです。父から聞いただけですので詳細は不明ですが、『研究会』なる組織が私のことを欲しているそうです。この年齢になると、半魔は魔力を急成長させることが研究で分かっているらしく、その秘密を突き止めるために私が必要なのだと。私はもうすぐ、アリスティアちゃんと、それからネオの前からいなくならねばならないのです」


 彼女の手にしたコップに力が籠り、ピキリと陶器にヒビが入った。それほど彼女は現状に一人思い悩まされてきたのだ。


 しかし、ネオは特に焦る様子もなくカプチーノの香りを堪能していた。ユリティアは早く話を続けてほしいのだと思い、特に気にせず話を前に進めていく。


「……それでも、私は一人の姉として妹のアリスティアが大事でした。しかし、私と長く関われば関わるほど、研究会の魔の手が妹に伸びるのでは? そう思うと気が気ではありませんでした。だから、私がいる間は妹だけは守ると心に決めていました。ですが、八歳の時にアリスティアはこう尋ねました。「姉様は、半魔なのか?」と。その時、私は本当のことを言うか迷いましたが、半魔ではないと嘘を吐きました。私は怖かったのです。半魔だと知った時、彼女が私を拒絶するのが怖かった。見たでしょう、この国の魔族の扱いを。彼らは奴隷か、家畜以下の存在です。魔族の血が一滴でも混ざっていれば、搾取、隷属させられる。私は、そんな目を妹から向けられるのが一番怖かった」


 ユリティアの表情に暗い影が差す。彼女の意味のない懺悔は、まだまだ続きそうである。


「……でも、今思えばあの子は知っていたのかもしれません。私が半魔であることを……。あの子は私のことを嘘吐きだと言って、それ以降、彼女は私に対して辛く当たるようになりました。知っての通り、それは今でも続いています。時々、こう思うのです。あの時、本当のことを話していたら、と。私は、自分の弱さに負けてしまった。妹のことを信じきれなかった。でも、後悔はしていません。そのお陰で、私とアリスティアは不仲となりました。あの子はきっと、私がいなくなっても悲しまなくて済む」


 彼女は自分の服の中を弄ると、首から下げていた銀色のロケットを外した。まるで新品同様の輝きを持つそれは、彼女が一番大切にしている物だと誰が見ても分かる物だった。


「……これを、受け取ってください」


 言われた通り、ネオはそれを受け取る。彼女に中身を見ていいかアイコンタクトを取ると、彼女が頷いて許可を出したのでそれを開いてみた。


「これは、写真?」


「……ええ、左に私が。右にはアリスティアちゃんが写っています。この時は、確か七歳の時ですね。まだ、私があの子のことをアリスちゃんと呼んでいた時のことです」


 幼子二人、この時は髪の長さも同じで、瞳の色を見なければどちらがどちらか、ネオでも判断が難しいところだった。


「どうしてこれを僕に?」


「……それは、研究会から渡された魔力の制御装置でもありました。私の魔力を少しずつ貯蔵し、研究に使用するために。肌身離さず身につけられるよう、中にたった一枚の姉妹の写真を入れました」


「ありましたってことは……」


「……ええ、もう制御装置の役割はありません。昨夜、私が壊してしまいました。これは研究会に対する宣戦布告でもあります」


「そんなことしていいの? タダじゃ済まされないんじゃない?」


「……どの道、タダでは済まないでしょう。私は元々、黙って研究会に攫われるつもりだったんです。ですが、あなたと同じ時を過ごしているうちに、私も自分を変えられるんじゃないかって思うようになったんです。魔族を助け、私に未知の世界の数々を教えてくれたあなたのように。だから、私は彼らと戦います。この身が例え、汚され、犯され、そして排斥されようとも。そのための覚悟を、あなたにもらいたかった」


「今日、デートに行こうと言ったのはそういうことか。買い被りすぎだよ、僕は自分の手の届く範囲のことしかやってない」


 彼はロケットの蓋を閉じると、それを自分のポケットの中にしまって言葉の続きを紡いだ。


「僕はね、才能なんて大層なものは持ってない。できるのは、変えられるように努力することだけなんだ。どれだけ困難だ、無理だと分かっていることでも、やらなきゃ変えられないんだ。だから、僕はただ……この世に無造作で、かつ理不尽に降り注ぐ運命を変えたいだけなんだ。そのためなら、僕は……。なんだってやる」


「……立ち向かうのですか。それが、無謀なことだと、絶対に無理だと分かりきっていても」


「当然だよ。人が成し得ないような偉業を成すには、それくらいの対価は支払って当然なんだ。そういう君だって、立ち向かうんだろう? 自分の運命に」


「……ええ。変えられないと、分かってはいます。相手は、私なんかでは到底勝てないような相手だと。それでも、私はもう前の諦めていた自分には戻れない。戻りたくない」


 ネオは自分のカプチーノを最後まで一気に飲み干すと、陶器を机に置いてから一つ溜息を吐いた。


「僕は止めないよ。君の覚悟を無駄にするような、野暮なことはしない。でも、餞別として何かさせてよ。一応、恋人だからさ。できる範囲のことなら、やるよ」


「……私と一緒に戦う、というのは無理ですか?」


「僕は主人公じゃない。だから、そんな力は持っていない」


 彼はなんてことない顔で嘘を吐いた。ユリティアは残念そうに、しかしどこかホッとしたような表情をした。


「……小説では、恋人と協力して強大な敵に立ち向かうのがお約束ですが……。所詮は、フィクションですか」


「そうだよ。ユリティアに貸してもらった小説はどれも、そういう王子様や主人公がヒロインを助けるものばかりだけど。それは、御伽噺なんだよ」


「……私は、好きなんですけどね。ですが、あなたを危険に巻き込むよりは断ってくれて良かったと安心しています。なら、一つだけ良いですか?」


「何……」


 何をすれば良い、そう尋ねようとしたらユリティアがネオの襟首を引っ張り、強引にキスをした。柔らかい感触が電撃のように脳へと伝わり、暫くは舌の交わりあいが続いた。


 そして、唾液の糸が互いを繋ぐ最後の線となり、ユリティアはその絆を断ち切るように立ち上がった。


「……アリスティアちゃんのこと、お願い。それから、もし無事で戻って来れたら、続きをしよう。ネオ」


 彼女は止める間も無く走り出し、あっという間に人混みの中に紛れて行ってしまった。


 ネオは自分の唇に残った彼女の感触を撫でると、小さく息を吐いた。同時に、行方をくらましたはずのアリスティアが入れ違いで戻ってきた。


「ただいま。あら、姉様は? お手洗いかしら?」


「彼女なら、行くべきところへ行った。君なら、それだけで分かるだろう?」


 その言葉を聞いた瞬間、アリスティアの全身の毛が逆立ち怒りを露わにした。強大な魔力を伴った拳を彼の頬に問答無用で当てると、尋常ならざる怪力で彼の襟首を掴んで持ち上げた。


「そんなに怒ることかな? 僕が悪いわけじゃないのに」


「あんたは最低よ! 彼氏のくせに、姉様を止めなかったの!? 一緒に行って戦うってことくらいはできたんじゃないの!?」


「やっぱり、全部知ってたんだ。なら、話が早い。今の僕が行っても足止めにすらならない。お荷物なんだよ、彼女にとっては。勿論、君もね」


「だったら何!? このまま姉様を見殺しにしろって言うの!?」


「そうだ。君は、彼女を見殺しにするべきだ。今まで、君が姉様にそうしてきたみたいに」


「っ! それは……」


「言い訳はどうでもいい。興味ない。でも、君は彼女にいなくなって欲しかったんじゃないの? だから、優しく接してくれる彼女を突き放してたんじゃないの?」


「……」


 アリスティアは唇を強く噛み、血の味を舌へと走らせた。言い返す言葉がないのではない、言い返せるからこそ自分がしてきた行いが悔しくて、卑しくてどうしようもなかったのだ。


「私は、姉様が大好き。でも、あの人は嘘を吐いた。それだけじゃない、あの人は自分が王位を継ぐことはないと分かっていたからこそ何もかもを諦めていた。剣術も、勉強も、ずっと私未満。それは全部、私が優秀だと周りに思ってもらうための優しさでもあった。それが、私にとっては辛くて、お節介で、腹立たしくて、だから……」


「……本当、こんなになるまで意固地になって不器用すぎ。君が少しでも、そのみっともないプライドに打ち勝てたなら、もっと違う姉妹の形もあったはずなのにね」


 涙を浮かべる彼女の力は徐々に弱まり、やがてネオの足を地面につけた。彼は力無く絶望しているだけの彼女の顎を左手で強引に掴むと、顎クイをして右手で平手打ちをした。


 アリスティアは、殴った男の顔を睨みつけた。だが、その男が浮かべる表情はいつものおちゃらけた雰囲気のそれではなく、何かもっと強大な存在の覇気を感じさせるくらい怖いものだった。


「失ってからじゃ、遅い時もある。失ってから、大切だったものの有り難みを知っても、もう遅いんだ。それがどれだけ理不尽なことだとしても、どうすることもできないんだよ」


 彼の脳裏に浮かんだのは、全てを失った自分が病室のベッドで寝ている時の光景だった。あの時こうしていれば、あの時こうなっていれば、そう考えても無駄なのだ。


 一度決定した運命を変えることはできない。どう足掻いても、それ以上の力がないと不可能なことなのだ。


「今の君がやるべきなのは絶望することじゃないだろ。まだ、できることはあるんだ。諦めるのは、全部、全部、全力でやりきってからだろ」


 彼はポケットの中を探り、一つのロケットを取り出した。それは、ユリティアが彼に残していった形見でもある。


「それは、君にあげる。ユリティアが、最後まで大切にしてたものだよ」


 アリスティアは絶望の暗闇を青い瞳に映す中で、銀色に輝く一筋の光を頼りにそれを開けた。すると、彼女の中で渦巻いていた絶望が一気に晴れ渡る感触が身体中を駆け巡った。


「……姉様。あんなに、酷いことしてたのに。こんなものを、大事に持ってたなんて……」


 アリスティアは服の袖で涙を拭うと、目を腫らしながらも覚悟を決めた表情で走り出して行った。彼が彼女を追うことはない、それは彼の役目ではないからだ。


 ネオは殴られた頰を魔力で治癒すると、スッと手を挙げてウェイトレスを呼びつけた。


「ご注文で宜しかったですか、お客様?」


「そうだね……」


 彼は暫く考える素振りをしてから、パチンと指を鳴らしてから口を開いた。


「夜の篝火に相応しいデザートを、テイクアウトで。後は……、分かるな?」


 ウェイトレスの表情が強張り、すぐに一歩下がって跪こうとするが彼がそれを手で制した。なので、代わりに彼女は偉大なる御方へと敬意として恭しく一礼してから問の答えを出した。


「本日の十八時頃、場所は寮のお部屋に。必ずや、お届けにあがります」


「頼んだよ」


 彼はサッと席を立つと、マジシャンのように一瞬にしてどこかへと消え去ってしまった。机の上にはお代となる銀貨二枚が置かれており、ウェイトレスはそれを受け取ると急いで自分の「本来の」仕事に戻ったのだった。

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