第18話 なるほど、これが姉妹の喧嘩ってやつか
二人は校舎裏から少し移動してきて、人気のなさそうな植木地帯にやってきた。魔力感知で周囲に人がいないことも確認済み、ここなら木々に隠れているため僕みたいに意図的に覗きに来ない限りは見つかることはないだろう。
ユリティアを連れてきたアリスティアは、振り向いて向かい合うと予備動作もなく彼女の頰を引っ叩いた。パン! と乾いた清々しいくらい耳触りの良い音が森の中に響き、ユリティアは尻餅をつかされてしまう。
「姉様、どうしてあんな公衆の面前で恥をかくようなことをしたの!」
どうやら、アリスティアはユリティアが魔族を相手に殺すことができなかったことを怒っているらしかった。そこまで怒る必要があるのか甚だ疑問だったけど、思えば彼女たちは王女殿下って言われていたし王族なのかも。
シュウヤも確か、そんなようなことを言っていたような……。彼が注目していたのは彼女らが美人だからだと思ってるけど、もしかして魔法剣術に関する何かで有名だったりするのかな?
「王族を始めとした全民衆が魔族や魔物を敵対視しているし、いざとなったら最前線に出て戦わなければならないこともある。私たちに付き従う民衆が命を賭して奴らと戦っている中、魔族一匹、しかも子供すら殺せないなんてなれば信用を失うわ」
「……あれは、私がミスしただけなの。だから、アリスティアちゃんは関係ないでしょ?」
「関係大ありよ! 別にどんな理由があったかなんて重要じゃない。重要なのは魔族を殺さなかったこと! 実際に見てない人間が魔族に情が移って殺せなかったなんて噂してみなさい! 姉様を見せしめとして処刑しないといけなくなる! 分かってる!?」
「……ごめんなさい。気をつけるわ」
「気をつけるですって? 実際のところ、姉様はアレに情けをかけたんじゃない? お父様も、お母様も一切口を割らないけれど私は疑ってるわ。あなたが、半魔って可能性をね」
「……違うわ。私は、人族よ」
「どうかしらね。過去に王族が魔族と交わってるなんてタブーを私たちに話すわけないもの。そんなことが世間に知れたら、それこそ一貫の終わりよ。私は、もしも姉様が半魔なら容赦なく斬り捨てるわ。当然よね、あんな穢らわしい連中の血が混じってるなんて、気持ち悪いもの」
半魔、なんて初めて聞いたけれど要するに人族と魔族のハーフか。確かに、それなら彼女の魔力量が意図的に制限されているのにも納得がいく。
魔族は生まれながらにして高い魔力量を持つ。彼女の身体的特徴に魔族らしきそれがないのは、ハーフで人族の血の方が見た目の方に強く反映されているからなのかも。
彼女の言う通り、魔族や魔物を排斥している世界で人族の象徴となっている王族が半魔の子を孕んだとなれば身の破滅だ。アリスティアがこの世界の常識人なら、半魔を生理的に嫌悪するのは当然のことだ。
それが例え、実の姉だったとしてもね。姉妹の絆が強ければその限りではないだろうけど、あの様子だと仲はそこまで良くなさそうだ。
そして、王権に関わる重大な問題を盗み聞いてしまったことをちょっとだけ後悔した。
「どうして黙っているの? 大体、姉様はいつもそう。すぐに黙り込んで、口を噤んで、縮こまって、そうしていれば難が過ぎ去るって思ってるんでしょ? 正直に言ってよ、半魔なのか、そうじゃないのか」
「……」
おっと、いつの間に展開が早送りで進んでいた。ここからは尋問タイムか、というか何だかヤバそうな雰囲気がこっちにまで伝わってくる。
「私ね、いつも言っているように姉様が鬱陶しいの。私より先に生まれたってだけで王位を継承するなんて話になって。私とは全く違う人生を歩めるはずのあなたが、実は落ち零れでいつも私の足を引っ張る。才能さえあれば全てを手に入れられるのに、私の方が優秀なのはどうして? 私があと数分先に生まれていれば、それで全て解決だったのに」
「……アリスティアちゃん、私は」
「気安く呼ばないで! 穢れた血が混ざっているかもしれない姉に、そんな風に優しく声をかけられたくない! 気色悪いのよ! もう沢山!」
何かを言おうとしたユリティアの言葉を遮ると、アリスティアはバキボキと手を鳴らしてギュッと拳に力と魔力を込め始めた。これは本格的に止めに入らないとヤバいかも。
「取り敢えず、今日分のお仕置きが必要ね。いつも体に教えてあげてるのに、それでも分からないなんて信じられないけど。姉様がちゃんとしないなら、私がちゃんとしなきゃ」
躾という体を成した体罰、それをいつも行っていることを認めちゃったよ。見た目は冷徹そうだと思ってたけど、思っていた以上に過激で熱い心を持った暴力女だったみたい。
おっと、こうしてはいられない。彼女がボッコボコにされる前に何とかしないと。
まさか自分が出ていくわけにもいかなかったので、傍に落ちていた石ころを手に取るとそれを向こうの茂みに向かって投げた。
ガサガサっとアリスティアの後方から足音のようなものが聞こえて、咄嗟に彼女は振り返ると腰の剣を抜刀、投擲して幹にブッ刺した。
「出てきなさい! 盗み聞きしてるのは誰!?」
僕は続け様に石や小枝を学園の校舎に向けて連続して投げて誰かが走り去ったような感じを演出した。アリスティアは重大な機密を聞かれた失態からか舌打ちをして、ユリティアを睥睨しながら彼女の胸を強く蹴り付けた。
「……っ!」
「今日はこれくらいにしてあげるわ。運が良かったわね、私がここから去る理由が都合よくできて。私は不届者を見つけ次第始末する。姉様はその次だから、覚悟しておいて」
彼女は自分の剣を回収すると、足音に偽装したそれが去って行った存在しない痕跡を追って行ってしまった。これで一応は何とかなったかと思うけど、犯人が見つかるまで犯人探しは続くだろうからアリスティアとはできるだけ関わらないようにしよう。
さて、仮も返したことだしユリティアに見つからないうちにここを去ろう。スネー◯さんも驚きのスニーキングで、音を立てないようにこっそり……。
「……あの、助けていただいてありがとうございました」
「……え?」
木陰からひょっこりと顔を出して僕のことを見下ろしていたのは、他でもないユリティアだった。正直、驚きを隠せなくて反射的に目を丸くしてしまう。
「どうして分かったの? 魔力は極力抑えて、気配も完全に絶ってたはずなのに」
「……私、魔力の流れに凄い敏感なんです。ちょっとでも乱れると分かっちゃうというか、そんな感じです」
「つまり、どれだけ気配を消そうと、魔力を抑えようと、僕自身が魔力を内包してる以上は大気中の魔力に干渉しちゃうってことだよね。でもさ、それってミリというよりナノか、ピコ単位の変化だと思うんだけど」
常人なら絶対に不可能なことだ。顕微鏡ですら見えるかどうかってくらい小さな微生物が肌に触れたか否か、そんな極小の変化を感じ取れるなんてもはや神業に等しい。
「……唯一の特技なんですよ。かくれんぼで負けたことはないので」
「……そうですか。それはどうも」
頑張って修行してきたつもりなのに、この世はまだまだ広いという事実を突きつけられたような気がしてとてもワクワクした。何だろう、好奇心旺盛な子供が自分の知らないことを知った時のような高揚感に近い。
最初は魔法剣術学園に通うなんてって思ってたけど、彼女みたいな人が他にもいるなら通い続ける楽しみもあっていいかもね。
「……そう言えば、あなたは魔族を逃した方ですよね。お仲間もいたみたいですし、あなたが終わった後は誰かの気配が消えてました」
「えっと、それは……」
まずいな、これは。彼女がこのことを喋ろうものなら、せっかく助けるはずだった彼女の口を封じなくてはならなくなる。
冷や汗をかきながら上手な言い訳を考えていると、彼女はクスリと笑ってこちらに出てきた。そして、目の前にしゃがみ込むと僕の手を優しく手に取った。
「……大丈夫です、誰にも言いません。心優しい紳士様ですから。私を庇ってくれたこと、それとお相子ということです」
「……それはどうも。でも、それを言うなら君だって、魔族を逃がそうとしたでしょ。それについては?」
「あら、バレていましたか」
「意外とちゃっかりしてるね。でも、いいよ。そういうの嫌いじゃないから、君が僕のことを黙っていてくれるなら、僕も黙っててあげる」
「ありがとうございます」
話が良い方向にまとまりかけたところで、彼女は頰を薄らと朱色に染めて素早く手を引いた。百人一首の選手もびっくりの速度だったので、こちらも内心では少し驚いてしまう。
「……あっ! ごめんなさい、つい手を……。私のような人が、あなたのような人の手を握るなんて……」
加えて彼女が慌てて飛び退くと、自分の手を庇うように蹲った。えーと、これはどういうことなんだろうか?
「何か、飛び退く必要があったの?」
直球で聞いてみた。こういうのは、隠していても仕方がないので本心を聞き出すに限るのだ。
「……と、殿方の手をはしたなくも断りなく握ってしまいました。それに、聞いていたのでしょう? 私が、その……」
彼女が言葉を濁したその先を想像して、ようやく合点が行った。自分が半魔かもしれないこと、それを僕が知っているからこそ触れてはならないと思ったらしいのだ。
僕はそれに対する回答として、立ち上がって近づいた彼女に対して自らの右手を差し伸べた。
これはチャンスだ、魔族復興のための布石の一つとして半魔である彼女をこちらに引き込む。その最初の一手を打つために、僕は彼女へと獲物を狙う毒蛇のように静かに、甘い毒を混ぜながら近づくことにする。
「君の言う通り、僕は魔族を一人逃してる。むしろ、その時点で察してほしいよ。僕は、君が半魔だろうと何だろうと気にしないから」
「……本当ですか?」
「本当だよ。だから、お互いに重大な秘密を抱えた一蓮托生の存在ってことでいいよね?」
「……一蓮托生?」
彼女の不安そうな瞳がユラユラと揺れる。本当に信じて良いのか、迷っているのだろう。
その時点で、半分くらい自分が半魔であることを認めてるんだけど、そんなこと彼女は考えてもない様子だった。
秘密の共有は信頼関係を構築する上で非常に重要だ。けど、会ったばかりだしこのままだと押しは弱すぎるかも。
あともう二、三手は打たせてもらうよ。僕の保身のため、これは必要不可欠な縛りだ。
僕は物理的な距離を縮めて、彼女に向けて手を伸ばす。対する彼女は手を伸ばしては引っ込めて、僕の手を本当に取っていいのか迷っていたみたいだった。
なので、二手目として僕の方から掴んで少し強引に近くへと引き寄せた。彼女の羽のように軽い重みが手の平を通して体へと伝わってきた。
「……きゃぁ。凄い、力持ちさんですね」
「どうも。君こそ、可愛らしい悲鳴だったね」
「……面と向かって可愛らしいなんて、初めて言われました。いつも、恥ずかしくて逃げてしまうので」
観察している様子だと、彼女は男慣れしてない上にこれといった友達もいなさそうだ。これはチャンスだ、この一手が決まれば確実に秘密を喋らせないまま彼女を縛り付けることができる。
内心では策略を巡らせつつ、表情はあくまで柔らかに、そして普通な様子を装う。僕は既に魔王としての仮面を隠して生活しているので、この程度のポーカーフェイスは朝飯前なのだ。
「これも何かの縁だし、友達にならない?」
「……お友達、ですか?」
「そう。お互いの秘密を握り合った、少しだけ物騒なお友達。僕、この学園で友人って言える人が辛うじて一人いるかどうかだからさ。楽しい学園生活を送るためにもさ」
「……私なんかで、良いんですか?」
「私なんか、じゃないよ。君じゃなきゃ嫌なんだ」
「……私じゃなきゃ、嫌。私が、良い?」
君だけを求めている、ということをあくまで強調する。相手には自分が必要なんだと意識の中に刷り込ませるのだ。
彼女はルビー色の瞳をパッと見開くと、僕の手を両手でそっと握って儚気に微笑んだ。彼女の温かさと肌の柔らかさが直に伝わってきて、少しだけ心地良い感じがする。
「……ぜひ、お願いします。お友達、初めてできました」
「そっか、それは良かった。これからよろしく」
「……はい!」
彼女はとても嬉しそうに元気良く返事をした。しかし、視界の端に見えた嬉しいその瞬間を台無しにしかねない腫れ物が気になったので、彼女の左頬に手を添えた。
「……何を?」
「動かないで。これは、友達になってくれたお礼ってことで」
僕は魔力で彼女の腫れを修復すると、マジックをする時みたいに頰を撫でて痛みを取り去ったように見せてみた。
「……痛くない。腫れてもいないなんて。あなたは一体、何者なのですか?」
そう言えば、自己紹介もまだだったか。魔族に優しくない残酷な世界に生きていると、ついつい人族相手に自分から名乗るってことを忘れてしまうから気をつけていかないとね。
「何者って言われてもね……。僕は、ネオ・ヨワイネ。ただのお友達だよ」
「……ネオ・ヨワイネですね。では、ネオさんと」
「呼び捨てで良いよ」
「……呼び捨て、ですか。では、その……。ネオ、と。私の名前は……」
「ユリティア・シグルス。知ってるよ。僕も、ユリティアって呼ぶね」
「……凄い、お友達って感じです。夢にまで見た通りです」
「お気に召したようで何より。それより、早く教室に戻ろう。昼休みが終わっちゃう」
「……少し残念ですけど、仕方ありません。ネオ。また、放課後に……よろしいですか?」
「いいよ。放課後に、また会おう。ユリティア」
「……はい!」
こうして、僕はこの学園に来てから初めて自分から友達を作った。その相手が王女様で、凄い力を持っていて、しかも半魔っていうのが驚きだけど、人生なんだからそういうこともあるってものだよね。
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