第18話 人には抗えないものがある
アリスティアとの一件があった日の放課後、下駄箱に一通の手紙が入っていたので取り出してみると例の庭の方に来て欲しいという文面が書かれていた。差出人は不明、正直に言って興味はなかったけれど待たせても悪いと思ったので行ってみることにした。
すると、噴水の前で待っていたのは何処かで見たことのある綺麗な金髪を靡かせた女の子だった。振り返った彼女は太陽のように優しく微笑むと、近づく僕の目の前までやってきた。
「あの、こんにちは。お会いしたのは、例の合同授業以来ですね」
「ああ、そうだったね。ユリティア王女殿下。それで、僕に何か用?」
「その、ありがとうございました。私の妹がどうやらお世話になったみたいで」
「ああー……。ということは、御礼参りってやつかな? 妹の仇ー、って感じ?」
「いや、まさか! むしろ、ごめんなさいと謝りたくて。私の妹が迷惑をかけてしまってごめんなさい。あの子、とても喧嘩っ早いところがあるの。昔からやんちゃで、とても可愛らしいとは思うのだけれど欠点でもあるの」
ユリティアの話口調は申し訳なさよりも嬉しさの方が勝っているように見えた。それだけ、妹であるアリスティアのことを良く思っているという証拠なのだろう。
「別に構わないよ。あの件は、僕と彼女の間で既に解決済みだと僕は思ってる」
「やっぱり、私の見立て通りですね。あなたには、どうやら才能があるみたいです」
「前にも言ったけれど、才能何てないよ。今回は、運に救われたんだ」
「果たして、本当にそうでしょうか? アリスティアから聞いた話だと、何もないところで躓いたのが原因とのことでしたが……。ここには、躓くようなものは何もないです。つまり、あなたが何かしたのでしょう?」
「人は何もないところでも転ぶよ。突然に降って湧いた不幸とかによって、無様に」
例えば急な病に見舞われたり、事故に遭ったり、予期しない才能が頭角を現わしたり……。もしも彼女らが石ころ一つ存在しない綺麗な道を歩いて来たのなら、知らないのかもしれない。
「茶化すのはおやめなさい」
優しかった口調が、突然厳しくなった。彼女は真剣な眼差しで僕の瞳を貫きながら、同じ口調のままで続けた。
「この辺りに魔力の残滓があるわ。とても歪ね……。あなた、もしかして大気中の魔力に干渉できたりしない?」
「……」
驚いた、まさか彼女は見えているのか? 大気中に満ちている魔力の流れが……。
普通、僕みたいに魔力のレンズを通さないと魔力を可視化することはできないはずだ。けれど、彼女は自然とそれができている。
つまり、それこそが彼女の才能であり強い理由でもあるということか。魔力の流れが見えればある程度は相手の動きを予測することもできるし、今みたいに僕のからくりを解くことだってお茶の子さいさいだろう。
こんなことなら、証拠をすぐにでも消しておくべきだったか? いや、まだ彼女は確証にまで至ってはいないから取り返しはつくはず。
「そんな綺麗な芸当、僕にはできないよ。できていたら、最底辺のクラスに配属されるわけがないだろ?」
「……」
ユリティアの疑る視線は暫く向けられ続けた。呼吸、発汗、目の動きなどを追って真意を確認しているのだろうけれど、僕はその手の腹芸で負けるつもりは毛頭ない。
そうでなければ、とっくの昔の僕の秘密は公にさらされているだろう。
とうとう彼女は僕の嘘を見抜けなかったらしく、これ見よがしに溜息を吐いて言葉を続けた。
「まあ、そういうことにしておきます。あなたの力が公になれば、それはそれで面倒なことになりそうですし。あなたも、それを嫌がって力を隠しているのでしょう?」
「僕は力を隠してなんかない。そうとしか言えないよ」
「ええ、分かっていますよ」
全然、分かっていない。彼女はどうやら、僕が力を隠していることを知られたくないらしいと思うことにして納得することにしたらしい。
間接的とはいえ、一人に力の一端を知られてしまったのは僕の落ち度か。これからはもう少し、頑張って力を隠していかないといけないな。
「それより、そっちこそ僕だってよく分かったね」
「ああ、それでしたらブレザーですよ。持ち主の名前が襟のところに刺繍されているでしょう? それを見て確認したんです。この学園にヨワイネの性は二人だけ、男物のブレザーでしたから、特定は容易でしたよ」
「なるほどね」
「ブレザーとハンカチは、後で洗ってお返しします。ご安心を」
「はあ、ありがとう?」
「どういたしまして」
ユリティアは笑顔で微笑むと、更に僕との距離を詰めてきた。暁のように綺麗な赤い瞳が僕の視線を掴んで、そのまま深淵へと引きずり込もうとしてくる。
にこにこと微笑んで、一体何を考えているのだろうか? 剣を交わしたときからそうだけど、彼女の考えはイマイチ読むことができない。
「一つ、あなたに……。ネオ君にお願いしたいことがあります」
「お願いしたいこと?」
「私の、恋人になってもらえませんか? 私、あなたに惚れてしまいました」
「……え゛?」
「だって、あなた強いですし。私のナイトになってほしいんです。正直に言いますと、初めて剣を交えた時から少し気になってはいたのだけれどアプローチの仕方が分からなくて……。でも、妹から話を聞いたときに「これだ!」って思ったんです。思いを伝えるなら、やっぱりストレートが一番でしょう? ですから、待ち合わせ場所も告白スポットで有名なこの場所を選んでみました」
「いやいや、待ってくれ。僕はそんな力はないし、アリスティア王女に勝ったのも偶然の産物なんだ。君の隣に立つなんて、恐れ多いよ」
「この学園の誰もが羨む、ユリティア王女の彼女ポジションになれるんですよ? それだけでも、かなり役得だと思うのですけど?」
こっちからしたら役得どころか、疫病神だよ! ユリティアと付き合ったりでもしてみろ、僕の方に注目が行ってしまって魔王としての活動が阻害されるかもしれないだろうが!
彼女になるということは、それだけ一緒にいる時間も増えるだろうし秘密が露見するリスクも生まれる。何としても避けたいが、これは避けきれるものなのか……?
「やっぱり、僕には荷が重いよ。そういうのは、背負えるようなもっと偉大な器の男に任せたいかな」
「それなら……。まずはお友達からというのは如何でしょうか? 私、実はお友達というのもあまり多くはないんです。そこから徐々に、恋人まで関係を昇華すれば問題ないはずでしょう?」
「いや、それは……」
「これでも駄目ですか? ネオ君って、意外とガードが堅いですね……。男の人なら、皆が私に注目するのに……。増々、欲しくなってきました!」
「何でそうなるの……」
「では、そうですね……。これなら如何ですか?」
彼女は僕の目の前に金貨を一枚ちらつかせると、にっこりと悪魔的な笑みを浮かべた。
「こちらを前金で一千枚、お支払い致します。それでまずはお試しの恋人をしましょう。もしも継続してくださるのなら、更に上乗せさせていただきましょう」
「そ、そんなものに僕は釣られない……。釣られない……」
と言いながらも、僕の手は彼女の金貨の目の前まで伸びていた。魔王軍運営のための資金に困っている僕からすれば、自分の右手から溢れ出る欲望を左手で抑えるのが精いっぱいだった。
「うふふ、体は正直ですね。女には興味が無くとも、お金には興味がある。人間とは食、お金、そして性欲のいずれかには抗えないものですよ。さあ、理解したなら私の手を取ってくださいな。それだけで、金貨一千枚はあなたのものですよ?」
まさに悪魔の言葉が紡ぐ悪魔の囁き、僕にはもはや抗う術などないに等しかった。僕は無言でその金を受け取り、ギュッと自分の手の中で握り締め感触を確かめた。
「では、契約成立ですね。これからよろしくお願いします。ネオ君」
「……よろしく、お願いします」
金貨一枚で凡そ一万円の価値だから、一千万円が僕のものになってしまったということ。
彼女とお付き合いしなければならないという枷はできたが、恋人関係は必ずしも長く続くものじゃない。仮の恋人関係を続けて、ある程度のところで見切りをつければ金貨一千枚を手持ちに逃れられるはずだ。
そう、これは言わば自己犠牲という名の投資なのだ。魔王になっても金が無ければ国を動かすことはできないのだから、これは必要経費ということで今は我慢しよう。
そんなわけで、僕はユリティア王女殿下の策略にまんまと嵌められてしまい、彼女と恋人関係になってしまったのだった。
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