第11話 尻尾を巻いて逃げる、それが正しい選択な時もある。

「ルナ様!」


「いいから行きなさい! ここには、例の監禁されているはずの同胞もいない。きっと、私たちが来た道のどこかにいるはずよ! 探し出して、確保して! いいわね!?」


「……行きましょう、皆さん」


「ですが、アテナ様。ルナ様を一人残すなど……」


「これはルナ様の命令よ。従いなさい」


 アテナは口惜しく唇を噛み締めるも、この場に止まろうとは微塵も考えていなかった。これから戦闘は激化する、その上で自分たちが戦いの足手纏いになってしまうことを理解していたからだ。


 それに、万が一にでも洞窟が崩落したら助けられたかもしれない同胞の命を見殺しにすることになる。自分たちは一刻も早く囚われている同胞を救出し治療し、イグニスの元に行かなければならない。


「ルナ様、ご武運を。行くわよ! あなたたち!」


 アテナが走り出すと、三人も彼女に続いて部屋を後退する。だが、それを黙って見逃すほどジークは甘くない。


「貴重なサンプル、逃してなるものか!」


 ジークは自分の増幅した力を用いて足の指先に力を込めて縮地、一気にアテナたちと距離を詰めようとする。しかし、直前で自分を殺そうという意思が首元を走った。


 不味い、やられる!


 振り下ろそうとした剣を防御に回した瞬間に骨太な両腕に凄まじい質量の衝撃が走った。明らかに華奢で力のなさそうな見た目のどこにこんな力が隠されているのか、彼は驚嘆と共に非常に強い好奇心に支配された。


「舐めるなぁ!」


「くっ……!?」


 細身から繰り出された相手を穿ち得る強烈な一撃は、血筋の浮かび上がった剛腕によって吹き飛ばされてしまった。ルナは何とか受け身を取って体勢を崩してしまうことを避けたが、不意を突いた一撃が通じなかったとなると戦局はジークの方がやや優勢となる。


 しかし、自分の首を刎ねる可能性がある強者に出会うのが久々らしく、ジークは楽しく庭駆け回る子供のような笑みを浮かべた。


「いいなぁ! お前! 久しぶりだ、この僕に守りを取らせた相手は! それに、その剣……刀身どころか柄の部分まで魔力で作られているな。魔力を実体化にまで昇華する技術はつい最近完成に近づいたばかりなのだが、それを個人で成すとは大したものだ」


「それはどうも」


 ルナは特に喜ぶような感情も湧かず、ただ力無く、素っ気なく呟いた。


 ルナからしてみれば、イグニスに手解きを受けながら普通に鍛錬していたらこうなったし、そもそも他の子達も支えている技なので賞賛とすら受け取れなかった。むしろ、どうして自分よりも長生きしてそうな人間が使えないのかという疑問が浮かぶばかりであった。


「それだけの力があるのなら、いっそ研究会に入る気はないか?」


「戦いの最中に冗談が言える何て随分と余裕ね。まずは、そのお喋り上手な舌から切り落としてあげようかしら?」


 ルナは殺気を高めながら魔力を練って剣を鋭く研ぎ澄ませつつ、段々と集中力を高めていく。対照的に、ジークは自分が負けるなどとは微塵も考えていないらしく饒舌にルナを口説き続ける。


「まあ、そう殺気立つな。お前が研究会に来れば確実に強くなれる。それに、世界を手中に収めることすら可能になるんだぞ?」


「世界を手中になんて馬鹿馬鹿しい……。そう思いたいけど、そのタネは魔族ね? あなたたちは魔族の生き残りを狩って自分たちの研究に高い潰している」


「ああ。魔王がいなくなって魔族が弱体化したとはいえ、人族より強くなったわけじゃないからな。本当に目指すべきは、魔族と同等以上の力を有した新人類だ。そのためとはいえ、外の世界で魔族を育てるなんて面倒な真似をする羽目になったがな」


「あなたは何を言って……。いや、まさか。そんなことが本当に可能なの?」


 ルナは自身の思考を巡らせて、彼らの計画の一端を推察した。しかし、それは魔族にとっては非常に絶望的な真実であり、まさか自分たちもまたその被害者だと思うと背筋が凍りついた。


「おっと、分かったか? 僕たちがどうやって魔族を調達しているのか」


「……あなた達は最低よ。希望を持たせておいて、その癖、後から絶望を与えては希望をちらつかせる。そうやって、育った頃合いの魔族を収穫してたのでしょう?」


「ピンポーン! 魔族の集落を一個見つけたら、そいつらを襲う。適当な数を狩って、残りはわざと逃す。そうすると、研究会が作ってやった如何にも住みやすそうで見つかりにくそうな場所に行って新しい集落を作る。ある程度肥え太ったら、その集落を襲う。その繰り返しだ。人族と魔族の戦争が終わってから、研究会はそうやって魔族を恒久的に集めることができたってわけだ」


「あなた達は、魔族の命を何だと思ってるの……!」


「何と、と言われてもね〜。家畜? 人族にとっての餌? その程度だよ。だって、耳が長かったり、角が生えてたりして気持ちわる……」


「もう結構よ!」


 ルナはイグニスから教わった剣術による斬撃を繰り返しお見舞いする。横凪から上段の構えへと移し、振り下ろした剣を今度は下段から斬り返す。


(な、何だこの剣術は……。王国流の剣術よりも速く鋭い……! 最も弱いところに最も強い力をぶつけられる……!)


 腕力は断然、ジークの方が上だ。魔力量に関しては魔族で尚且つ鍛錬を積んできたルナの方がやや優っているが、トータルで考えると有利な立場にあるのはジークなはずだ。


 にも関わらず、現在で劣勢になっているのは何故かジークの方だった。それは、彼女の剣の腕が圧倒的にジークを上回っていたからである。


 描いた剣の軌跡が空に紋様を描くほどに速く、そしてその一撃はまさに鬼神の如き強烈さだ。最初の一撃より速度、威力共に上昇しているため、一瞬でも判断を誤れば即座に首を刎ねられるか、あわよくば死を避けられたとしても骨の二、三本は覚悟しなくてはならないだろう。


(撃ち合えば撃ち合うほど、こちらが不利……。ならば……!)


 ジークはルナの放った一撃の威力を利用してわざと大きく後退すると、隙を作るように大振りに剣を構えて魔力を剣へと収束させた。


 ルナは相手を逃すまいと直線距離で一気に間合いを詰めるが、ジークはそれを見て勝利を確信し口元に大きな三日月を昇らせた。


「終わりだ! はああぁぁぁぁぁ!」


 巨大質量の魔力を乗せた黒い光が大地へと降り注ぎ、受け止めきれなかったエネルギーが地面の内側から爆発するように溢れ出し、周囲一帯を爆風の渦へと飲み込んだ。


 本来なら、こんな威力の爆発を引き起こせばこの空間が崩れ落ちることなど百も承知。しかし、彼には万が一に備えた脱出の手段があったのだ。


(いざとなれば、この転移石で逃げればいい。貴重なものだが、この修羅場を乗り切れば全て上手くいくはずだ)


 そろそろ崩落が起き、自分も巻き込まれる前に逃げようかとポケットに手を伸ばしかけた時だ。事態の異変に気づくのにそう時間は要さなかった。


「何故だ? あれだけの爆発が起きながら、何故、天井が落ちてこない?」


 爆風によって引き起こされた砂埃がやがて晴れると、その答えを彼はルナの姿を見て知ることになる。


 ルナは五体満足でいるどころか、先ほどよりも剣に込められている魔力の量が多かったのだ。


「ど、どういうことだ!? 貴様の魔力量では、それほどの力は発揮できないはず!」


 現実を受け止めたくないがために、敢えて質問をルナにぶつけることになった。慌てふためく彼の姿が滑稽に映ったのか、ここにきて初めてルナの口元が小さな曲線を描いた。


「答えは簡単、あなたの放った魔力を吸収したのよ。人の手から離れた魔力は大気中へと逃げる。それらを吸い込めば、崩落は簡単に防げるわ」


「簡単に言うな! 万が一、大気中から魔力を得たとしても、それだけの膨大なエネルギーを操って肉体が無事で済むはずがない! そうだろう!?」


 ジークの言う通り、膨大なエネルギーを操るにはその負荷に耐えうる強度の肉体を必要とする。確かに、彼女の保有している魔力量はそれに到達していないが、それは肉体強度の成長に魔力の増幅速度が追いついていないだけの話だ。


 イグニスと訓練しているのだから、少なからず大気中から保有魔力以上の力を制御する方法を学んでいる。これができるのは魔王軍の中でもかなり限られた者だけだが、彼女にはそれを達成するだけの才覚と実力があったのだ。


「信じられないのなら、所詮はその程度ということよ。私の主君は、もっと凄いことだってできるんだから」


「ありえない……。ありえないぃぃぃ!」


 ジークは現実逃避をするあまり、自分の髪の毛を怪力でむしり取ってしまった。目からは血の涙が溢れ出ており、どうやら開放した力の制御も限界が近いらしかった。


「そんなことして、本当に大丈夫かしら? 髪の毛は大事にした方が良いと思うのだけれど」


「黙れ! そんなこと心配される謂れはないわ! 貴様みたいな化け物になぞ、構っている時間は、ない!」


 ジークは迷いなく転移石を取り出して握りつぶした。すると、拡散した魔力によって彼の足元に魔法陣が描かれ、水色に輝き始めた。


 何が起ころうとしてるのか本能的に察知したルナは、彼を逃すまいと最速で距離を詰めて刃を振るった。横一文字に振るわれた剣先がジークの首を捉える直前、眩い光が彼の姿をどこかへと連れ去ってしまった。


 一撃を躱されてしまったルナは空中で回転し威力を殺しつつ岩壁に両足を押し付けて完全に停止、そこから跳躍をして見事に着地を決めた。


「逃げられたわね。彼が今回の一件の首謀者、というわけではないでしょうけれど。重要な手がかりを……。でも、今は気にしてる場合じゃないわね。一刻も早く、アテナ達と合流しないいけないわ」


 ルナはすぐに気持ちを切り替えて、ゆっくりと剣に込められた魔力を大気中へと分散させながら元来た道を後退していく。彼女が仲間達と再会するまでの僅かな時間で、他の誰にも見せないような苦渋と屈辱に塗れた感情を顔色として吐き出していたことは彼女しか知らないことだ。

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