第10話 まだだ、まだ奥の手がある! は大抵がフラグな件

 ルナたちが洞窟へ入ると、すぐにでも組織の構成員と思わしき黒装束たちが現れ行く手を塞いだ。


 しかし、敵の下っ端の戦闘員如きがイグニスの剣術を受け継いだ魔王の配下に敵うはずもない。彼らは剣を構えるも、瞬く間に視界がぐらつき地面を水平に眺めている。


「侵入者だ! 出会え、出会え!」


「駄目だ! こいつら強すぎ……ぐあぁぁぁぁぉ!」


「おい! 早く『番犬』どもを連れて来い!」


「それまで足止めだ! 五人くらい何とかしろ!」


 洞窟内は意外と広く、どこかの地下神殿のような明らかにアジト用に改造されたまともな通路になっている。そのため地の利は相手にあり、そこら中の通路からワラワラと敵がやって来る。


 しかし、出てきたところから順当に屍へと成り果てているため、彼らの死体とその血で通路の所々がパズルのピースを当てはめるように埋まっていく一方だ。


 とうとう品切れになったのか、賊は通路から現れなくなり辺りが一気に静まり返る。彼女らは魔力で作った剣を消すことはせず、まだ辺りに警戒心を張り巡らせる。


「油断しないで。十五人は斬ったけれど、残りがいないわ」


「ルナ様、もっと奥へ行く必要があるのではないでしょうか?」


「確かに、アテナの言う通りかもしれない。けれど、何だかきな臭いわね。まるで誘われているみたい」


 それに、引っかかるのは彼らの言っていた『番犬』というワードだ。明らかに彼らにとっての奥の手の一つだが、その『番犬』も姿を表す気配はない。


「……進みましょう。これ以上、ここにいても出てきてはくれないみたい」


 ルナの号令に従い、全員が奥へ奥へと歩みを進めていく。それからはなんの変哲もない一本道が延々と続いており、どんどん奥へと彼女らは誘われていく。


 そして、ようやく辿り着いたのは最奥の部屋と思わしき大広間だ。天井は見上げるほどに高く、教会の聖堂くらい広いその部屋は神聖さの欠片もない。


 むしろ、先程までの通路よりもカビ臭く、ほんの微かだが血の匂いも鼻腔から肺の奥へと染み込んでくる。よく見ると岩肌になっている壁には所々に鉄格子が嵌められており、その奥はどこも空洞になっている。


 鼻が曲がりそうなほど酷い臭いの原因はそこからだが、何がいるかはまだ窺い知れない。だが、一つ明確に分かることはパンドラの箱の中にはロクでもないものが詰まっているということだった。


「よく来たね、侵入者たち」


 この部屋の一番奥には不自然にもアンティークな椅子が配置されており、そこに腰掛けていた人物が立ち上がって彼女らに挨拶をした。騎士の鎧を纏った彼はは一歩、一歩と前に出てから静止し、そこで紳士のように右手を心臓に当てて深々とお辞儀をした。


 ルナが前線に出て、アテナがそれに付き従う形ですぐ後ろに侍る。今は彼の正体を知るべく、少しでも情報を引き出す必要があると考えたルナが口を開く。


「あなたは?」


「僕は今回の計画を一任されているジークという。遍く知恵をこの手に掴むため、我ら『魔導叡智研究会』はお前たちを阻ませてもらう」


「魔導叡智研究会? それが、あなたの背後にいる組織なのね。あなたたちはこんな辺境の土地で何をしようとしていたの?」


「僕たちの崇高な理念を理解できる者はいない。けど、きっと君たちは一部の理解できる者たちの礎にはなってくれるだろうと信じている」


「つまり、素直に話すつもりはないのね。あなたが強気なのは、もしかして檻の中にいる彼らが原因かしら?」


「そうだね。そして、こいつら『番犬』の準備は今しがた整った。さあ! 『番犬』ども! 我ら研究会に向けられた牙を砕きたまえ!」


 ジークが大袈裟に腕を振り上げて高らかに侵攻の宣言をすると、あちこちの鉄格子がほぼ同時に破壊された。そして、中から出てきたのは隷属の首輪を嵌められた怪物たちだ。


 見た目は二足歩行の人間型、全員が一様に黒いローブに身を包んでいるが身長は千差万別、顔はゾンビのように皮膚が爛れていて原型が存在しない。


 しかし、そのどれもが尻尾や角を持っており、間違いなく魔族の成れの果てであることは理解できた。


「酷い……」


「これが、私たちの同胞?」


「あなた、一体何をしたの!」


 ルナとアテナについて来た三人がジークに向かって激情を燃料にした慟哭をぶつける。同胞たちが散々弄ばれた上に、辱められた姿で隷属の首輪を嵌められ戦わされるなど到底許容できるものではない。


 しかし、ジークはそんな彼女らの気持ちを嘲笑うようにニヒルな笑みを浮かべて「くだらない」と一蹴する。


「我らの崇高な使命を果たすために、彼らは尊き犠牲となったのだ。何かを成すためには犠牲は付き物、そんなことも分からんのか。愚人どもめ」


「愚者はあなたよ」


 ジークの真っ当らしい弁論を蹴り返したのは、他でもないルナだった。彼女は殺意の衝動に心を支配されながらも、表面上は落ち着き払った様子で反論する。


「犠牲の上で成り立ったものなんて、歪んだ造物にしかならないわ。あなたたちがどうして同胞の尊厳を踏み躙っているのかは知らないけれど、それが罷り通ったら未来永劫、人々は私たちを踏み付けにすることを何ら疑問に思わないでしょう。今の世界のように、私たちは虐げられ続ける」


 ルナはイグニスに拾われて暮らした三年間の屋敷生活を、映画のフィルムを流し見るように思い返す。


 イグニスの父、母からは鬱陶しそうな視線を向けられ、同じ屋敷の使用人からは普段は石ころのようにいないものとして扱われ、裏では陰口を叩かれる日々。


 時々ではあるが、父の方からは下品な視線を向けられることもある。自分の体を虎視眈々と狙っている野獣のような醜い笑顔は背筋を凍り付かせ、胸の内から弾けそうになる嫌悪感を抑えるために無表情な人形を装うのにはいつも苦労させられる。


 いつ何をされるか分からない状況でも、こうして無事でいられるのはイグニスのお陰だ。魔王であるイグニスが常に側にいるからこそ相手も行動に出たりはしないが、もしも彼がいなければあそこは敵の城の真っ只中。


 イグニスと一緒にいるための名目上で使用人という体を使っているのでそこまで気にしてはいない。いざとなれば、相手を倒して逃げることも現在なら十分に可能だろう。


 しかし、これから先も魔族としての自分の立場を変えない限り、永遠にこの拷問のような生活を今度は人間社会で送らなければならなくなる。


「それじゃあ、意味がない。私たちは、私たちの尊厳を取り戻す為に戦っているの。だからこそ、こんなふざけたことをするあなたたち研究会とやらを見過ごすことはできない」


 怒りで作った拳をギュッと握り締め、ジークに向けた殺意を滾らせる。空気は徐々に重く苦しくなり、もはや話し合いなどと言っている状況でも無くなった。


「問答は終わりかな?」


「残りは無理矢理にでも聞き出すから、大人しくやられなさい」


「戯けが! やれ! 『番犬』ども!」


「「「うがぁぁぁぁぁぁぁ!」」」


 獣のような低い唸り声を上げながら、彼らは腰に引っ提げていた剣を引き抜いて構えた。そして、合図もなしにそのうちの一体が駆け出し、彼らに向けて剣を振るった。


「ルナ様! ここは私が!」


 お供の一人が率先して敵へと斬り込みに行く。刃同士がぶつかり合い、甲高い金切り音を響かせ力が拮抗した。


「何、こいつ……。魔力量が、並大抵じゃない……?」


「ふはは! どうだ、我らが開発した『番犬』の力は! 魔力を肉体の限界以上に強化し、敵を圧倒する特攻隊へと生まれ変わらせたのだ! その反面、副作用に耐えられず体の一部は崩壊、思考力は低下するが、そんなものは戦うだけの獣に不要なもの! さあ、我らの叡智の前に跪け!」


 魔力で強化した肉体でもせめぎ合うほどに彼の力は強かった。それを皮切りに他の『番犬』たちも交戦を始め、他の四人も戦いに加わる形となった。


 最初は完全に数の多さと力の差で押し負けるかと思われたが、そんな状況は一分と続くことはなかった。


 三人が足止めに留まっている中、ルナとアテナは相手の動きを見極め攻撃を交わし、容赦なく首を斬り落とす。首輪が繋がれているせいで狙いが細いにも関わらず、非常に正確な軌道で確実に相手を停止させているのは流石と言ったところだろう。


 そして、アテナは交戦をしながら解析した魔力分析の結果を全員に伝える。


「皆んな、よく聞いて! こいつらは魔力量は大したものだけれど動きは単調よ! 冷静になれば対処できるし、魔力の消費も激しいみたいだから長くは戦闘できない! ですよね? ルナ様!」


「ええ、流石は私たち魔王軍の軍師ね。あなたなら、必ずや問題解決の糸口を見出せると思っていたわ」


 もはや、ルナに至っては敵を見ることすらしていない。まるで舞踏会でダンスをするかのように剣を振い、剣先から放たれる魔力の軌跡が彼女を美しく彩った。


「流石はルナ様……。魔王様から直接に手解きを受けた最初の魔王軍配下です。私も、まだまだ未熟者ですね」


 アテナもそれなりに実力を身につけて来ている実感はあるが、彼女を前にするとそんなことすら口にするのもおこがましく思えてならない。後ろから斬りかかってきた相手の剣を、背中に回した黒剣で受け止めつつ自分も更に剣技を高めないといけないと叱咤する。


「私たちも、負けていられない!」


「ええ!」


「その通りだわ!」


 ルナとアテナ、二人の戦いぶりを見て鼓舞された三人も負けじと敵を斬り捨てていく。確かに力は強いが、本能に従って戦っているだけの野獣に過ぎない彼らが研鑽を積んだ者たちに勝てるはずもなかったのだ。


「何なんだ、何なんだこれは……!」


 徐々にどころか、たったの一瞬で形勢逆転させられて困惑の色がジークの顔に滲み出る。


 最初は完全に勝利した気でいた。数で押された彼女らがズタズタに引き裂かれ、自分の前に頭を垂れて這いつくばって「助けてください」と命乞いをする。


 そして、そんな彼女らを慈悲深くも助け、自分たちの研究の礎にするはずだったのだ。


 それが今や、自慢の兵士たちは次々と倒されていき、やがて一人残らず『番犬』なる捨て駒の兵士たちは屍と化した。


「馬鹿な……。こちらは三十もの兵を用意したのに、たったの五人に蹴散らされたというのか!」


「ルナ様、どうやら事前情報にあった三十人というのはフェイク。実際は予備の兵隊をこの部屋に用意していたようですね」


「でも、それも全て吐き出させたわ。これで、ここでの計画とやらも終わりね」


 ルナは出来上がった死体の海を渡り歩き、ジークの二メートル手前まで進んだ。そして自らの剣先を敵の総大将に向けて、凍てつくほどの殺意を放ちながら言葉を紡ぐ。


「さあ、どうするの? 残ったのはあなた一人だけのようだけど? 私たちと交戦するのか、それとも投降するのか。選びなさい」


「ふふ、ふは、ふははははははは!」


 彼が不気味にも狂人っぽい笑い声を上げたので、ルナは眉を顰めてその真意を問う。


「どういうつもり?」


 彼は笑い声を止めると、口元に大きな三日月を浮かべながら鎧の隙間から一つの水晶玉を取り出した。それは透明色なもので、見た目は何の変哲もない水晶玉だった。


「まだだ! 私にはまだ、奥の手がある! 我々の研究と研鑽の成果は何も『番犬』だけではない! 我らはついに、魔物すらも操る術を身につけたのだ! これはその完成体の一つ、白の大蛇『ブラン』! 貴様らでは、かの巨体が持つ堅牢な魔力の鱗を破ることは敵わん! さあ、出でよ! 我が僕よ! こいつらを、八つ裂きにしろ!」


 彼は水晶玉を高らかに掲げて宣言する。どんな怪物がやってくるのかと身構えた五人だったが、しかし、そこから何かが起こることはなかった。


「な、何故だ? 水晶玉によって制御されて……っ!? やられている、だと!?」


 彼が持っていた水晶玉は、本来なら紫色の光を放っており魔力を操作することで下僕を自由に操れる代物のはずだった。しかし、今の水晶玉は本当に何の変哲もない水晶玉で、大蛇の方は彼が始末してしまっていたのだ。


「……そういうこと。この危機を察知して、彼は動いていたのね」


「まさか、魔王様が!? 流石は魔王様! 私の敬愛せしお方! 何て、何て格好いいのでしょう〜!」


「ふざけるな! こんなことがあっていいはずがない! あっていいはずが、ないのだ!」


 怒声と共にパリンという音が破片と共に飛び散った。彼は怒りのあまり、水晶玉を地面に叩きつけたのだ。


「だが、こうなってしまった以上は僕も覚悟を決めよう。我が身を、研究会の礎とする為に……!」


 彼は懐から血を煮詰めたような色の液体の入った注射器を取り出すと、それを迷いを振り払うかのような思いっきり首筋へと突き刺し体内へと注入した。


 直後、彼の体に変化が起きた。全身が沸騰するように熱くなり、体内で筋肉や骨が暴れ回っては壊れ、再生して何か別のものに作り替えられていく。


 ボキボキ、ボキバキ、ボキボキメキ!


 彼の身長は三メートル近くに膨れ上がり、腕や足が肉達磨のように太く不格好な姿に変身した。しかし、注目すべき変化はそれらではなく、頭に生えた一対の黒い角だろう。


 そういった人間由来ではない特徴を持つのは本来なら魔族のみ。赤く爛々と輝く双眸には殺意の炎が宿っており、目の前の標的を燃やし尽くさんと視線を離さない。


「これは、まさか……。魔族への転生?」


「ルナ様、そんな馬鹿なこと……。人族が魔族になるなどという話は聞いたことがありません! でも、この状況を説明するには……」


『驚いているようだな。これが、研究会がもたらした叡智の具現! 我らは人族でありながら、魔族としての力を手にしたのだ! 容姿が変わるのは欠点だが、それも今後の研究次第。僕は、その尊い礎になることができたんだ! さあ、覚悟するがいい!』


 注射した液体の効果なのか、魔力まで先ほどの比ではないほどに増加している。魔力の奔流が五人を飲み込まんと圧倒する中、ただ一人ルナだけは一歩前に進み出た。


「ルナ様! 何を……」


「アテナは三人を連れて後退なさい。すぐに彼へと知らせを入れるの。私は、こいつを……狩るわ」

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