第9話 魔王の部下は、何もせずとも魔王に畏敬を示す
暗き天上の世界で輝く黄色い微笑みを覆い隠す暗雲から、彼の内なる気持ちを表す涙が降り注ぎそうな夜のこと。
隣国との国境線に当たるプエラ山脈の岩肌に開けられたとある洞穴を、一番手前の木々の一本を識別するのがやっとな鬱蒼とした森の中から監視する集団が潜んでいた。
構成人数は十人程度、全員が顔を見られないように魔力で編んだ黒いフード付きのローブを羽織っている。魔力で作られているため防弾・防刃といった防御性能の高い優れものである。
また、魔力の量を調節することで光の屈折率と反射率を操作して周囲の景色に紛れる迷彩機能付き。洞穴の入り口付近に見張りは二人、どちらも彼らの存在には気づいていない。
ローブのうち、二人が互いに示し合わせると茂みの陰から素早く飛び出す。暗闇を滑るように瞬時に敵の兵士の前へ躍り出ると、華麗なダンスのお辞儀代わりに首を斬り飛ばした。
「やはり、強さ自体は大したことないわね」
ローブの一人、ルナは足元に転がる亡骸を一瞥してもう一人に話しかける。
「ルナ様、作戦ではこちらの人数の半数を割くとのことでしたが、正直に言って今回は私たち二人でも良いのではないですか? 戦ってみたところ、そこまで強いとは思えないのですが……」
もう一人のローブ、アテナは彼女に畏敬を払いつつ作戦変更を申し出る。彼女はこの部隊の参謀に当たるので、その提案を完全に無視するわけにはいかない。
「確かに、アテナの言うとおりかもしれない。けれど、あの子達にも現場の経験を積ませないといけないわ。全員を監視役に回しても、あまり効果的ではないでしょう?」
ルナの意見を踏まえて、アテナは顎に手を添えて思考する。ルナは魔王軍の最初の構成員であると同時に、魔王イグニスに次ぐ強さを持つ存在で全体指揮を一任されている大将軍だからだ。
そんな彼女の意見だから素直に聞くべきか……などとアテナは考えない。それは思考停止であり、その判断が全体の作戦成功云々を左右するからだ。
事前調査によると、中の構成員は三十人規模だが自分たちの気配に気づけない構成員が何人集まろうと雑魚は雑魚。ルナとアテナが前に出れば、他の者たちに何もさせなくても作戦を終わらせることすら可能かもしれない。
かと言って、彼らに全て任せることもできない。経験の浅い者たちを前線投入しても連携もまともに取れないだろうし、想定外の事態に陥ったらパニックになってアテナやルナの指示を聞かないかもしれない。
もちろん、そうならないよう訓練は積んでいる。ただ、実戦と訓練では大きな差があることを痛感してもらうということも一種の経験になるはずだ。
結論として、作戦は変えるべきではないと判断するに至ったのだった。
「……では、今回は当初の予定通り半数ずつに分けましょう。人員配置も事前の打ち合わせ通り、私たちは後方で援護のみに徹します。これも打ち合わせ通り、彼らが危険に陥った場合はルナ様が洞窟内を、外は私が面倒を見ます」
「それでいいわ。私たち二人ばかりが戦っても部下は育たない。むしろ、私たちはここぞと言うときのために戦力を温存する必要があるもの」
「仰る通りです」
話がまとまると、ルナはパンパンと手を鳴らして待機させていた仲間たちをこちらへ呼ぶ。すると、茂みの中から突如現れたかのように指揮官である二人の前に姿を現した。
シルエットはどれもこれも子供らしく背丈が低く、吹けば飛びそうにすら見えるほど華奢な体つきをしているが侮るなかれ。
彼らはルナやアテナといった精鋭から地獄を想像しても生温いとされる訓練を受けてきた者たちだ。経験が浅いと言っても、全く戦えないわけではないどころか、並の軍隊なら小隊規模以下で壊滅させられる。
「あなたたち、前回戦闘に参加しなかった子達は洞窟内へ行くわ。敵はあまり強くないとは思うけれど、物量がある。自分の体力に注意しつつ、油断して転ばされないようになさい。敵の統領は捕虜にして尋問、他は鏖殺よ。残りは外の見張りをお願いするわ。怪しい人物は見逃さず、ここへ近づく魔物は確実に狩ること。ただし、できるだけ姿を見られないように心がけなさい。私たちはまだ弱いのだから、魔王軍の存在を露見させるわけにはいかないわ。全体の最終目標は捕虜の確保、および情報収集。必ず成し遂げましょう」
「「「はい!」」」
高く上品な声色から察するに、どうやら構成員は全員女性らしい。今のところ、魔王軍にいる男はイグニスのみで、他は全員女性だ。
これにはちゃんとした理由が存在する。魔族は基本的に男が生まれやすく、女は生まれにくい傾向にあるが、総魔力量が多いのは決まって女の方なのだ。
魔族は人族より寿命が長く、身体能力などの面で生物的な強さを圧倒する分、全体の数が少ない。よって、確実な種族繁栄を促せるように女性は魔力量が多く強い傾向にある。
これまで助けた魔族の中にも男はいたものの、ルナはあまり重要視していなかった。無論、彼らは庇護の対象にはなるが現在の魔王軍の規模では彼ら全員の面倒を見るのは不可能だったからだ。
故に、彼らには逃げる術を教えて来るべきときに迎えに行くことだけ伝えておく。無事に逃げ延びることができたのなら、その時は魔王軍に迎え入れて育成することを約束として取り付けている。
逆に、女は強くなる見込みが高いので魔王軍の戦力として積極的に取り入れた。数もそんなに多くないので受け入れは容易だし、実際、三年で三十人ほどしか集まっていない。
それに、強い女は強い男と交わることでより強力な魔族を産める。その男が誰のことかは明言しないが、これも全てはルナ、そしてアテナの思惑通りである。
「さあ、では行きましょう」
「あの」
「……何かしら?」
本来なら作戦中に私語は厳禁。しかし、不安が残ると全体の士気に影響しそうだったので、ルナは取り敢えずは聞いてみることにした。
「魔王様がいらっしゃるとのことでしたが、あの方はどちらに?」
「ああ、彼のこと」
そう言えば、彼の姿が見当たらない。本来ならここで合流してから一緒に洞窟へ入る手筈だったのだが、ルナはすぐに彼の意図しない意図を読み取り微笑む。
「心配しなくても、そのうち来るわよ。彼は今回の作戦の重要性を理解していると同時に、あなたたちのの育成も視野に入れている。この作戦を彼に話した時、とても褒めてくれたわ。本当は前に出て戦いたいみたいだけれど、今回は譲ってくれたの」
「そうなのですか?」
「流石は魔王様」
「我らの希望ね」
「だから、彼は来たるべき時にやって来る。私たちがピンチの時は、その篝火で私たちを勝利へと導くでしょう。きっと、彼にはまだやるべきことが残っているはずだから」
「流石は魔王様! 私やルナ様でも及ばない考えを巡らせているのですね!」
アテナもありもしない彼の偶像に心酔する様を見せるが、ルナが咳払いをしたことで蕩けた口元を引き締めた。
「今度こそ、行くわよ。無駄口厳禁、作戦のこと以外は考えない。いいわね?」
今度は真剣な空気の中、全員で静かに頷き行動を開始する。ルナとアテナは部下三人を引き連れてら暗い洞穴の中へと足を踏み入れた。
さて、その一方でイグニスは何をしてるのかと言えば……。
「さあて、久々に大物を狩ったぞ! 手応えもそこそこ、良いストレス解消になったかな〜」
体調十メートルにもなりそうな巨大な白い大蛇の前で、良い運動になったことに満足しながら背伸びをしていた。硬い外皮に守られた鱗の所々に拳の痕と思われる凹みが観察でき、内臓を潰されまくったらしい森の主とも呼べる存在は全身から赤い体液を流しながら泡を吹いてピクリとも動かなくなっていた。
「それにしても、魔力の流れが不自然だったな〜。まるで、誰かに操られてたみたいだったけど……。まあ、いっか。僕に出会ったことが運の尽きってことで」
この大蛇、実は例の集団が護衛用に用意した強力な魔物だったりするのだが、そんなこと微塵も気付いていない彼はとある事実に気がついた。
「あ、集合時間忘れてた。どうしよう、もう既に作戦始まってるよね? このまま戻ったら、何をしてたんだって怒られるかも……」
そう、イグニスは別に作戦に重要なことがあるから行動していたわけではない。単に、強敵がいたから戦闘に興じていたら約束をすっぽかしてしまっただけなのだ。
「まあ、部隊を育成するってアテナも言ってたし、僕が遅れたのは皆んなの経験値のためってことにすれば……。でも、そうなると強力な魔族はどうしよう……」
遅れることの言い訳は成立しても、そうなると自分の獲物をミスミス逃すことになってしまう。今から行っても戦闘は始まっているだろうし、このままだと参加しても出番なしで終わりそうだ。
「無理やり見せ場を作っても仕方ないし……。今回は、彼女たちに任せようかな。それよりも、もっと強力な魔物を倒して遅刻の言い訳を盤石にした方がいいかも」
その時だ、彼が張り巡らせていた魔力感知に反応があった。今の大蛇より強力な存在がプエラ山脈方面の森の中に潜んでいるらしい。
「あっちは確か、作戦にあった洞窟とは方向が違う気がするけど……。まあ、強ければなんでも良いよね。せいぜい僕の経験値にでもなって、ついでに手柄を持ち帰らせてもらおうかなっと」
イグニスの嗅覚が求める強敵の元へと、彼は森の中を飛ぶように駆け抜けていく。
この時、イグニスは前世の反動でリスクやスリルを求めるジャンキーになっていたことを彼はまだ知らない。
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