第5話 五歳の僕、魔王になる。
檻に閉じ込められた少女は、恐らく魔族の中でも稀少で長寿命、聡明、美男美女が多いとされるエルフだ。
この世界における種族は基本、人族と魔族の二種類。僕のような人間が人族で、それ以外の特徴を持つのが魔族、それだけの違いだ。
しかし、大きな違いでもある。魔王が破れて人族の勇者軍が勝利した太古の大戦時代以降、それら特徴の有無により彼らは奴隷かもしくは家畜同然として扱われ、一部の国を除いて彼らに人権などないに等しい。
とはいえ、彼らだって馬鹿ではないはずだ。人族側が勝利したからって、大人しく隷属しペットよりも惨めで残酷な生活を受け入れるだろうか?
少なくとも、僕ならしない。何らかの方法を用いて、人族に溶け込んで生活をするようになるだろう。
魔族は魔力が豊富、であるならば僕みたいに魔力で姿を偽装するか、あるいは魔法でも使って姿を隠すだろう。
数自体は多くないはずだし、群衆の中からたった一人の偽装された魔族を見つけるのは普通の人間には容易じゃないはず。
理論上、人族と頑張って共存していくこと自体は可能だ。ただし、彼女みたいな力や知恵の足りなかった幼子以外は。
恐らくだけれど、魔族の集落からはぐれたか、もしくは集落が襲われて奴隷として狩られてしまった口だろう。
見たところ、年齢も僕くらいだし普通なら一人で生活していくことは困難だ。増して、頼れる大人や隣人もいない状況ではむしろ、奴隷に落ちていた方が生きること自体はできるはずだ。
まあ、まともな人生道を歩むことができるとは思えないけどね。
せっかく見つけたし檻の中に閉じ込めておくのも可哀想だから、僕は助けることにした。
元々、僕は転生した影響でこの世界の価値観には興味がないし、こんな誰にも見つからないような場所で魔族一人を見逃したところで罪に問われることもないしね。
強いて言うなら、見殺しにすると寝覚めが悪くなるから助けるってくらいだろう。僕にとって彼女の価値とは、その辺で暮らす虫や小動物と大して変わらないのだ。
「待ってて。今、鍵を壊すから」
魔力で作った剣で鍵を一刀両断し、ついでに檻の扉も壊しておいた。これなら、自分の足で逃げることも可能だろう。
「それじゃあ、僕はこれで。あまり長居してるとまた奴隷にされかねないから、さっさと逃げるんだよ」
剣を分解して踵を返そうとした時、自分の服がグッと後ろに引っ張られた。振り返ると、彼女は僕にしがみついて縋るような瞳で見上げていた。
「一人にしないで! 置いて、行かないで!」
「……」
あまり気は進まなかったけれど、このままだと離してくれそうにもなかった。悩みに悩んだ結果、彼女を一緒に連れて行くことにした。
「分かった。でも、家には連れて行けないよ。君は魔族だからね」
「……分かってる」
本当に分かっているのか。そう問いたいところだったけれど、一先ずはここを出ることにした。
金貨や銀貨を諦めるのは忍びなかったけれど、この子を何とかするのが先決だった。この時の僕は、ほんの少しだけ彼女を助けたことを後悔した。
外に出て森から家へと帰宅する途中のこと、それは僕たちに襲いかかってきた。
「ぎゃあああおおおお!」
「きゃっ!? 何!?」
「へえ、魔物か。確か、何とかベアードだった気がする」
魔物とは、この世界に生息する魔力で変質した生物の総称だ。強い奴もいれば、弱い奴もいるけれど、こいつは魔物の中でも結構やれる方だと記憶している。
熊の姿をしたそいつは体長五メートル強、周囲の木々と背比べできるくらいデカい。赤い双眸からは肉食獣特有の獲物を狩る時の殺気を漂わせ、こちらが怯えて背を見せるのを待っているように見える。
「盗賊と戦っても、正直ウォーミングアップにすらならなかったからね。君なら、僕を楽しませてくれるのかな?」
「ぎゃあおおおおおおおおお!」
逃げないと分かったからか、巨大な鉤爪を備えた剛腕を振り上げこちらへと容赦なく襲いかかってくる。女の子を背後に庇って自分よりも巨大な生物と戦うなんてハリウッド映画並みのクライマックスシーンだけど……。
「残念ながら、君じゃ役者不足みたいだね。守りを固める必要すらない」
僕は素早く剣を振るうと、振り下ろされたので右腕を切り飛ばした。
「ぎゃあおおおおおおおお!」
「普通なら、痛みで悶え苦しむところだけど反撃してくるか。少しは骨があったみたいだ」
右がダメなら左腕と、奴は熊手を振りかぶって僕の体を引き裂こうとする。殺気は先ほどのものとは比べ物にならない圧力で、後ろに控える彼女の手からは掴んだ服装越しにに怯えが震えとなって伝わってくる。
「なら、君の気迫に免じて力比べをしようか!」
彼の振り下ろした鉤爪に自分の右拳をぶつける。一瞬衝突が起こったものの、彼の立派な爪は粉々となり軸へと貫通、左腕の骨はひしゃげて巨体は吹き飛んだ。
さっきの感触だと、彼の全身の骨は砕け散った。少しだけ右腕に痺れはあるものの、魔力で強化した肉体で魔物を打ち負かしたのだから良しとしよう。
「あの、魔物は……?」
後ろで怯えていた子が尋ねてきたので、これ以上は怖がらせないために言葉をかけておく。
「大丈夫、あれくらい何ともないから。さっきの奴は、時期に死ぬと思う」
「……あなたは、何者なの? あんな大きな魔物をたった一人で……」
「うーん、何者って言われてもなあ。何て説明したら良いのか?」
転生者っていうのは秘密だから、ここヨワイネ領主の長男と名乗るべきか。でも、単なる男爵家の息子がこんな力を持ってることの説明にはならないし……。
「……僕は、単なる……」
貧乏貴族の息子だと、諦めて言おうとした時だ。
「あなたは、もしかして魔王じゃないの?」
「……え?」
「だって魔族に優しいし、こんなすごい力を持っているなんて。魔王以外に考えられない! そうなんでしょう!?」
どうしよう、この期待に満ちた眼差しは……。彼女は僕のことを、本気で魔王ではないかと疑っている。
確かに、ここ百年以内で魔王がこの世に転生するとされてはいるけれど。僕にはちゃんと地球で暮らしていた記憶があるし、僕自身本当に魔王の転生体だとは思っていない。
ここで否定するのは簡単だけど、それだと魔王になるための道が遠くなってしまう。
なら、ここは嘘を吐いてでも乗っかった方が面白いに決まってる!
「ふははははは! よくぞ見破った! そう、我こそが最恐最悪と謳われる魔王である!」
「うわぁ、やっぱりそうだったんだ! ここ百年以内で転生するって噂は、本当だったんだ!」
目を輝かせながら喜びを露わにしているところ悪いけれど、僕は一言も転生したなんて言っていない。いずれ魔王になるのだから、僕はギリギリで嘘を吐いていない。
「だが、すまないな。僕は転生した影響で記憶がない。君が知っていることを教えてくれると嬉しい」
これは、まるっきりの大嘘。取り敢えず、彼女から記憶の補完と称した情報収集を行おう。
「なら、一つ約束して! 私を、配下に加えて! 何でもする! 扱いは奴隷と同じでも以下でも構わない! 使い捨ての駒にされても文句は言わないわ! だから、お願い!」
彼女の必死な懇願、僕は彼女を切り捨てようと思っていたが全て撤回する。彼女には利用価値が生まれた、だから彼女を僕の庇護下に置くことにしよう。
「良かろう、貴様は僕の最初の配下となる。手厚く歓迎しよう、その聡明さを我が軍の再興に、そしていずれは魔族という種族としての権利復活へと役立てて欲しい」
「ええ! もちろん! あなたを失望させたりしないわ!」
さて、これで彼女は僕の配下になったわけだけど、まだ名前を聞いていなかったな。
「さて、では我が最初の同胞よ。貴様の名前を聞かせてもらおうか」
「えっと、名前は……。あなたがつけてくれない?」
「僕が付けるの? どうして?」
「私は今日から魔王の配下。なら、私があなたのものだって証を名前から魂に刻みつけて欲しいの。お願い」
可愛い顔をした少女が吐くとは思えない、とても勇ましい宣言をしてくれたものだ。既にその蒼い瞳には轟々と燃える復讐の炎の如き熱い覚悟の意志が宿っていた。
彼女は最初の配下、ならば彼女の願いを聞き届けるのも魔王としての器量ではなかろうか。
「良かろう。では、魔王の記念すべき最初の配下である貴様に名を与えよう。さて……」
恰好よく決めたは良いけれど、僕は名前をきちんと付けられる自信がない。大見得を切った手前、あまり悩んでいる時間もないし……。
……お、そうだ。彼女の髪は銀色で月の光のように美しいし、容姿もきっと磨けば女神のような美貌を手にするに違いないから……。
「貴様の名は、今この瞬間からルナだ」
「ルナ?」
「祖国における月の女神の名前を取った。夜の闇を切り裂く月光のように、我らの未来に栄光をもたらすことを願って名付けた。受け取ってくれるな?」
彼女はその場に片膝をついて傅くと、胸に自身の手を当てて誓いの言葉を告げる。
「その名前、謹んで頂戴するわ。あなたのために、私は今日からルナと名乗り、全身全霊で魔族の再興を果たして見せる」
「期待しているぞ」
「ええ。でも、その前に……」
「何か忘れていたか?」
「あなたの名前を、まだ聞いていない。私は、あなたを何と呼べばいい? やっぱり、伝承の魔王通りの名前? それとも、今は別の名前があるの?」
「僕の名前は、ネ……」
いや、辞めておこう。僕自身、残念ながら今の名前はあまりお気に召さないのだ。
魔王軍の総大将たる魔王がネオ・ヨワイネなんてダサすぎる。特に、ヨワイネっていう部分が弱いねって言ってるみたいで嫌だ。
僕は良いことを思いついた。せっかく魔王が転生したと勘違いをしているのなら、この名前を名乗った方が都合が良いだろう。
「僕の名はイグニス。この世界ではかつて強大な魔王と恐れられた存在だが、祖国では篝火を意味する言葉だ。我らの再興を導く篝火に、我がなろうではないか」
「イグニス……。うん、きっとあなたのような人がその名前を継承したなら、今は亡き魔王も文句は言わないはず。とても良い名前だわ」
「一応言っておくが、僕は人間社会に溶け込んで生活している。表ではネオ・ヨワイネと名乗っているからそのつもりでいてほしい」
「ネオ・ヨワイネ? 凄く弱そうだし、あまりあなたらしくないわね」
無邪気さ全開の言葉のナイフが、心の傷にクリティカルヒットしたような気がする……。割と気にしてることをはっきりと言われて、今にも膝から崩れ落ちたいところグッと堪えた。
うん、やっぱりそう思われちゃったりする? 外部の人間と交流がないからどう思われているのか知らなかったけれど、事前に知ることができてむしろ良かったと思うべきか。
「あ、でも逆に言えばだからこそ人の社会に溶け込んでも、魔王だとバレないのよね。まさか、自分の名前を貶めてまで正体を隠そうとするなんて、恐れ入ったわ」
「そ、そそ、そうなんだよ。うん、そうに違いない」
これは猶更、ネオ・ヨワイネの方が本名だなんて知られるわけにはいかない。この真実は墓の中に入るまで隠し通そうと心に誓った。
「震えているけど、大丈夫? 夜だし、少し冷えてきたし、風邪でも引いたの?」
「そんなことはない。これは、その……。武者震いだ。これから、我らの尊厳を取り戻すための戦いが始まるのだからな」
「ええ、そうね。そのためにも、まずは仲間を集めないと。情報収集もして、どこから切り崩すか考えないといけないわ。でも、その前に記憶を失くしているイグニスに今知っていることを話して………くしゅん」
とても可愛らしい少女のくしゃみで、今の状況を思い出した。彼女は服とも呼べないボロ切れを身にまとっていて、その上、お風呂にも入っていないから悪臭も酷い。こんな寒い中、女の子を目も当てられないような恰好で立たせている方が鬼畜の所業だろう。
「屋敷に帰りたいところだが、その前に自分の姿を偽る術を教える。その上で、屋敷の者にはルナのことを拾った奴隷だと家族には話しておく。不服かもしれんが、今は我慢して……」
「あなたの奴隷なら望むところよ」
「……え?」
「あなたの奴隷なら、望むところよ!」
「いや、ちゃんと聴こえてるよ! そういうのは遠慮しておくから、ね?」
「……そう」
どうして残念そうな顔をしているのか疑問だけれど、取り敢えずのところ話はまとまったので良し。更に冷え込んでくる前に、やることをやって屋敷へ引き返そうじゃないか。
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