第18話:姫乃澤うるる
「飲んでる〜?」
そう言って姫乃澤うるるが俺のグラスにビールを注いでくれた。一旦はハイボールに移行していたが、ビールに戻ってきた。
場所は居酒屋。さっきのカラオケ店を出て二人で飲みなおそうということになり、近くの居酒屋に入ったのだ。
正直、もうちょっと雰囲気の良い店もあっただろう。でも、ここはチェーン店の普通の居酒屋だ。少し前の俺に言いたい。『もう少し考えて行動しろ』と。
「黒木くんには恥ずかしいとこばっかり見られてるから、こうして話すと恥ずかしいなぁ」
この完璧な人のどこに恥ずかしいところがあるというのか。二人席のテーブルの向かいの彼女を見ながら思う。
「卒業から10年経ってるし、今だからってことで話せる話もあるよね」
俺は姫乃澤うるるに注いでもらったビールを一口、二口あおって言った。『豚みそ』好きだからまた店に行きたいって言うつもりで、前振りのつもりでそんなことを言った。
「……じゃあ、今更だけど、ごめんなさいもOK?」
「もう、今となっては何でもOKでしょ」
姫乃澤うるるのことだ。そうたいした『ごめんなさい』は出てこないだろう。話を聞くという口実と共に彼女と話ができるのだから、これは役得というものだ。
「『ぴょん吉』だけど……」
「は?ぴょん吉?高校の?」
「うん、そのぴょん吉」
彼女は持っていたビールグラスをテーブルに置き、うつむいて神妙な様子だった。俺としても予想の斜め上の単語が飛び出してきて変な声が出た。
「『ぴょん吉』って私が名付け親なの」
「は!?」
10年越しにぴょん吉の名付け親を発見した!……てか、そのセンスよ!
「……もっと言うと、ぴょん吉を拾ったの私なの!ずっと面倒見てもらってありがとうございました!」
「はぁ!?」
姫乃澤うるるが座ったままテーブルに額が付かんばかりに頭を下げたのを見ても俺には事情が全く分からなかった。
……
「……という訳なの」
「あー、そういうこと。よくウサギとか拾ったね。まさか野良ウサギだったとは……」
姫乃澤うるるがウサギを拾ったこと、草薙先生に相談して生物部が面倒を見ることになったこと、ウサギの世話をしてもらっていることに対してお礼を言いそびれてずっとそのままになってしまったことなどを聞いた。
「いいよ、俺もぴょん吉の世話して癒されてたし」
「そう言ってもらって私も長年の胸のつかえが取れた思いです」
じゃあ、その急な敬語やめてくれ。
とりあえず、お互い気を取り直してビールを飲んだ。多分、俺も彼女も既にお腹いっぱいだ。でも、お酒だとちびちび進めることができるから不思議だ。これが水やジュースだったらもう一口も飲めない程度にはお腹いっぱいだった。
考えてみれば、一次会で中華を腹いっぱい食べた上にお酒も割と飲んだ。二次会ではお腹いっぱいのところにハイボールやビールをさらに飲んだ。ポテトやピーナツもこれでもかと食べた。
そこを抜け出して居酒屋に来た時点でお互いお腹いっぱいな上にもう飲めないと思えるほどには食べて、飲んでしまっていたのだ。
しかし、姫乃澤うるるは、ウサギの件を告白したことで肩の荷が下りたのか、さらにビールを飲んで分かりやすいくらいに酔っぱらっていた。かつての学校のアイドルが居酒屋のテーブルに突っ伏してニヤニヤしている程度には酔っぱらっていたのだ。それぞれお互いの家のことなんかも話した。
俺はたまたま彼女の実家の仕事である定食屋のことを知っている。学園のアイドルでお嬢様だと噂があった彼女は、実は定食屋の娘だったことを知っている。
改めてそんな話をしながら、彼女はその分、『食』に興味があったことなども話してくれた。
多分、在学中は誰にも話せなかった話題。
俺は俺で平凡すぎる自分の家の話もした。平凡すぎて彼女にはつまらないかもしれないと思ったけれど、彼女は興味を持って話を聞いてくれた。
そして、ここにきて彼女はワインを注文した。まだ飲めるのかよ。
「ぶっちゃけ話がOKなら、一つだけ姫乃澤さんに聞きたいことがある」
今度は俺のターンではないだろうか。ずっと気になっていたあの話を聞くことにした。多分、今聞かないと一生聞くことができないだろうから。
「なに?なにかな?なんでもいいですけど」
だから、その敬語をやめれ。
なぜ、これまでテーブルに突っ伏して学園のヒロインとは思えないほどだらしない姿だったのが、急に座りなおして、背筋を伸ばし、汚れてもいないスカートの太ももの辺りをぱっぱと払って答えたのか。
「高2の冬ごろだったと思うけど、放課後に学校の近くの公園にいなかった?」
「なにそれ、私って不思議ちゃん?」
「ほら、しばらくブランコにずっと座って……」
「暗っ」
「その……泣いてたのかなって……」
「あ……」
最初は冗談と思ったのか、はぐらかそうと思ったのか、適当に話を合わせているようだったけど、泣いていた話をした時思い当たったのだろう。明らかに彼女の反応が変わった。
テーブルの上の紙のおしぼりを急に畳みなおしたり、しきりと耳を触ったりして落ちつきがない。分かりやすく動揺している。
「やっぱりね。見間違いかもしれないと思ってたけど……。あの時なんで泣いていたのかなって……。ずっと気になってたから、今なら聞けるかと思って」
「ふーーーーー。あれを見られてたか……。恥ずかしい……」
姫乃澤うるるは観念したように肩を落として言った。
「ほら、さっき言ったみたいに私の家ってそんなに裕福じゃないでしょ?」
「……」
うんとも違うとも答えにくい質問に同意を求めてきやがる。
「私も大学に行きたかったの」
そう言いながら、彼女はワインのボトルを手にとって、俺と彼女のグラスにワインを注いだ。
「大学に行くにはお金がかかる。私の頭じゃ私立しか受かんないから奨学金が絶対必要で……」
「うん」
「奨学金で行きたかったけれど、成績が1歩届かなくて、大学を断念したときだったの。公園で絶望していたとき……それを黒木くんは見たんだと思う」
「……そっか」
姫乃澤うるるはテーブルの上のなにもないところを見ていた。彼女にとっての人生の大きな挫折の瞬間だったのかもしれない。
「知ってる?奨学金って一口に言っても、返さなくていいやつと返すやつがあるの」
「そうなんだ」
「しかも、大学によっては成績が良いと学費を免除してくれたり、割引してくれたりするの」
「ああ、そんなのあるね」
「私の場合、学費免除までは頭良くなかったし、奨学金は返さなくていいやつと返すやつの両方が必要だったの」
「ふーん」
「返さなくていいやつはそれなりにハードルが高いの。そっちが取れなくて……」
「そっか。辛かったね」
「……うん。今だから言える……かな。『辛かった』って」
そうだった。彼女は片親で、父親の稼ぎがそんなに多くなかったって言っていた。親子二人で協力して生きてきたのかもしれない。
そんな中、『辛い』と言うことは、彼女にとって父親の頑張りを踏みにじることだったのかもしれない。
だから、家ではそんな顔は出来ない。学校での彼女はキラキラのヒロイン。学校でも悲しい顔は出来なかったのだろう。だから、そのどちらでもない家と学校の途中の冬の公園で一人泣いていたのか……。
彼女は再びテーブルに頭を突っ伏した。俺に顔を見られないようにしたのかもしれない。
「よしよし」
「……」
酔っていたからか、俺はテーブルに突っ伏している姫乃澤うるるの頭をなでていた。学生時代の俺だったらこんなこと絶対にできなかっただろう。
酔っていなかったら現在だってできなかったに違いない。
「当時もっと仲良かったら俺も少しは慰めてあげられたのにな」
俺がぽつりと言った時だった。
「そうだよ。黒木くんは私の王子様なんだからもうちょっと私の物語に登場してくれても良かったんじゃない!?」
「……ん?」
「……え?」
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