第5話:修理完了
「あの……高校はM高校でしたか?」
「え?……はい?」
俺が洗浄機を見ていた時に、女性の声に話しかけられ顔を上げた。
考えてみれば店はカウンターばかりの10席ほどの小さな定食屋。
40代くらいの少し強面の大将と年頃の看板娘らしい女性。
どうやらその女性に話しかけられたようだ。
それにしても、どうして高校の話なんて……その疑問は顔を上げて彼女の顔を見た瞬間に理解した。
「ひめの……さわさん?」
「あ、覚えてくれてた?黒木くん!」
そう、その定食屋にいたのは姫乃澤うるるだった。
どゆこと?
俺は激しく動揺していた。
人はカテゴライズされた場所以外のところに物があると処理が追いつかない。
ケーキショップのショーケースにエンジンオイルの缶が置かれていたとしたら、意味が分からないでフリーズするだろう。
俺にとって姫乃澤うるるは高校の中でだけ生きている生き物で、仕事先の定食屋にいるはずがないと思っていたので動揺したのだ。
それでいて、慌てた様子を悟られたらサービスマンとしてまずい。
俺は可能な限り平静を装った。
「黒木くん、今 修理の人やってるん?」
「うん……はい、そうです」
社会人なら分かるだろう。
仕事中に会社の人間として知り合いと話すことの難しさ。
しかも、社会人1年目だぞ。
冷たい態度を取りたいわけじゃないけど、馴れ馴れしいのはダメだろう。
俺も今だったらもう少し気の利いた対応ができると思う。
でも、この時はとにかく余裕がなかったんだ。
「洗浄機修理できるん?すごいなぁ」
「ま、まぁ……」
この時点で故障診断がまだだから、修理ができると言い切っていいのか自信がなかったんだ。
洗浄機と格闘すること30分。
ようやく故障原因が見えてきた。
確かに5回動かしたら1回途中で止まった。
その次は7回動かして止まった。
再現性が低い修理だけど、洗浄の途中で止まるとか普通に考えたらおかしい。
機械が強制的に止めていることを予想した。
そして、機械が止まるときってドアを開けた時だ。
洗浄中に追加で皿を入れたいと思う人もいる。
その時、ドアを開けても洗浄を続けていたら周囲は水浸しになってしまう。
ドアを開けたら安全装置が働いて機械は止まるようになっている。
しかし、ドアは開けなくてもこの安全装置が働くということは、ドアの開閉を検知しているセンサーが壊れていて、ドアを開けていないのに開けたと誤認識するからだと予想した。
この場合、センサーの不良と言うことになる。
俺はセンサーを取り出して、テスターで導通を確認してみる。
スイッチをオン/オフさせてみるが、正しく反応したり、おかしな反応をしたり、動作が不安定だ。
つまり、壊れかけ。
正常に動くこともあるのでその時は正しく食器を洗う。
でも、異常な反応をしたときは、ドアが開けられたと誤認識するので洗浄機が止まるという理屈だ。
センサーの部品代は1500円。交換工賃は4000円。それに出張料の3000円を合わせた、合計で8500円が修理代となる。
悪いところが特定できてからの修理は早い。
手持ちの部品の中にセンサーはあった。
手早く交換して、配線をやり直したら終了だ。
「直りました。使ってみてください」
「お、ホント?助かるよ、にいちゃん!」
大将は喜んでくれていた。
その後、数回運転してもらって不具合はないことを確認してもらった。
これで安心だ。
「すごいね、黒木くん。洗浄機直しちゃった」
今度は、姫乃澤うるるに話しかけられた。
修理が終わったら俺は邪魔者。
厨房から出てカウンターの一番奥の客席に座って大将が納得いくのを待っていた。
時間は11時30分。
もうすぐランチタイム。
定食屋さんにしてみたら、12時からのランチタイムは戦争だ。
それまでの少し余裕のある時間のうちに修理できたのが誇らしかった。
「兄ちゃん、助かったよ!これ食べてって!」
有無を言わせずカウンターに定食が置かれた。
勧められたら断ることもできただろう。
でも、有無を言わせず目の前に出されてしまった。
「黒木くん、食べてって。これはうちの名物メニューの『豚みそ』だよ」
これはいただいていくのが礼儀だろう。
「『豚みそ』は『豚のみそ煮込み』の略ね。
うちのお客さんの8割くらいはこれを注文するの」
「そうなんだ。それはすごいね」
目の前のトレイには、大盛りのご飯。
湯気がもうもうのみそ汁。
そして、豚肉とねぎともやしだろうか。
それらが炒められて、赤とオレンジの中間の色みたいな汁に浸かっている。
においはすごくおいしそう。
「食べて食べて。気に入ってくれたら嬉しいな」
「ありがとうございます。いただきます」
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