第12話 桜並木で笑う君
◇
『……恭介君』
桜並木の下で、少女の声が俺の耳に届いた。
振り返ると、桜が舞い散るこの坂で、穏やかな表情で佇む少女がいた。
緩やかな風が彼女の髪をなびかせ、それを右手で抑える姿に俺はただただ見とれていた。
その姿はまるで、ドラマのワンシーンのようで、とても絵になっている。
『どうしたの? 早く来ないと置いてっちゃうよ』
呆然としていると、彼女は無邪気に笑ってそう言った。
俺はそれに首を振って、歩き出した。
「……何でもない。行こうか」
口元に微かな笑みを浮かべて返事をすると、彼女の隣に並んだ。
隣を歩く彼女は、どこか嬉しそうに後ろで手を組みながら歩いている。
『相変わらずすごいよね、ここの桜。毎年見てるけど、何度見ても飽きないよ』
そう言いながら上を向く彼女は、俺に話しかけているというより、独り言を言っているような感じだった。
俺も彼女と同じように上を向いた。
「そうだな。でもそれも、あと少ししたら散っちゃうけどな」
『もう、恭介君はすぐにそういうことを言う。彼女ができたとき絶対そういうこと言っちゃダメだよ?』
「はいはい。もしできたらな」
俺は適当に返事をした。
あしらうような返事に彼女は不満そうな顔をするも、特に何か言うことはなかった。
そしてしばらく無言で歩き、桜並木が終わりに差し掛かったところで『ねぇ』と、彼女は何かを思い出したように声を上げた。
『一つ聞いてもいい?』
「何だよ?」
特に何か考えることなく、先を促した。
すると彼女は真剣な声音でこう言った。
『いい加減、思い出してくれた?』
「……え?」
唐突に聞かれた謎の質問に俺が足を止めると、数歩先で彼女も足を止めた。
「どういう意味だ?」
質問の意図が読めず、俺が聞き返すと彼女は悲しげな顔をした。
『そのままの意味だよ。あたしを思い出したか? イエスか? ノーか? ただそれだけの質問』
突然口調の変わった彼女に、俺は戸惑った
「そ、そりゃあ、知ってるだろ。だからこうして……」
そこまで言って気づいた。俺の中に彼女との思い出がなかったことに。
何故、今の今まで気が付かなかったのか不思議でしょうがない。
俺は彼女のことを知らない。それも名前や性格、俺との関係性に至るまでの全てが。
「……わから、ない」
絞り出すように出した答えに、ふと彼女の顔に影が差し込んだ。
「そっか……」
そう短く言って辛そうに笑みを浮かべると、こちらに背を向けて桜並木を抜けていった。
俺は慌てて彼女の後を追う。
「待ってくれ――」
歩き去る彼女に手を伸ばした。
刹那、強烈な風が俺の前を遮った。
桜は舞い、まるで彼女の元へ行かせないようにと行く手を阻む。
そして、舞う花弁の隙間からは、微かだが彼女の姿が確認できた。彼女は花弁の嵐をものともしていないかのように、涼しい顔でこちらを見ている。
俺はなんとか彼女に触れようと花の嵐の中を無理やり進む。だが、進めば進むほど彼女は見えなくなっていき、やがて電池が切れたかのように世界は暗転した。
そして目の前が真っ暗になる前に、微かに見えた彼女の口はこう言っていた。
――桜の下で、待ってるから。
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