第12話 桜並木で笑う君




『……恭介君』


 桜並木の下で、少女の声が俺の耳に届いた。

 振り返ると、桜が舞い散るこの坂で、穏やかな表情で佇む少女がいた。

 緩やかな風が彼女の髪をなびかせ、それを右手で抑える姿に俺はただただ見とれていた。

 その姿はまるで、ドラマのワンシーンのようで、とても絵になっている。


『どうしたの? 早く来ないと置いてっちゃうよ』


 呆然としていると、彼女は無邪気に笑ってそう言った。

 俺はそれに首を振って、歩き出した。


「……何でもない。行こうか」


 口元に微かな笑みを浮かべて返事をすると、彼女の隣に並んだ。

 隣を歩く彼女は、どこか嬉しそうに後ろで手を組みながら歩いている。


『相変わらずすごいよね、ここの桜。毎年見てるけど、何度見ても飽きないよ』


 そう言いながら上を向く彼女は、俺に話しかけているというより、独り言を言っているような感じだった。

 俺も彼女と同じように上を向いた。


「そうだな。でもそれも、あと少ししたら散っちゃうけどな」


『もう、恭介君はすぐにそういうことを言う。彼女ができたとき絶対そういうこと言っちゃダメだよ?』


「はいはい。もしできたらな」


 俺は適当に返事をした。

 あしらうような返事に彼女は不満そうな顔をするも、特に何か言うことはなかった。

 そしてしばらく無言で歩き、桜並木が終わりに差し掛かったところで『ねぇ』と、彼女は何かを思い出したように声を上げた。


『一つ聞いてもいい?』


「何だよ?」


 特に何か考えることなく、先を促した。

 すると彼女は真剣な声音でこう言った。


『いい加減、思い出してくれた?』


「……え?」


 唐突に聞かれた謎の質問に俺が足を止めると、数歩先で彼女も足を止めた。


「どういう意味だ?」


 質問の意図が読めず、俺が聞き返すと彼女は悲しげな顔をした。


『そのままの意味だよ。あたしを思い出したか? イエスか? ノーか? ただそれだけの質問』


 突然口調の変わった彼女に、俺は戸惑った


「そ、そりゃあ、知ってるだろ。だからこうして……」


 そこまで言って気づいた。俺の中に彼女との思い出がなかったことに。

 何故、今の今まで気が付かなかったのか不思議でしょうがない。

 俺は彼女のことを知らない。それも名前や性格、俺との関係性に至るまでの全てが。


「……わから、ない」


 絞り出すように出した答えに、ふと彼女の顔に影が差し込んだ。


「そっか……」


 そう短く言って辛そうに笑みを浮かべると、こちらに背を向けて桜並木を抜けていった。

 俺は慌てて彼女の後を追う。


「待ってくれ――」


 歩き去る彼女に手を伸ばした。

 刹那、強烈な風が俺の前を遮った。

 桜は舞い、まるで彼女の元へ行かせないようにと行く手を阻む。

 そして、舞う花弁の隙間からは、微かだが彼女の姿が確認できた。彼女は花弁の嵐をものともしていないかのように、涼しい顔でこちらを見ている。

 俺はなんとか彼女に触れようと花の嵐の中を無理やり進む。だが、進めば進むほど彼女は見えなくなっていき、やがて電池が切れたかのように世界は暗転した。

 そして目の前が真っ暗になる前に、微かに見えた彼女の口はこう言っていた。


――桜の下で、待ってるから。

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