第10話 悩み相談
◇
学校が始まってから二週間が経った。
長期連休明け特有の気だるさがまだ残っている頃。俺は明日が休日なのを良いことに、いつもなら寝るこの時間帯にゲームをしていた。
明日は喫茶店の仕事もなく一日中休んでいられるのだが、いざ休みになると何をして良いのかわからないものだ。
だが、一日中ゲームをするのも何か勿体ない気がする。さて、明日は何しようかな。
などと半分ゲームに思考を割きながら、明日の予定を考えていると、突然背後のドアが大きな音を立てて開いた。
「あたし、登場!」
急な音と声に操作が狂うが、なんとか持ち直す。
少し前の俺ならコントローラーを落としていただろうが、俺も慣れたものだ。……嫌な慣れだ。
俺は画面を見たまま、面倒臭そうに背後の人物に声を掛ける。
「先輩、思い切りドアを開けないでくださいよ。そろそろドアが壊れちゃいそうです」
「あれ? あんまり驚かないね?」
何を期待していたのか知らないが、椎名は拍子抜けといった様子で驚いている。
さすがに何度もやられれば慣れてくる。こういうのはたまにやるからこそ驚くのであり、面白いのだ。
俺は「フッ……」と鼻を鳴らすと、少し勝ち誇ったように口の右端を吊り上げる。
「今の俺は、ちょっとやそっとの事では動じませんよ。だからもう……」
ゲームがちょうど切りのいいところになったので、椎名の腑抜けた顔でも見てやろうと思いながら振り返ると、途中で言葉が途切れた。
しっとりと濡れた髪に赤みのさした肌、そして身体を包むバスタオルが身体のライン強調して妙に色っぽい。
そう、そこにはバスタオル姿の椎名がいた。
「ぎゃあああああああああああああああっ!!」
喉が潰れたかと思った。
俺はヒリヒリする喉を抑えることも忘れて、慌てて両手で顔を覆いながら、後ろに飛んだ。
「あ、言ったそばから驚いてる」
「な、ななん、な、何してんすか!? 早く服を着てくださいよ!? つか、何でそんな格好してるんすか先輩!」
男が一緒に住んでいるというのにあまりに無防備すぎる。いい加減に俺を男として認識して、清く正しい行動をしてもらいたい。
そんな俺の様子に、椎名はいつも通りといった感じで口を開いた。
「いや、ちょっと川島君に相談したいことがあってね。忘れる前に話しておこうかと思って」
「それは着替えるという行為を惜しむほどの内容なんですか?」
「いや、全然まったく」
「なら着替えてから出直してください!」
俺は顔を覆ったままその場にゆっくりとうずくまりながら「もぉぉぉぉぉ……」と言いながら息を吐いた。
「どうしたの? 急に牛のものまねして」
「してねぇよ! 良いから早く着替えてきてください!」
「何をそんなに慌ててるの? ちゃんとバスタオル巻いてるじゃん」
椎名は止まっていた髪を拭く作業を再開しながら、何でもないように言った。
「バスタオルしかないのが問題なんですよ! もういいから早く着替えてきてくださいよ!」
「断る!」
「そんなに強く断らないでくださいよ……えっ、何? 何でですか?」
「川島君の反応が面白いから」
「こっちはちっとも面白くないんですよ!」
「分かったよ、もう……」
椎名はぶつくさと言う声の後、布が擦れる音が耳に入ってきた。
目を瞑っているとはいえ、すぐそばで着替えられるとかなりドギマギする。
少しすると、布の擦れる音がなくなった。
「はい、もうこっちを向いても良いよ」
「はぁ……それで、相談って……」
そう言いながら振り向き、俺は口が開いたまま固まった。
椎名は俺が明日用に用意していたTシャツ一枚を着ただけで、すらりとした足はさっきと変わらず晒されている。
「何にも変わってねーよ! バスタオルがTシャツになっただけじゃないですか!」
「いやぁ、寝る前に明日の着替えの用意をしてるなんて、川島君マメだねぇ」
椎名はそう言って無邪気に笑うと、Tシャツの端を詰まんで左右に揺らし始めた。
「やっぱりサイズが大きいなぁ……そのおかげでこうしてギリギリオッケーなんだけどね」
「いやアウトですけど!? 完全にアウトなんですけど?」
椎名の言うとおり男性用のTシャツのおかげで、多少動いても中身が見えることは無さそうだが、それでも思春期真っ盛りの男子高校生には刺激が強すぎる。これは早々にこの状況をどうにかしないと。
そう思い俺は目を瞑って、部屋を出ようと立ち上がる。
「先輩が出て行かないなら俺が出て行きます」
「なら、あたしも付いて行きます」
当然と言った様子でドアノブに手を掛ける俺の後ろに立つ。
「外までいきます」
「それでも付いてきます」
本来ならダッシュして外に出ても良いのだが、それは相手が一般人である場合だ。鍵の掛かったドアを蹴飛ばしたり、バスタオル姿で相談を持ちかけたりするようなやつにそれをやったら本当に外に出かねない。実際椎名は、言ったことは大抵のことは本当に行動してしまう。
だから俺は再度確認する。
「……本当に行きますよ?」
「だから、聞いてくれるまで付いていきます」
頑なな椎名の意思に、ふと俺は視線をドアノブに落として。
「……う、うぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ!」
叫びながらドアを乱暴に開けて、廊下に飛び出した。
「あっ!!!」
予想外だったのか、椎名は突然の俺の行動に反応できずに、遅れて追いかけてくる。
「本当に外まで付いてくるつもりですか!? ちょっと服を着れば済む話じゃないですか!」
「川島君だってちょっと聞けば済む話じゃないの? それにパンツは履いてきたから大丈夫!」
「何を思って大丈夫だって言ってんですか!? パンツはそんなに万能じゃないです!」
俺は階段を二段飛ばしで駆け降りると、そのまま玄関に突進するように開け放つ。
そして、外に出たところで「とぅっ!」という掛け声と共に、椎名が腰にしがみついてきた。俺は走っていた勢いもあって、そのまま前に倒れる。
「ふふふ、あたしから逃げられると思ったのか川島君!」
「あ、ちょ、先輩離して……当たってる。色々当たってるから!」
俺は腰にまとわりつく柔らかい感触から逃れようと、ほふく前進するようにして移動するが、そこで辺りが騒がしいことに気づいた。
「あっ!」
顔を上げると、何事かと集まってきた人達が数人、遠目から見て「うわっ、何あれ~」とか言いながら口元を押さえている。
「ちょっと、先輩! 見てます。なんかいっぱい見てますから離して!」
俺は途端に恥ずかしくなり、椎名を引き剥がそうとすると、椎名はその体制のまま上目遣いでこちらを見る。
「なら聞いてくれる?」
「…………」
俺はその質問に目を逸らした。
「もう離さない! 絶対に離さない! このまま川島君を社会的に殺す!」
「やめてやめて! もう分かりましたから! 早く離してください!」
恐ろしいことを言う椎名に俺は慌てて要求を飲んで、急いで喫茶店の中へと戻った。
こんなことなら、最初から折れてれば良かったと、心の底から後悔した。
部屋に戻ると、椎名はまるで自分の部屋のようにベッドの上に座り、俺はそれを流し見て、勉強机の前に頬杖をついて座った。
「それで、何なんですか相談って」
俺は若干不機嫌そうに尋ねると、椎名は少し困ったような顔になる。
「川島君、もしかして不機嫌?」
「かなり」
それだけ答え、椎名は少し真剣な顔になり、胸の前で手を握った。
「えっと……最近、胸が苦しいんだ……」
「病院に行ってください」
「違う違う。そうじゃない! そうじゃないよ!」
「いや、胸が苦しいなんて病気以外に考えられないんですけど?」
「そういう苦しみじゃなくて……何かモヤモヤするっていうか……」
珍しく弱気な椎名に俺は少し調子が狂う。
いつも周りのことを考えずに、気になったものには猪突猛進の椎名がこんなに弱々しい姿を見せるのは出会ってから今現在まででは初めての事だ。
「モヤモヤ……? 胸焼けとかですか」
俺は少し真剣に考えて聞くと、椎名は首を横に振った。
「それも違う。……なんていうか、分かりそうで分からないような感じ」
「う、うん? 何か分からないことでもあるんですか?」
「あたしの気持ちが分からない」
「いや、俺も分からないんですけど……」
中々はっきりとしない答えに、俺は少し考えるようにして腕を組んだ。
病気以外で胸が苦しくてモヤモヤする事で思い当たること。それは何らかの悩みで間違いないだろう。だが、それが何に対しての悩みか全然見えてこない。
なら、まずはそれを探すしかない。
「先輩、最近変わったことはありますか?」
「え? うーん……特に変わったことはないけど」
「本当に? ちょっとしたことでも良いんですよ? 例えば、最近誰かと話さなくなったとか」
俺は無難に人間関係辺りを探る事にした。
人が悩むことの大半は人間関係についてだ。椎名がそれで悩むことなんてなさそうだが、将来の事で悩むなんてもっとないと思うわけで、消去法で人間関係というわけだ。
「うーん……最近話すようになった人はいるけど……。川島君もよく知ってる人だよ」
「俺も? ええ……九頭のことか?」
俺はここに来てわりと付き合いの長いやつの名前を挙げるが、椎名は首を横に振った。
「小林君だよ」
「……えっ、小林!? 同じ屋根の下に住んでるのに最近なの?」
意外な人物に驚いてからよく思い出してみると、椎名と小林が二人で話しているところを見たことがない。
小林は女には見境ないが、椎名だけは例外であると言っていたことを思い出した。
「うん。でも今年からミッシーが入ってきたでしょ? そのおかげで小林君と話す機会が増えて……」
「…………」
これはもしかして。
「先輩……その症状ってもしかしてここ一週間くらいですか?」
「そうだけど……何で?」
「先輩」
俺はゆっくりと目を閉じて、言葉を選ぶようにして口を開く。
「それは恋ですね」
「こ、い?」
椎名は訳が分からないといった様子で首をかしげる。
「そうです。ほら、小林の顔をイメージしてみてください」
「えっと、う、うーん……」
俺が諭すように言うと、椎名は言われた通りにイメージしようと、胸に手を当てて目を瞑る。
「……はっ!」
しばらくすると、カッと目を見開き、ベッドの上でうずくまった。
「どうですか?」
「恋だ……」
「えっ、あ、ええっ?」
意外とすんなりと受け入れる椎名に、思わず言葉につまった。
そんな俺の事は無視して、椎名は納得すると俺の手を両手で握った。
「川島君ありがとう! やっと分かったよ!」
「えっと……ああ、はい。それは良かったです」
素直なお礼に半ば呆気にとられていると、椎名は立ち上がった。
「えっ、ちょ、どこ行くんですか?」
妙に凛々しい顔になっている椎名に嫌な予感がして、反射的に止めに入る。
「あたし、ちょっと告白してくる」
「早い早い。何でそんなコンビニにでも行くようなノリなんですか! 今行っても玉砕ですよ多分」
少し暴走気味の椎名の手を掴む。
本来なら止めるべきではないのかもしれないが、小林が椎名の事を女として見ていない以上、今行くべきではない。
「どうして止めるの!? もうこの溢れる思いは誰にも止められないんだよ!」
「そこをなんとか!」
「何ともならないよ! どうしても邪魔するって言うなら、あたしは川島君を倒してでも!」
そういうや否や、俺の手首を掴むとそのまま背負い投げの要領で俺は宙に投げ出された。
「なっ!?」
僅かな浮遊感の後、固い床に背中が叩き付けられる。
「ぐっ!?」
「ごめん川島君。でもあたし、川島君のこと忘れないから。だから、この戦いが終わったら、川島君の分まで幸せになるからね」
「先、輩……まだ俺、死んでないです。あとそれ、死亡フラグ」
それだけ言うと、椎名は部屋を出ていった。
俺はもう止めることはせず、妙に凛々しい背中を見送る。
しばらくすると、何事かと驚いて俺の事を呼ぶ声が聞こえてきたが、俺は何も聞こえなかったことにした。
それにしても、椎名が恋をするとは思わなかった。
今まで男っ気がなく、男子の部屋には恥ずかしげもなく入ってきたりするので、正直恋愛とか興味がないと思っていた。
でも、こうして相談に来て、本気で悩んでいた。相談方法はどうあれ、椎名も普通の女の子なんだなと、今は微笑ましく思えた。
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